homeへもどる

期間限定DIARY〜妊婦ウーフとまめ太の日々 その1

*new→

2002年5月31日(金) 

今日約10日ぶりにお医者さんへ。
このところ運動会の練習、準備続きでどうしても無理をしてないかと少し心配してたのだけど
まめ太は順調に育っているようで安心しました。
画面で見たら2センチ弱くらいになっていて、なんと頭と手もわかりました。
だって動いてる〜。そして透けているように
(顕微鏡で見たミジンコのように‥ってたとえがよくないか、笑)
心臓が動いているのが見えて、音を聞くこともでき、
ほんとにこの子は私のお腹の中で生きているんだなーと感動してしまいました。

明日は運動会。
まめ太がつらくないように、
無理をせず周りの方にも気をつかわせないように、
私が気をつけて行動しなくちゃね。

2002年5月29日(水) 

妊娠するときらいなものが食べられるようになるとか、嗜好が変わるとかよくききます。
私は、大きく変わったということは今のところはないのだけど
その日によってむしょーーーにこれが食べたい!とか
昨日はあれほど食べたかったのに今日はこれは絶対ダメ〜とか思うようになりました。
帰り道、今日の夕飯は何を食べようかと考えるとき、
おにぎり以外はだめだとか、ぜったい冷やし中華しかない!とかです。
普段だって今日は○○な気分なんてのはよくあるけど
もうこれしかない!これ以外はいや!ってこんなに感じるのは初めてです。これも妊娠の変化のひとつ?

2002年5月28日(火) 

今8週くらいに入り、普通はつわりのきついころ。
私は幸いつわりが重くないようで、お昼に子どもたちと一緒に
変わらず給食を食べることもできているのでありがたいことです。
でも人間て不思議なもの。とういうかやっぱり気持ちで生きてる部分て大きいと思う。
だって学校にいる間はやっぱり気が張っているせいか、ほとんど今まで通りに過ごしているのだけど
帰るバスの中くらいからだんだんムカムカがはじまって
家につくととりあえず気持ちが悪い〜と1回トイレに入る。
そしてちょっと落ち着いて夕飯を食べると、
もうぐったりしてきて一気にどーーーっと疲れてしまうのです。
そして急激な眠気に襲われてそのままさよならーって感じ。この眠気はすごい。
でも‘熱っぽくだるくて眠くて仕方がない’というのも、どうやらつわりの症状らしいです。
よくドラマとかで見る「うっ…」とか言って、口を押さえて流しに駆け込むなんていうのが
つわりかと思ってたけど、 実際はそんなんではないらしい。
あと寒かったのに急にカーッと暑くなったりして
実家の母親がよくこういう症状になって更年期障害をぼやいていたのにかなりよく似ています…。

2002年5月20日(月)

下痢が治らないのと微量とはいえ出血が続いていたのでお医者さんへ。
ひとまずまめ太は元気なようで、こないだの4ミリから8ミリくらいに成長していた(らしい)。
お医者さまは「1ヶ月くらい休んだら?」‥って無理だよー。
なにせ6月1日運動会だし。でも午後は帰るとか、
1日おきに出るとかした方がイイと言われ、なかなか厳しい状況に悩む。
一応権利としてそういう休暇もあるけど、じゃあってわけにもいかないし、
けどもし診断書とかいるなら書くからとは言ってくれる。
働きながら子どもを産むっていうのは思っていた以上に大変だ。
そして今回初めてわかったのだけど、
この仕事の人の中には流産を経験している方がけっこういる。
うちは大規模校ではないけど2人に1人くらいの高い割合で、
お子さんがいらっしゃる方でも1人目はダメだったとか(運動会前で、という方もいた)、
2人ともダメでできなかったとか、みなさんつらいお話を私のためにしてくださったりして
申し訳ないのとあまりに無防備な自分の生活が怖いのと、いろいろ考えてしまった。
この時期にダメになってしまうのは、お母さんのせいではなくて
赤ちゃんにそれだけの生きる力がなかったのだというけれど
それでもやっぱり悲しいことには変わりがないから。
私、自分で無理をしてしまうとき「頑張れ、まめ太!」と思っていたけど
それだけはやめようと誓った。
がんばるのは私。赤ちゃんをがんばらせてはいけないって。
この子はお腹の中でぬくぬくとのほほーんとしていることが一番だと思う。
だから無理せず大事にしなきゃ。

2002年5月17日(金) 

