ロードス島 Rodos
エーゲ海南東部に位置するギリシャ領の島。ギリシア本土よりトルコからの方が近く、ハイビスカスやバラの花が咲き乱れる“エーゲ海のバラ”と呼ばれるリゾート島です。
紀元前より交易で繁栄しましたが、その覇権を巡って多くの国や民族による抗争の舞台となりました。1309年には聖ヨハネ騎士団の支配下となり、島には強固な要塞都市が築かれました。以後、約200年にわたる統治が続きましたが、1522年、10万人におよぶトルコ軍の包囲攻撃によって陥落、オスマン帝国の領土となりました。
ロードス島の旧市街は長さ4kmの城壁で囲まれ、ヨハネ騎士団が築いたゴシック様式の建造物が数多く残され、中世の雰囲気を伝えています。
■聖ヨハネ騎士団
11世紀の第1回十字軍の頃に設立された最古の騎士団です。
聖地巡礼者の救護を主な任務としていましたが、後に軍事的な性格を強めていきました。13世紀末に聖地エルサレムがイスラム教徒によって陥落したため、騎士団はキプロス島へと逃れた後、14世紀初頭にロードス島に拠点を移しました。ロードス島に移った後も騎士団本来の任務である医療活動は続けられました。様々な国から集結した騎士は総勢約600名。母国語によって8グループに分かれて活動していましたが、16世紀にはトルコ軍に敗れてマルタ島に移住していきました。
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考古学博物館 Archaeological Museum
かつての施療院。
1440年から約50年をかけて建設されました。美しい中庭は2階建てアーチ回廊に囲まれています。
騎士団通り
石畳の通りの両側に騎士団の宿舎が多く立ち並んでいた通り。
様々な国から集まっていた騎士たちは、その母国語によって、プロバンス、オーベルニュ、フランス、イタリア、アラゴン、カスティーリャ、ドイツ、イングランドの8グループに分けられ、各々宿舎を持ち、生活を共にしていました。
騎士団長の館 Palace of the Grand Masters
1856年の火薬庫の爆発で大部分が崩壊し、現在の建物は20世紀イタリア人によって再建されたもの。
国王やムッソリーニの別荘用に建て直されたため、館の内部はイタリア人好みに作り替えられています。
アンボワーズ門
城壁の北西に位置する1512年建造の門。
城壁
1480年5月、ロードス島におよそ10万人のトルコ兵が送られました。
迎え撃つロードス側の軍はわずか600人。
3ヶ月にわたる攻防の末、トルコ軍は撤退していったものの、トルコ軍の大砲によるダメージがあまりにも大きく、ロードス島の城壁はこの包囲戦の後、徹底的に改造されました。大砲の威力に耐えられるよう頑丈に組み立てられ、壁の全長は4km。それまでの高く聳える壁から低く厚い壁へと姿を変え、厚さは最高10mにも及びました。
騎士団の8つのグループには城壁の一定区間がそれぞれ割り当てられ、平時には自ら担当する区間の整備補強を行い、戦時には防御を受け持っていました。
大規模な城壁の建設作業を担ったのは、主にイスラム教徒の奴隷たちでした。
聖地エルサレム解放のためのイスラムとの戦いという大義名分はイスラム教徒への残虐行為を正当化するものとして常に利用されていたそうです。
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