シラーズ Shiraz
イラン南部ファルス地方の都市で、ペルセポリスへの入口です。
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ペルセポリス Persepolis
アケメネス朝ペルシャの都で、征服した国々の文化を巧みに取り入れた壮麗な王宮群が建てられました。
紀元前6世紀に建国されたアケメネス朝ペルシャは、近隣諸国を次々と征服し、瞬く間に一大帝国へと発展。王国の領土はインダス川からアフリカのリビアに広がる広大なものでした。帝国3代目の王・ダレイオス1世が即位した時、ペルシャには既に4つの都がありましたが、ダレイオスは王座につくと、ペルセポリスの建設を命じました。
ペルセポリスとは、ギリシャ語で「ペルシャ人の都市」という意味です。
■ダレイオス1世
アケメネス朝ペルシャ第3代の王。エジプトからインダス川に及ぶオリエント全域を支配、帝国の全盛期を築きました。有能な統治者で、中央集権体制を確立、20余の属州にサトラップ(州総督)を配置、「王の目」と呼ばれる巡査官や蜜偵である「王の耳」を置き、監視体制を強めました。一方、国内の多くの民族に対しては、その文化や宗教を尊重する政策をとったとされています。
ダレイオス1世は、支配下にある他民族を抑圧しようとはせず、むしろその異なる文化を積極的に取り入れました。
ペルセポリスの建設に際しては、様々な国から技術者や労働者が集められました。多様な文化の要素を取り入れることによって、王宮群は建造されました。
ダレイオス1世の宮殿・タチャラ。
タチャラは、ダレイオス1世のプライベートな宮殿で、中央には大広間があり、柱は鏡のように磨かれ、塗料も見つかったことから床に色が塗られていたとも考えられています。
謁見の間・アパダナ。
ペルセポリス最大の建物で、20mの高さの柱が72本、110m四方もの大きさがあります。
ダレイオス1世は支配下にある民族の使節団を迎え入れるために、大帝国にふさわしい立派な謁見の間を造りました。
高く聳える石の円柱がギリシャ神殿を思わせますが、ペルセポリスは信仰のための場所ではなく、式典を執り行うための場所であったという説が有力となっています。
縦横10本ずつ合計100本の柱が並んでいたのが玉座殿。
アパダナの東側にある宮殿で、百柱の間とも呼ばれています。
ペルセポリスにおいて、アパダラに次ぐ第2の規模を誇る宮殿で、この建物も使節団が王に謁見するために使われていたそうです。
玉座殿の北側にある未完成の門。2頭の雄牛の形になるはずでしたが、紀元前330年、未完成のままマケドニアのアレクサンドロス大王によって帝国は滅びてしまいました。

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