『日本の城郭を奔る』

【沖縄県の城郭】


 沖縄には2回訪問しているが、世界遺産『首里城』一度登城しただけである。

  

    こんなに数多くの”世界遺産の城跡”『座喜味城』

  

 

             世界遺産『今帰仁城』

 

 

   建築水準の高い”城=グスク”があるとは…、@『勝連城』

 


        A『中城』

 

 

    B『糸数城』などでありもう一度、登城計画を立てて訪問したいと思う。

 


 『沖縄県編』
 所在地  城 郭 名 100
 名城
 築城年代        所    見     【城 の 概 要】   主な遺構
 糸満市
 字大里
 南山城    1300年代  歴代の山南王の居城として栄華を誇ったグスクであるが、歴史上で
 南山王の実態が明らかになったのが、1380年ごろから登場してくる
 承察度(しょうさつと)からで,中国の明の記録「明実録」に記されている
 ことによれば、山南王・承察度は大里按司のことと考えられる。盛んに
 中国との貿易をしていた関係上、ウフサトと読める中国風の承察度の
 名前を使ったのであろう。
 石垣
 糸満市
 喜屋武
 具志川城    1400年代  久米島の具志川城主真金声(まかねくい)按司が伊敷索(いしきなわ)
 按司の二男真仁古樽(まにくたる)按司に攻められて落城し、島を脱出
 して本島に逃れ、故郷と同じ名の具志川城を築いたといわれる。
 曲輪・石垣
 ・城門
 ・火吹き穴
  城壁
 (国の文化財)
 名護市
 名護
 名護城     14世紀  今から約600年前の14世紀頃、名護按司の居城であったと伝えられ
 ている。 
 名護按司は、尚巴志の中山連合軍が今帰仁城(北山)を攻略した際、
 国頭按司(国頭グスク:大宜味村字謝名城)・羽地按司(羽地グスク:
 名護市字親川)とともに参加し、先導役を務めている。琉球では珍しい
 土塁、柵をめぐらし、堀切で守りを固めた城。
 土塁、堀切、
 竪堀、石垣
 浦添市
 伊祖
 3丁目
 伊祖城     13世紀  沖縄最古の貿易港である牧港を見下ろす琉球石灰岩の丘陵上に、
 13世紀頃建てられたといわれる。英祖王統代々の居城といわれ、
 英祖王(1260-99)は、この城で生まれ、以後、5代90年間続いた。
 曲輪、石垣
 
