魔女と海星(ヒトデ)のある風景
 暗く深い海という名の淵。そこに落ちた銀色の月。
 嫌な事があって軽い家出気分で飛び出してきたのに、こんな所まで来てしまった。
「もう帰ろうよ」
 黒猫が言った。彼は災難である。彼女につき合わされ、短い爪を箒に突き立てて海に落ちまいと必死である。
「君は海が恐いのか?」
 烏が笑った。
「恐くなんかないよ!」
 嘲笑された黒猫は、烏の方を睨み付け、弁解する。
「ただ、僕はお母様も心配していると思うし……」
「静かに」
 彼女が黒猫の声を遮った。
「何か聞こえるわ。……泣き声かしら?」
「鳴き声の間違いでは?」
 烏が言った。
「違うわ。泣き声よ……誰か泣いてるんだわ」
 そう言って、彼女は注意深く声のする方を探した。
 暗く、深い海。同じように暗く、そして海よりも遥かな広がりを持つ空。
「海星だ……」
 黒猫は目を丸くした。海の上にぽつんとたたずむ小島の上で、黄色い海星がすすり泣きをしている。
「何故泣いてるのでしょう?」
 烏が彼女に向けて言った。
「海星さん、どうして泣いているの?」
 彼女が問うた。
 しくしくと泣いていた海星は、突然声をかけられ、驚き、しかし泣くのをやめて礼儀正しく答えた。
「空を眺めていたら、急に悲しくなったのです……」
「なぜ?なぜ空を見ると悲しくなるの?」
 彼女は空を見上げた。銀色の月。それを囲む星々。
「はい。魔女のお嬢さん、どうか聞いて下さい。私は昔から海に居た訳ではないのです」
「海星が海に居なかったら、他にどこに居るんだろうね」
 黒猫が無邪気に笑った。しかしその声が届くのは、彼女と烏だけである。
 にゃあとしか聞こえなかった海星は、そのまま話を続ける。
「私は元々天の星でした。しかし神様の怒りに触れ、あろう事か海に堕とされてしまったのです。
 私は、天に戻ることも叶わず、こうして泣き続けるしかないのです……」
「それは災難ね」
 彼女は冷たく言い放った。
「自業自得だな」
 烏も嘲笑した。
「でもどうしたら天に戻れるの?」
 猫だけが親身に思って、自分の声が届かない分、彼女を見上げる。
「どうしたら天に帰れるのかしら?」
 彼女は黒猫を代弁して、海星に聞く。
「それは……分かりません……」
「もう戻れないの?」
 彼女の問に、海星は沈黙する。それを見て黒猫は悲しくなった。
「もう、戻れないんだ……」
 黒猫は呟く。小さな胸が、ぎゅうぎゅうと苦しくなる。
 しかし、猫の目には、涙は浮かばなかった。
「……私、もう行くわ」
 彼女は言って、箒を自分の家の方へ向けた。
 海星は何も言わなかった。彼女も、もう何も聞きたいとは思わなかった。
「ご主人様」
 烏が、静かに言う。
「貴女は幸せですね。帰る場所があるのですから……」
「……そうね」
 彼女は少し笑った。
 自分の小さな悲しみなど、あの海星と比べれば些細なものだ。
 大丈夫。まだ挫けずに生きていける。自分はあの海星のように、泣いているだけでは終わらない。
 海に落ちた銀の月が、彼女の家路を照らし出した。

END

あとがき
 最後まで読んで下さって、ありがとうございます。
 中学校三年生の時に、卒業文集用に書いたものをちょっと手直ししました。
 ちょうど私立の受験に失敗して、失意のなかの(笑)作品です。
 星が海に堕とされてヒトデになる、という設定は、某物語の映画化されたのを見た影響です。

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