豆知識

ボトルシップとは

ボトルシップとは空いた瓶の中に自作の帆船模型を入れた工芸品です。  1800年頃に、欧米の一人の船乗りによって作られたのが始まりだとされています。  荒天が続き航海に出られない時や、航海中の空き時間に空いた酒瓶と身近に有る材料で作ったようです。  その船乗りから仲間へ、また船から船へと技法が伝えられ、ボトルシップは船乗りたちに浸透していきました。  その技法は長い間、船乗りたちだけの秘密とされ、一般に公開されることはありませんでした。  ボトルシップの製作方法には 『引き起こし方式』 と 『分解・組み立て方式』 があります。『引き起こし方式』は、 船体と水平になるようにマストを折りたたんだ状態で瓶の中に入れ、瓶口から糸を引っ張る事でマストを引き起こす方法です。 『分解・組み立て方式』は、船体を幾つかに分解して瓶の中で組み立てるので、瓶の口より遥かに大きな船体で大きな帆を持つ帆船を瓶の中に入れる事が出来ます。  ボトルシップが日本に伝えられたのは明治時代で、日本の船乗りが外国で見たボトルシップに興味を持ち真似して作った事が始まりと言われています。  

 

弁才船とは

弁才船とは特定の船の名称ではなく弁才船形式を持つ船の総称です。  弁才船が誕生したのは16世紀初期といわれています。  中小型輸送船として江戸時代の日常生活に欠かせない物資輸送の重責を担い、 18世紀以降には米百石積級の小型船から米二千石積以上の超大型船が全国的に普及し、和船の代表的な存在となりました。  その中でも米千石積以上の大型船は、米千石を積める船として 千石船 と呼ばれるようになりました。  幅広い木造の船体に大きな一枚の帆を持つ弁才船は、追風でしか帆走出来ないと誤認されていましたが、逆風でも片帆にする事で逆風帆走が出来たようです。  しかし、荒天に弱かった弁才船は良い日和を待ち朝早く出港し、夕方には最寄りの寄港先で停泊しながら目的地へ向かいました。  ちなみに千石船の大きさは、全長約29m、幅約7,5m、帆柱の高さ約27m、積載重量は米150トン、24反帆、乗員15名です。

  

合いの子船とは

合いの子船とは特定の船の名称ではありません。  明治維新後、江戸時代に活躍した弁才船形式の船体に、洋式帆船の帆と舵などを取り付けて帆走性能を向上させた和洋折衷の船の総称です。  弁才船同様に全国的に普及し昭和初期まで活躍しました。

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