シェムリアップ Siemreap
アンコールワットへの玄関都市。
町の郊外の密林の中におよそ600年間続いたクメール人の王朝アンコール朝の建造物が数多く残されています。
1860年、西洋人として初めてアンコール遺跡を目にしたアンリ・ムオは、その時の感動を「森の奥深く丸屋根や5つの塔をつけた巨大な建物が聳えていた。静寂の空の下、美しくも壮大なこれらの建物と対峙した私は、民族全体の墓を見たような感覚に包まれた。」と記しています。
アンコールの遺跡群は自然の浸食や内戦の影響により一時期崩壊の危機にありましたが、現在では世界各国の協力によって保存・修復作業が進められています。
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アンコール・ワット Angkor Wat
12世紀、アンコール朝最盛期、第18代スールヤヴァルマン2世がおよそ30年の歳月をかけて建造したヒンドゥー教寺院で、クメール建築の最高傑作とされています。
大海に見立てた水鏡が周囲を囲み、寺院全体の構成はヒンドゥー教の世界観を反映し、神々の住むメール山の象徴と言われています。
周囲を取り囲む濠は幅190 m、 全長5.4 km にも及び、約2㎢の面積があり、アンコール建築群で最大の寺院となっています。
ヒンドゥー教のヴィシュヌ神を祀った寺院であると同時に、国王自らが死後に祀られる霊廟でもありました。
『アンコール』とは“クメール”が訛ったもので「都城」を意味しています。
濠を渡りきると、塔門の脇に高さ4mのヴィシュヌ神の石像があります。
ヒンドゥー教のヴィシュヌは宇宙の守護神であり、国王は自らをこうした神々の化身だとしていたそうです。
■ヴィシュヌ神
ヒンドゥー教の主神のひとつで、存続の神。創造神グラフマー、破壊神シヴァと合わせて「三神一体」とされる。ヴィシュヌは宇宙の保持や世界の救済の神とされ、動物や英雄神に姿を変えて悪魔から世界を守ると信じられている。アンコール・ワットは、ヴィシュヌ神に捧げられた寺院で、国王スールヤヴァルマン2世はヴィシュヌ神の化身とされた。
塔門を抜けると塔を含む寺院の全景が目の前に広がります。中央の塔は神々の住む伝説の山メール山を表しています。
寺院まではさらに長さ350mほどの参道が続き、参道の両側に、蛇の神ナーガの欄干や獅子の像などが置かれています。
寺院は左右対称に建てられており、5基の塔を持つ本殿の周囲には3層の回廊が巡らされています。
アンコール・ワットにはクメール美術を代表する数多くの浮き彫りが施されています。
第2回廊から第3回廊へは13mの急な傾斜の石段が続いています。神々の世界を地上に再現したもので、一段一段登っていくことにより天上界へと近づいているという意味があるそうです。
中央の塔の高さは地上から65m。完成当時この塔には国王スールヤヴァルマン2世とヴィシュヌ神の合体した像が置かれていたと言われています。
スールヤヴァルマン2世の死後、仏教徒の国王が現れ、この国の宗教はヒンドゥー教から仏教へと変わっていきました。現在ではブッダの像が納められています。
■アンコール王朝
9世紀はじめにアンコール王朝が開かれ、石造建築群の建設が始まり、12世紀前半、スーヤヴァルマン2世の時代にアンコール・ワットが造営されました。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世がアンコール・トムを造営。強大な力を持ったアンコール王朝も14世紀に入ると隣接国部族との攻防を繰り返し、ついにタイのアユタヤ王国の攻勢を受けて崩壊しました。
■クメール王朝
1150年ごろ、スーヤバルマン2世が建設を進めてきた偉大な石造建築物・アンコール・ワットが完成。スールヤヴァルマン2世が君臨した王朝がクメール王朝です。
アンコール・トム
1181年、チャンパ軍に占領されていた首都を奪還し、ジャヤヴァルマン7世が王位に就きます。彼は隣国による侵攻を教訓に高い防衛機能を持つ新しい都アンコール・トムを築きました。
クメール語で「大きな都市」という意味で、城壁と環濠に囲まれた都市には、ヒンドゥ、仏教のさまざまな寺院が建てられ、当時12万人が住んでいたとされています。
南大門の上には四面仏が鎮座しています。
参道には「乳海攪拌」をテーマにしたナーガを引き合う神々と阿修羅の像が並んでいます。
沐浴場。
門から寺院へ続く参道の途中に造られています。
パプーオン寺院には高さ2mの円柱に支えられた“空中参道”が設置されています。
長さ300m、高さ3mの巨大なテラス。
壁面には象のレリーフが彫られており、かつてこのテラスから王が閲兵を行ったと考えられているそうです。
13世紀にここを訪れた中国の周達観は、著書『真臘風土記』に『象の群れの中に黄金で飾られた1頭の象が現れた。その上にはまばゆく光る剣を手にした王の姿があった。』と記しています。
敬虔な仏教徒であったジャヤヴァルマン7世は、自らをブッダの生まれ変わりだとして12世期末にアンコール・トムの中央に壮大な仏教寺院バイヨンを建てました。
バイヨン寺院はアンコール・トムの中央に位置し、アンコール・トムの遺跡群の中でもひときわ大きなものです。
世界の中心であるメール山を象徴しており、中心塔の高さは45mに及びます。
中心塔の周囲には54もの塔が立っています。
塔の一つ一つに巨大な観世音菩薩の顔が四方向に向けて彫られています。現在170を超える菩薩の顔が確認されているそうです。
他に類を見ないこの独特な建築様式はバイヨン様式と呼ばれており、口元に笑みを浮かべた菩薩の顔は「バイヨンの微笑」と呼ばれています。
タ・プローム Ta Prohm
木の根によって破壊されつつある僧院。
バンテアイ・クデイ Banteay Kdei
「僧坊の砦」という意味の寺院。12世紀の末から13世紀の初めにかけてジャヤバルマン7世が建てたとされています。
東楼門には4面に観音菩薩の像があります。
バンテアイ・スレイ BanteaySrei
バンテアイは“砦”、スレイは“女”で、「女の砦」の意味。
規模は小さいですが、精巧で深く彫られた美しい彫刻が施されています。
フランス人作家アンドレ・マルローが盗み出そうとした「東洋のモナリザ」と呼ばれるデバター(女神)像が祠堂の壁面に施されています。初期アンコール朝の繊細で華麗な彫刻です。
プノン・バケン Phnom Bakheng
夕日に染まるアンコール遺跡群を鑑賞できる丘。
頂上からは、アンコール時代の巨大な貯水池の西バライや、アンコールワット・が見えます。
アプサラ
クメールの古典舞踊で宮廷舞踊。
古代インド神話の天女のことで、アンコール遺跡のレリーフにはさまざまな姿勢で踊るアプサラが彫られています。ポルポト時代の迫害を受けて、一時は滅びたといわれていましたが、処刑から逃れた数人の踊り手によって、復活しつつあります。
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