フィレンツェ Firenze
花の都と呼ばれ、赤褐色の屋根とれんが造りの建物が並ぶ美しい古都です。
歴史的建造物や美術館はもちろん、街角のふとした光景からも芸術の香りが漂ってきます。
トスカーナ州の州都で、アルノ川のほとりに広がる約3km2のこぢんまりとした町です。
花の聖母教会(ドゥオモ)を中心に、メディチ家に係わりの深い建物群のある市街区域が歴史地区として登録されています。
メディチ家は、金融業で得た財力を背景にフィレンツェの実質的支配者となった一族で、支配のみならず学芸の振興にも寄与し、多くのルネサンス芸術家の保護も行いました。
メディチ家の支配は長く続き、中世からルネサンス期にはヨーロッパにおける商業および金融の重要な中心地のひとつとなりました。
詩人のボッカッチョやペトラルカ、哲学者マキャヴェッリやガリレオそして天才レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなど多くの芸術家・文学者がフィレンツェ出身です。
フィレンツェはルネサンス発祥の地とされ、新しい時代が幕を開け、近代の思想が産声を上げたところでもあります。
ルネサンスとは「再生」を意味するフランス語で、人間性の解放をめざす文化革新運動の総称。14~16世紀、イタリアから西ヨーロッパ全域に波及しました。
中世封建社会が宗教的価値観を絶対視したのに対し、ルネサンスは人間の持つ個性や科学的な合理性を尊重。都市部を中心に芸術、学問に大きな影響を与え、西欧近代化の理想的な源流となりました。
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花の聖母教会ドゥオーモ/カテドラーレ Duomo/Cattedrale(Santa Maria del Fiore)
白と緑とピンクの大理石で飾られた華麗なイタリア・ゴシック建築でフィレンツェのシンボル的存在です。
何世紀にもわたって建造された大聖堂ですが、そのドーム状の屋根はブルネレスキの設計によるものです。
ブルネレスキはおよそ18年の歳月をかけて古代ローマ時代以来最大の円蓋を完成させましたが、全体をゴシック様式で造り、内側はモザイク貼りにしようと考えていました。しかし150年後工事を引き継いだヴァザーリとツッカーリは巨大なフレスコ画を飾ることに決めました。最後の審判です。
救世主キリストの像には人間の究極の幸福が表現されています。そして絵の下の部分には地獄が描かれています。悪魔や妖怪の恐ろしい姿は見る者の心に恐怖を植え付けます。
自ら手を下して罪人を罰する悪魔の姿も数年がかりの修復作業によって当時の色合いが蘇りました。
シニョリーア広場 Pizza della Signoria
ベッキオ宮殿前の広場で、貴族たちの館を取り壊して拡張されたものです。
古代からルネサンス様式までの彫刻が並び、まわりにはベッキオ宮やウッフィツィ美術館が建っています。
ウフィツィ美術館 Galleria degli Uffizi
市庁舎とアルノ川の間にあるウフィツィ美術館はメディチ家の行政事務局があったところ。
メディチ家は富の力でありとあらゆる名作を手元に集め、ヨーロッパ美術の名だたる傑作がずらりと並んでいます。
18世紀以降それらの貴重な作品は市の所有物となりました。
まさに芸術の宝庫といえるウフィツィ美術館は時代や種類ごとに分類された数々の名作が収められています。
その中でボッティチェリの作品には専用の部屋が設けられています。
彼はメディチ家とも親しい関係にあり、ボッティチェリの最高傑作といわれるのが、『ヴィーナスの誕生』です。
(写真は大塚国際美術館で撮影)
ポッティチェリ『春』。
メディチ家のロレンツォが従兄弟の結婚式のために描かせた作品だそうです。
(写真は大塚国際美術館で撮影)
遠近法を巧みに取り入れたレオナルド・ダ・ヴィンチの作品も収められています。
受胎告知』は、ダ・ヴィンチ単独の制作による最も初期の作品。
(写真は大塚国際美術館で撮影)
ヴェッキオ宮 Palazzo Vecchio
大聖堂と同じ頃に建てられ、かつてメディチ家の政府が置かれていました。
ベッキオ宮の入口の前にはミケランジェロのダビデ像のレプリカが置かれています。ミケランジェロのダビデ像はルネサンス彫刻の最高傑作とよばれてきました。
サン・マルコ修道院 Museo di San Marco
『受胎告知』などフラ・アンジェリコのフレスコ画を鑑賞できます。
(写真は大塚国際美術館で撮影)
■フィレンツェのホテル:
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