バルセロナ Barcelona
カタルーニャ地方の中心都市でスペイン第2の都市。
港湾を拠点に、スペイン第1の産業都市に発展。独立自主の精神と固有の文化が育まれ、中世から現代にいたるまで多くの芸術家を輩出してきました。ピカソ、ミロ、ガウディがこの町を愛し、芸術家たちの才能がここで育まれました。個性的な博物館、美術館が数多い美術遺産の宝庫のような町です。
建築家アントニオ・ガウディが残したユニークな建築物のほとんどを見ることができます。
■アントニオ・ガウディ
1852年、カタルーニャ南部の町レウスで鋼細工師の家に生まれました。
建築家を目指してバルセロナで学び、その後、30代で才能を開花させました。ゴシックやイスラム様式に曲線的な幻想イメージを融合させ、独自の芸術を生み出しました。19世紀末に興ったモダン装飾様式「アール・ヌーボー」(スペイン名は「モデルニスモ」)を代表する芸術家の一人です。
1926年、サグラダ・ファミリアの近くで路面電車にひかれ、3日後に静かに息を引き取りました。
フランスの著名な建築家ル・コルビュジエはガウディの功績について次のように語っています。
『ガウディの建築は、並外れたエネルギーと信念にあふれ、類稀なる技術を持った芸術家の作品と言えるだろう。彼の生涯はまさに石とともにあった。
ガウディはまるで神業のような設計図を描き、他の誰のものとも似ていない作品を次々と生み出していった。
彼こそが最高の建築家であり、真に偉大な芸術家であったと言える。』
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サグラダ・ファミリア聖堂 Basilica de la Sagrada Familia
1882年から建築が続く未完の聖堂。ガウディは34歳のときに師ビリャルから引き継いで設計と施工に携わり、1926年に事故死するまで43年間を建築に費やしました。
アントニオ・ガウディの亡骸が埋葬されています。
現在もガウディの設計で建築が続けられていますが、完成しているのは、地下礼拝堂と3つの正面の一つ「誕生のファサード」のみです。
18本もの塔を持つ壮大な大聖堂が完成するのは100年以上先と言われています。
塔の上部は展望台になっており、バルセロナを一望できます。
カサ・バトリョ Casa Batlio
ガウディ作。タイルとガラスモザイクの壁面に特徴があります。日中は陽の光を反射して建物全体が輝き、夜間はライトアップされ幻想的な光に包まれます。
カサ・ミラ Casa Mila
ガウディが最後に手がけた大型建築物で、住宅用のものとしては最もよく知られた作品です。地下1階、地上6階の集合住宅で、現在も住居として使用されています。
人工的な自然という逆説的なテーマをはじめ、ガウディが追求してきた様々なモチーフがここに集約されています。
1910年に豊富な石と鉄材を組み合わせ、大胆な曲線を描いて築かれ、完成した時バルセロナ市民の中にはこの建物を揶揄を込めて石切場などと呼ぶ人もいました。
丸いバルコニーには特異な形をした鉄が帯状に巻かれ、浜に打ち上げられた海藻を思わせます。
ガウディはこの建物を設計するとき石膏でミニチュアを作りそれを図面代わりにしました。
建物内部の回廊や階段は洞窟を思わせ、屋根には不思議なオブジェの煙突が並んでいます。約100年前に建てられたこの建物は、当時の幾何学的な建築基準から完全に逸脱し、現在も巨大な石の彫刻として異彩を放っています。
サン・パウ病院 Hospital de Sant Pau
リュイス・ドミニク・イ・モンタネールの作品。広大な敷地に48もの建物が機能的に配置されています。
ガウディもこの病院で息を引き取りました。
■リュイス・ドミニク・イ・モンタネール
ガウディとともにバルセロナの街づくりに多大な貢献をした建築家。
病棟を細かくわけ、その周囲に緑を配して、入院生活が少しでも快適になるよう工夫されています。
生ハム
白豚の生ハム。
スペインの生ハムは、水分が少なく凝縮した味わいがあり、ハモン・セラーノ、ハモン・イベリコなどがあります。
ハモン・セラーノは、軽い味わいで、少し塩気があります。ハモン・イベリコは、ハモン・セラーノより熟成され、より美味しく、塩気が少ないです。

■バルセロナのホテル:
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