 浦添市
 仲間2
 
 裏添城    1429年前  尚巴志王による琉球統一前の三山時代まで中山王が居城し、中部
 一帯を支配していた。
 石積
 沖縄市
 首里
 当蔵町
 首里城  ◎  1429年  474年に及ぶ琉球統一王朝の「王城」がこの首里城である。
 25人の王がこの城に君臨した。1992年(平成4)国営公園
 として復元され、2000年(平成12)に他のグスク群とともに
 遺構が世界遺産に登録された。【世界遺産】
 再建建造物は
 正殿・門
 ・御嶽・城壁。
 遺構は石門、
 石垣
 国頭郡
 今帰仁村
 今泊
 今帰仁城  ◎  12〜13世紀  北山は尚巴志に1416年(1422年説もある)に滅ぼされるが、北山が
 滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守
 が派遣された。
 1609年の薩摩藩による琉球侵攻の際には、その攻撃の第一目標と
 なった。【世界遺産】
 城壁、石垣
 南城市
 大里
 字大里
 大里城     13世紀  築城年は不明だが、一説では、南山国王である南山城(糸満市
 字大里)の城主(島尻大里按司)が、中山王に対抗するための
 出城として、弟の「汪英紫(おうえいし)」に築城させた城であると伝え
 られている。 
 南山城が別名「島尻大里城」と言うのに対して、大里城は
 「島添大里城」と呼ばれている。大里公園【別名 島添大里城】
 大里城の築城者は玉村按司だと言い伝えがあるが、14世紀には
 島添大里按司の居城でもあったとされている。
 曲輪・石垣
 ・井戸
 島尻郡
 八重瀬町
 字具志頭
 具志頭城     14世紀  具志頭城は、14世紀の中期頃に英組王統第二代大成王の
 大三子具志頭按司が築城。城跡は公園化されている。
 石垣
 島尻郡
 佐敷
 字佐敷
 佐敷城    14世紀初め  尚思紹の父・佐銘川大主は、伊平屋島字我喜屋集落の屋蔵大主の
 敷地で屋蔵大主の長男として生まれ、のちに伊是名島に移住した。
 弟は田名グスク(伊平屋村字田名)の田名大主として屋蔵大主の
 後継者となった。
 石段・井戸
 中頭郡
 北中城村
 字大城
 中城城  ◎  14世紀後半  14世紀後半ごろ先中城按司(さちなかぐずくあじ)が数世代にわたり
 南の郭、西の郭、一の郭、二の郭の主要部分を築き上げ、1440年
 に読谷の座喜味城から移ってきた尚巴志の家臣、護佐丸盛春によって、
 三の郭、北の郭が増築され現在の形が完成したようだ。
 増築されたその部分の城壁は「相方積み」という高度な技法で積み
 上げられている。また、裏門以外に一の郭の2つの城門がアーチ式門
 となっていることから、その時同時に殿舎のある一の郭の城門をアーチ式
 に改築したと考えられる。
 そして、1458年に護佐丸は王府軍としてやって来た阿麻和利の策略
 (首里王府の策略という見方もある)に攻められ自害して滅びる。
 その後、「中城王子の居城」… 島津侵入(1609年)後は「番所」
 廃藩置県(1879年)後は「中城村役場」として戦前まで利用されてきた。
 本丸・二の丸
 ・三の丸
 ・井戸、石門、
 城壁、石垣
 南城市
 玉城
 字糸数
 糸数城     14世紀  築城年代は明らかではないが、伝承によると今から約660年前の三山
 (沖縄本島を支配した北山王・中山王・南山王という三人の強力な
 首長のこと)分立の初めころ、玉城城にいた玉城按司が西方への守り
 として次男を大城按司に、三男を糸数按司に任じてそれぞれ大城城
 (島尻郡大里村)と糸数城を築かせたと言われている。 
 築城の際、糸数グスクの北北東側約100mにある根石(にーいし)
 グスクを根城としたとして、元グスクとも称されている。 
 落城については、糸数按司の臣下で兵頭役を務めていた怪力無双の
 「比嘉ウチョー」が、増築に必要な用材等を求めて国頭地方に行った
 留守を見計らって、上間按司が急襲したため落城したと伝えられている。
 曲輪・石垣
 ・城門
 島尻郡
 玉城村
 字玉城
  城門原
 玉城    12世紀頃?  琉球開闢の神「アマミキョ」が築いたとされ、もっとも古いグスクだとも
 いわれている。14世紀になって戦で滅びた。
 自然石の
 くり抜き門
 島尻郡
 知念村
 字知念
上知念田原
 知念城    12〜13世紀  伝説によると、古城は天孫氏時代の築城と伝えられ、12世紀末〜
 13世紀の築城と考えられており、沖縄の人々にとって知念城は、心の
 拠り所の聖地となっている。 
 新城は、第二尚氏王統の尚真王(在位1477〜1526年)の代に、
 「内間大親」が築城したと伝えられ、15世紀後半の築城と考えられ
 ている。
 アーチ型門、
 城壁
 うるま市
 勝連
 南風原
 勝連城    13〜14世紀  13世紀-14世紀に茂知附按司により築城されたという。この城の
 最後の城主が阿麻和利である。阿麻和利はクーデターを起こして
 この地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球
 王府によって滅ぼされた。
 聖所を取り巻く形で石垣を積み城塞(じょうさい)化したものが勝連城
 であった。
 石垣、郭
 中頭郡
 北中城村
 字安谷屋
 安谷屋城     ???  中城若松(別名安谷屋の若松)は、この地に生育し、長じて首里に
 召され、真和志間切上間村の地頭職に就き、章氏の始祖となり、
 没後この地に移葬されたと伝えられる。
 石垣
 中頭郡
 読谷村
 字座喜味
 座喜味城    15世紀初め  15世紀の初頭、築城家としても名高い読谷山按司護佐丸によって
 築かれたといわれる。護佐丸は当初、座喜味の北東約4kmにある
 山田グスクに居城していたが、1416年(1422年の説もあり)中山
 尚巴志の北山城(今帰仁城)攻略に参戦し、その直後、地の利を
 考慮し座喜味へ築城したといわれる。【世界遺産】
 城壁、
 アーチ門、石垣
 《高さ12-13m》