屋上の空
「来ないで! それ以上近づかないで!!」
 絶望とか焦りとか、よく分からないけど、そんなような物がひっついた表情で、少女はヒステリックな声を上げた。
 屋上から見る空が好きで、いつものように部活をサボって階段を上がり、ドアから外へ出たら、こうだった。こう――つまり、屋上にある安全のためのフェンスの向こうに、少女が一人立っている。自殺でもしようというのか。
「それ以上来たら、ここから飛び降りるわよっ?!」
(自意識過剰……)
 隼人は思った。隼人は少女を止めに来たわけではない。
 金網を隔てた向こうの少女は、必死の形相に涙さえ浮かべている。
「あのさ、君……」
 隼人は少女のいる屋上の縁にはなるべく近づかないように移動しながら、少女に言った。
「なっ……何よ?!」
 少女は隼人のたった一言にも身構える。
「自殺志願者?」
「そうよっ! 私、本気なんだからねっ!!」
「ふーん……」
 隼人は興味なさそうに言うと、その場に足を伸ばして座った。後方に両手をついて、空を見上げる。
 冬の乾いた空気で、澄み渡った青空。
 隼人は屋上が好きだった。屋上から見上げる、この空が好きだった。晴れの日も曇りの日も、雨の日でさえも、屋上の空には一貫した趣があると、隼人は考えていた。屋上は隼人にとって、誰にも邪魔されない聖地であった。
(……待てよ?)
 隼人は右手を顎のあたりに持ってくる。
(この屋上で自殺者がでたら……)
 現場検証やらなんやらで、しばらく屋上に入れなくなるのではないか。
(それは、まずい)
 隼人は立ち上がった。
「ねえさ、君?」
「何よっ! 止めようったって無駄よ!」
「うーん、止めるつもりはないんだけど、結果的には止めることになるのかな……?」
「何よ、訳分かんないこと……!」
「まぁ、聞いてくれよ」
 隼人はにこにこと少女に近づく。
 少女は隼人を警戒しながらもじっとしている。
「俺は屋上が好きだ。どれくらい好きかというと、そうだな……焼きプリンの次くらいに好きだ」
「……焼きプリン……?」
 少女が眉をよせたが、とりあえず無視する。
「こんなに屋上が好きな俺からは、何人たりとも一時でさえも屋上を奪うことは許されない、分かるかな?」
「……」
 少女の沈黙を、勝手に黙認ととり、隼人は続ける。
「君がここで自殺すると、警察が来たりとかして、その間俺は屋上に入れないわけだ」
 隼人は腕を組み、一人うんうんと頷く。
「命はって現場検証している警官と戦ってまで屋上に登るのは、辛い」
 人差し指を立てて、頬のあたりに添えて言う。
「それよりはか弱そうな女の子一人、手を伸べて金網の向こうから此方へ、引っ張る方が楽だと思わない?」
 隼人はにやりと笑うと、ひざを折り気味にして、少女の身長に合わせる。涙の浮かんでいた少女の瞳は、遠くで見たときより、綺麗だった。
「何も止めようって訳じゃないんだ、やるんなら他でね、ってこと」
「……」
 少女は納得いかないのか、隼人を見つめる。
「えーと……ほら、あのビルっ! あっちの方が高いし……」
 少女から満足な反応が得られなかった隼人は、手近な建物を指さしてみる。
「……」
 隼人が見ると少女は悲しそうにうつむいていた。
「だ、大丈夫だよ、ちょっと死ぬのが遅くなるだけで……」
 隼人はなんとか少女をその気にさせようと言ってみる。
「実はあんまり変わんないよ、時間なんて」
「……よ……」
「?」
 少女が何か呟いたのを隼人は聞いた。
「……何よ……」
 今度はもう少しはっきりする。
「……何よ……、まるで私に死んで欲しいみたいなこと言うのねっ!?」
 少女はいきなり爆発し――顔を上げて隼人を睨んだ。
「えっ……だって君、自殺志願者でしょ?」
 隼人は少女の剣幕に一歩退いて、確認するように言う。
「そうよっ! 本気で死のうと思っているのよっ!! 止めたって無駄なのよっ!!」
