Travel Article of Vietnam (Aug. 2000) ・・・ 3/4


3. Hue ; Dai Noi and Boat Trip

いよいよフエに。カフェのバスで、マーブルマウンテン経由で向かう。ホイアンから約6時間。
フエは、かつての王都で、日本の京都のようなもの。王宮が残り、ホー・チ・ミンが通った学校もある。フエで行ったのは、初日は王宮見学。2日目はボートトリップで郊外の帝廟を見学。3日目はDMZツアー。
右の写真は、途中で立ち寄ったマーブルマウンテン山頂近くの洞窟。
岩の隙間から光が差し込み、けっこう神秘的。


〔フエの王宮〕
フエはかつてのグエン朝の王都で、壮大な王宮がある。フエに着いて、とりあえずこの王宮を見に行った。 フエは、1968年1月の北ベトナム軍のテト攻勢による攻防戦で破壊しつくされ、約1万人の人が亡くなった。その大半は一般市民である。また、北ベトナム軍が占領したあと、反共思想の持ち主であるとされたベトナム人がたくさん処刑された。

王宮門から見た大和殿。
皇帝の即位式が行われた建物。
王宮の建物があった場所。
いまは平地になっている。

〔 Boat Tour 〕
小型の船で5つの帝廟をまわるツアー。参加料はUS$2でずいぶん安いと思ったが、4つの帝廟で入場料が必要。US$5。さらにそのうちの2つはバイクタクシーが必要となり、ずいぶん高いものになってしまった。また、暑くてとても疲れた。各寺院,帝廟は広いので結構歩かなければいけない。せっかくここまで来たのだから見なくてはという貧乏根性だけで行動していたような気がする。しかし、船のおばちゃんが作ってくれた昼飯はとてもおいしかった。

(1) Thien Mu Pagoda
1963年、南ベトナムの残酷な支配者ゴ・ディン・ディエムに対し、抗議の焼身自殺をしたティック・クワン・ドゥク師がいた寺。八角形のレンガ製七重の塔が有名。 寺には、ドゥク師が使ったオースチンが展示されている。師は、この車を運転してサイゴンに向かい、ガソリンをかぶって焼身自殺した。写真は世界中に配信された。憶えている方も多いと思う。

(2) Tu Duc Tomb
It takes about 5 minutes from a harbor by motorbike taxi. It is very beautiful.

この奥が皇帝の墓

(3) Khai Dinh Tomb
A mortorbike taxi is needed here as well. 建物の装飾が素晴らしかった。石段の手すりには龍が刻まれ、目玉も入っている。

(4) Minh Mang Tomb
When I visited there, many places were under construction. 一番奥に三日月形の池があり、その向うがミンマン帝が眠る廟になっている。(右の写真)

(5) Hon Chen Temple
川沿いにある。入場料は$2.5ぐらいだったか。小さい寺で、見るものはあまりなかった。

4. Hue ; DMZ Tour

DMZ stands for Demilitarized Zone. 旧南北ベトナム国境となった北緯17度線のベンハイ川両岸4kmずつの、ジュネーブ協定によって設けられた緩衝地帯のこと。ツアーは、このあたりのベトナム戦争の激戦地跡を回る。フエから1号線を北へ向かい、ドンハの町で、焼け落ちた教会跡を見学。その後朝食をとり、9号線を西、ラオスに向かって進むと、米軍の砲撃基地のあったロックパイルという山がある。さらにラオス方面へ向かい、かっつての北ベトナム軍の補給路であったホーチミンルート。(今は舗装された道路になっている。)そのすぐ近くには少数民族の村があって、見学も可能。そして米軍のケサン基地跡。1号線に戻って、ベンハイ川、そしてビンモックトンネルでこのツアーは終了。

( Please click photos. )
(1) Frame of a church
A church destroyed in Dong Ha town. Many bullet marks show hot battles took place.

(2) Rock Pile
高さ230mの岩山。戦略上の重要な地点で、米軍は頂上に監視塔を設け、後に砲撃基地に拡大された。 The view of hills around Rock Pile.

(3) Khe Sanh Combat Base
1968年、北ベトナム軍と77日間にわたる戦闘が繰り広げられた。米軍は基地を死守したが、その2ヶ月後に基地は放棄された。今は赤土の平地になっている。戦車、曲射砲、弾丸等が地面においてある。

(4) Ben Hai River

(5) Vinh Moc Tunnels
クチトンネルが戦うために作られたのに対し、ビンモックトンネルは人々が生活するために作られたという説明だった。クチトンネルと比べると、広いし快適だ。とはいえ、当時はろうそくしかなかったわけで、それを考えると・・・。
中に入るとひんやりする。このトンネル内で17人の子供が生まれたという。