競争政策と消費者の安全 〜シンドラーエレベーター事故を考える



  東京都港区の高層住宅で高校生がシンドラー社製エレベーターに挟まれて死亡した事故は同社の対応が悪かった
こともあり、大きなニュースとなている。
  
  同社は住民説明会への出席を拒否し、謝罪もないということでマスコミ各社がかつて死亡事故が起こったニューヨ
ークや香港にまで取材して、同エレベーターの危険性や対応の悪さを大々的に報道するに及んで、さすがにこれでは
まずいと思ったのか、日本法人のケン・スミス社長とスイス本社エレベーター・エスカレーター事業部のローランド・ヘス
最高責任者が住民に謝罪し、記者会見を行った。

  同社では事故原因が明らかではない現段階では謝罪の必要はないと考えていたのであろう。同社の肩を持つわけ
ではないが、まずは謝罪するという日本のやり方にも疑問を持つ。というのは、企業の不祥事は消費者、労働者あるい
は株主といったステークホルダーに損害を与え、それに対する損賠賠償責任のひとつとして謝罪もあるはずである。し
かし、日本では原因究明や法的責任を問う前に、「世間をお騒がせして申し訳ない」というような謝罪が多い。結局それ
によって「世間」はある程度納得し、急速に社会的関心が薄まり、結局最も重要な原因究明と被害者の十分な救済が
なされていないのでないかと感じることも多い。一方欧米では、加害者と被害者の不法行為責任問題として関心が持た
れ、感情論ではなく、損害賠償責任を追及していくというような違いを感じる。その結果、日本ではこうした事件が起き
るとその後の社会的なシステム改革等が進むが、被害者の救済が十分になされず、欧米では被害救済はなされるけ
れども商品の改良やシステム改革等にはすぐには結びつかない・・・そんなイメージを持つ。日本では「世間」というもの
に対する謝罪が重要なのだ。(注:阿部謹也氏の「『世間』とは何か」が示唆に富む)。


  さて、今回の事故では、過去のトラブル情報が製造元のシンドラーエレベータから保守管理会社に引き継がれてい
なかったことが報じられている。現状では情報引き継ぎを義務付ける法令などはないという。またエレベーターメーカー
が系列外の管理会社には情報を出し渋る傾向が強いらしい。

  6月14日付読売新聞によれば、国土交通省が、エレベーターのトラブル情報の引き継ぎや情報開示など、新たなル
ール作りを進める方針を固めたという。 同紙記事では、「メーカーは不具合情報を決して、系列以外の管理会社に漏
らさない」という証言を取り上げ、管理会社が交代すると、元のメーカー系がエレベーターのかごの上部にある動作点
検用のスイッチを取り外していったり、閉じこめ時にドアを開ける専用キーを売らないなど、様々な“締め付け”が始まる
ことを問題視している。2002年には国内最大手の三菱電機系の「三菱電機ビルテクノサービス」が、独立系に対する
保守部品の納入をわざと遅らせたり、不当な高値で売ろうとしたとして、公正取引委員会から排除勧告を受けている。 
 
  また、ある専門家がテレビで、保守点検業者を競争入札で選ぶこと自体が間違いだとコメントしていたが、それには
疑問を持つ。保守点検分野の市場でも競争原理は働くべきである。しかし、保守点検というサービスの最大の目的は
安全性の確保にあるはずだ。それを確保せず、価格だけで競争するのは論外であるが、安全性を確保するサービス
を競争価格で提供する必要性はあるはずだ。従来、この分野では競争が存在せず、製造会社の系列会社が保守点
検を引き受けるのが当たり前であった時代から、独立系の保守会社が誕生し、シェアを伸ばすなかで、安全性確保に
最重要である製品関連情報が意図的に提供されないという問題が放置されていたのであろう。消費者の安全性を確保
しながらの競争の促進についてより関心を持ち、立法府や行政もそのための仕組み作りを考えるべきである。


  自由主義というと、政府が口を出さないことを意味するかのように捉われがちであるが、経済学者岡田与好が主張
しているように、自由主義を「国家不干渉主義」と理解するべきではない。岡田はフランス革命直後における経済的自
由主義への移行過程における国家の役割を検証し、当時、市民の自由な経済活動を阻害していた同業・同職組合を
国家による強制という形で廃止してきたことを実証している。すなわち、自由主義には、独占する自由をも認める放任
自由主義と強者の自由を制限することによって実質的な自由を確保する自由主義があるのであり、我々が目指すべき
社会は後者であり、公正かつ自由な社会を目指しているはずである。


  消費者問題の専門家も反省すべき点がある。あるテレビ番組で、コメンテーターが、エレベーターは縦に動く鉄道と
考えた方が良いと述べていた。高層ビルとなればエレベーターの速度はものすごく速く、たしかにレールに沿って縦に
走る鉄道かもしれない。エレベーターは鉄道と違って営業用はまれで多くは自家用であるためにあまりその安全性に関
心が持たれなかったのも事実であろう(箱根に自家用ロープウエーを持つ旅館があり、かなり古いので安全基準や保
守点検はどのようになっているのか関心を持ったことがある)。消費者法のテキストや論文等でエレベーターの安全性
まで論じたものを私は知らない。消費者の安全に関わる問題や法制はかなり広範である。消費者の利益に資する形で
の規制緩和、競争政策の推進のあり方について具体的に検証すべきである。

細川幸一


参照:拙稿「『営業の自由』と消費者の利益」国民生活研究第37巻第4号(1998年3月)


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