 少女はかぶりを振って叫ぶ。
「……え……でも本当は止めて欲しかったりするわけ?」
 隼人は恐る恐る聞いてみる。
「止めたって無駄よ!!」
 少女はまた叫んだ。
(……止めて欲しいのかな……)
 隼人は考える。
 隼人と話をしている間にも少女は飛び降りられたはずだ。
(やっぱり、止めて欲しいんだ……)
 隼人は自己完結すると、少女の顔を見つめて言った。
「もう一度よく考えてみろよ、君の死ぬその理由は、君の命を奪うほどの価値があるのか? 君の命と引き替えで、釣り合うほど重い物なの?」
「あんたに私の気持ちなんて分からないわよっ!!」
「いや、分かるなんて思ってないっすよ」
 少女がまた叫んで隼人はすかさず訂正を入れる。
(……なんか、話がかみ合ってないよな、この子……)
「だったら何よっ! なんなのよっ!!」
(さて、どうするか……)
 隼人はまた考える。どうすれば少女に話が通じるか……。
「君が死にたいと思うなら、好きにすればいい。君には死ぬ自由だってもちろんあると思う。だけど、君は本当に死にたいの?」
「私はっ……!」
 少女は言おうとして、途中で詰まってしまう。
「欲しいものがあるなら、欲しいって言えばいいんだよ……」
 隼人は、金網越しに少女の手に触れた。
「もう一度聞くよ? 君は、どうしたいの……?」
「私は……」
 少女はうつむく。うつむいて沈黙してしまう。
「……俺だってさ……」
 隼人は、呟くように言った。
「俺だってさ、何度も死のう、って思ったよ。この屋上を逃げ場所にしたのも、いつだってここから飛び降りて死ねるって、そう思ったからさ」
 唐突に話し始めた隼人に、少女が顔を上げる。
「でも、屋上に来て、この屋上の上のでっかい空を見て、俺はこんなにちっぽけで、俺の涙は悲しみは、もっともっとちっぽけで……」
 隼人は空の高みを見上げ――そして今度は自分の手のひらを見つめ――
「だったら、もっとでっかく生きてやろうって思った。この空に見合う、でっかい男にならにゃと思ったんだ」
 そして、少女を見つめた。
「もう一度聞くよ? 君は、本当は、どうしたいの?」
「私は」
 少女の瞳に、涙が浮かぶ。
「――死にたく、ない」
「分かった、こっちにおいで」
 隼人は少女がフェンスを登って越えやすいように一歩退く。
 しかし隼人の意に反して、少女は屋上の床とフェンスの間の空間を、器用にくぐってこちら側へとやってきた。
(……最後まで変な子……)
 隼人は胸中でぼやき、少女が立ち上がるのに手を貸した。
「もう大丈夫だよ、君さ、俺はこの屋上の主だ。気が向いたらまたおいで。いつでもってわけじゃないけど、だいたいはいるからさ、話し相手くらいには、なれるはずだよ」
 隼人は少女が立ち上がると手を離した。
「……ありがとう……」
「いや、俺はこの屋上を守りたかっただけだよ」
 隼人は笑った。
 屋上の上の空は、今日も変わらず綺麗だった。

END

あとがき
 どうも、最後まで読んでくれてありがとうございます。
 この話は、青川が高校1年生の時に書いたものです。
 隼人は他の話にも何度か出てくるのですが、屋上の空だけ、ちょっと口調が違うんです。どうも、「Southern Future」を書く時に、屋上の空を読み返さなかったのが原因らしいです…。その後に書いた「The Flowing Lotus」は、「Southern Future」の隼人を元にしたので、屋上の空の隼人だけ、口調が違ってしまったようです。読んで貰った人には「別人だと思った」なんて言われちゃう程の変わりっぷりですが、同じ人ですので。えぇ。

解説
隼人、高2の2月。
ペンタグラムvol.49「はじまりの巻」掲載。
あとがきは2003年、図書館修復時に書き下ろしたものです。

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