ウズベキスタン

サマルカンド Samarkand

ウズベキスタン東部、中央アジア最古の都市。
2400年ほど前にはすでに古代ペルシャの州都として栄えていました。紀元前10世紀頃から中央アジア有数のオアシス都市として栄え、文化交差路と呼ばれました。一度はモンゴル軍によって破壊されましたが、シルクロードの拠点として、また1370年に建国され中央アジアからイラン一帯を支配したティムール帝国の首都として栄華を極めました。
サマルカンドブルーと呼ばれる鮮やかな青色に彩られた壮麗なモスクや霊廟が建ち並び、「青の都」と称えられました。

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グリ・アミール廟

旧市街の中央にあるティムール帝国を創設したティムールとその一族の墓。巨大、かつ華やかな建物は後のイスラム建築にも多大な影響を与えたとされています。
ティムールは優れた建築物を造ることで自分の名声を不動のものにしようとしたのかもしれません。ここには君主ティムールを始め、ティムール帝国の繁栄を支えたティムールの息子や孫、そして側近たちが眠っています。

■アミール・ティムール
モンゴル系ティムール朝の創設者。 1336年に生まれ、盗賊の頭から身を起こし、1370年、34歳でティムール帝国を建国、中央アジア、イラン、アフガニスタン地域を支配。イスラム建築の中でも特に美しい建造物を残し、「チンギス・ハーンは破壊し、ティムールは建設した」と称されました。また、学問や芸術を愛し、多くの文化人を保護。1405年、中国の明へ侵攻中に死去しました。











レギスタン広場

サマルカンドの町の中心にある広場で、イスラムの神学校メドレセが3つ建っています。
メドレセはいずれもティムールの死後に建てられたものです。

















シェルドル・メドレセは、ダマスカスやアゼルバイジャンの陶磁器職人、イスファハンのモザイク職人、アナトリアの石工などを招いて造らせました。
ティムールは世界中の腕利き職人をサマルカンドに集めるために遠征を続けたとまで言われるほどだったそうです。
















当時は、政治と宗教、芸術が密接に結びついた時代で、マドラサではコーランを始めアラビア語や数学、天文学などが教えられました。

■メドレセ
イスラムの学院。11世紀に制度として確立し、イスラム世界の高等教育機関として広く普及。神学の他、哲学、医学、天文学などが教えられた。また、寄宿舎が設けられ、学生の衣食住はまかなわれていた。
モスクの付属施設となっている場合や、モスク自体がメドレセの場合もあり、学生数が数千名を超える大規模なメドレセもあった。











ティラカリ・メドレセは金曜日の礼拝に使われていました。


















ティラカリとは“金で覆われた”という意味。




















ビビハニム・モスク

遠征先のインドから戻ったティムールが妻への贈り物として1399年に建てた、世界最大規模のモスク。
ドームと数百の柱からなるこの建築物は、ティムールの妃の名を取り名付けられたそうです。
700人の職人によりわずか5年の間に建てられましたが、急ぎ過ぎた工事のためかモスクは完成後から自然に崩れ始め、度重なる地震により損傷も激しくなっています。

















シャーヒズィンダ廟群

ティムール帝国の皇族たちを祀った霊廟群。 20近くある霊廟は、微妙に異なる青で彩られています。
元々ここは預言者ムハンマドのいとこでこの地方にイスラム教を伝えたクサム・イブン・アッバースが眠る場所ー聖地として知られていました。布教にやって来たアッバースは、他宗教の信者に暗殺されたと言われています。
シャーヒズィンダとは「生きている王」という意味で、暗殺されたアッバースがここで永遠の命を得たという伝説からきています。ここは第2のメッカとも言われ、世界各地から多くのイスラム教徒たちが訪れ、祈りを捧げています。

















■ウズベキスタンのおみやげ: スザニリシタン陶器

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