このところ出血があるのとお腹をこわしたので(カゼのひき始め?)調子がいまいち。
そして今日帰り際にいすから立ち上がれないくらいお腹が痛くなってしまいました。
しばらくうーーーーーっとじっとしていて、少しおさまったところでトイレへ。
出血はそれほどなく、きっとお腹のほうだろうと思ったのだけど、もう気持ちが弱っていたのと
電車とバスと歩いて40分以上家まで帰るのが辛い道のりに思え、
タクシーで実家へ寄ってしまいました。
実家は車で15分。だらーっと休ませてもらっておじやをつくってもらい楽になりました。
だいぶよくなったので、泊まれば?という両親の声をあとに
帰ろうかと思っていた私を怒らせる1本の電話。
そうです、ダンナからです。
人が立てないくらいにお腹が痛かった不安なときに「飲んで帰りまーす」だぁ!?
フン、そっちがその気なら、あたしは帰ってやらない
!心配しろー! とあっさり泊まることに。

結婚3年目にして初めて実家に泊まった私。
たぶんみんなよりかなりの頻度で実家に寄ったり、ものを取りに行ったりしているわりに、
遅くなっても帰れる距離なので実は泊まったことがなかったのです。
もともと1人暮らしとかもしたことないし、急に泊まるとかいうのがあまり好きじゃないかも。
お泊まりセットを用意してそのつもりでないときは、よっぽどじゃなければ泊まらない。
なんか落ち着かないというか逆にめんどくさがりなのかもしれない。
ま、そんなことで父親に下の部屋で寝てもらって、母親のとなりで寝ることになり、
しかもその部屋で寝るのは幼稚園の時以来!?
なんかみょーに感慨深いものがありました。

勝手に飲んでくればいいさ。ばかーーーっ!

2002年5月15日(水) 

今まで自分のお腹に子どもがいるなんて考えただけでも恐ろしくて
(というのは、自分が守らなくてはという意味で。)、
妊娠がわかったらお腹をかかえて10ヶ月間家から出られなくなりそうって思っていました。
実際は自分的には何にも変化が実感できなくて、普段と同じ生活を送ってしまっています。
でも量は多くはないんだけど、出血が続いていました。
生理予定日の頃、少量の出血があることもあるみたいで、それなのか、
でもなにか不安の印なのかわからなくて、またお医者さんへ行きました。
やっぱり生身の体は確実に変化をしていて、自分ではいつも通りと思っていることが、実は無理をしていたようです。
なにせ月曜日も畑作業で、全身の力を思いっっっきりかけて耕耘機なんかも使ってしまい
これはかなりまずかったかもしれない。
でもひとまず「まめ太」(赤ちゃんをこう呼んでいる私)は無事だということで一安心。
みんな「今が一番大事」というけれど、どこまでが無理なのか自分でもわからないのと、
学校へ行ってしまうと軽減というのはあってないようなもので、
0か100しかないのでこわくてドキドキしてしまう。
でもほんと気をつけないと。

2002年5月13日(月) 

今日わかりました。
6週目〜☆きゃ〜ほんと〜!?
「いるわよ〜。」と早速エコー(っていうの?)で写真も撮ってくれて
なんかなんかなんかカンゲキだー。
けど全然実感がない。
でもいるんだ。
なんかフシギです。

それにしてもあの産婦人科のいす(台?)ってすごい独特。
結婚前に一度だけブライダルチェックを受けたことがあり、
私はもしかすると一般女性の中では、そういうことにあまり抵抗なく
気にしないタイプかもしれないと思うのだけど、それにしてもあれはすごい。
座るといすが上がって両足が開くようになっていて、同時に顔の前にカーテンが下がってくるという仕組み。
ひょえ〜。女ってすごいもんだ。

2002年5月11日(土)

女の子のみなさまに訪れる月に一度の定期便。
私はもともとすごーく順調なのでちょっとでも遅れるとおや?って感じ。
まさかーと思いつつも、3日、1週間と経つうちに気がかりになり、
10日ほど遅れたところで、やってみましたー市販の妊娠検査薬。
トイレにこもって実験開始。
ラーメンのように3分待って…出てきた〜あるはずのないたての線、プラスマーク。
これが陽性反応ってやつかい?
でもどこかこれがそうなのか半信半疑。
月曜になったらお医者さんに行って来ようと決意した運命の土曜日でした。

それにしてもデザインフェスタと三崎まぐろドライブで歩き回った1日。
いいのだろうか‥?