タイトルは南アフリカですが、ここで紹介するのは「ソウェト」です。
南アフリカには仕事も含め3度訪問している。私が旅した他のアフリカ諸国と比べて、経済的に最も発展しており、都市の風景,道路網なんかは格段の差がある。観光地もケープタウンをはじめ有名なところがたくさん。しかし、私が一番訪問したかったのは、このソウェトである。
ソウェトとは、Soweto = South-Western Townships の略で、その名のとおりヨハネスブルグ南西にある、南アフリカ最大の黒人居住区で、東京23区ぐらいの大きさに、推定200万人に人達が住んでいる。ここにかつては、ネルソン・マンデラ氏,氏の前妻ウィニー,ツツ大司教も住んでいた。
2002年に開催された環境開発サミット関連のニュースでも、ここソウェトのことが度々取り上げられてたので、新聞やTVで見られた方もいると思います。人々の住んでるところを興味本位で覗きに行くのはどうか、という気持ちもあったが、ここを見ずして南アフリカは語れないと思っていたので。
訪問は2002年8月3日。ガーナへ行くのに南アフリカ経由で行ったので、乗り継ぎの関係で2日ほど南アフリカに滞在する時間があった。早朝にヨハネスブルグの空港に着き、そこでバックパッカー宿の客引きに出会い、彼の「AFRICA CENTRE」という宿に泊まることにし、着いたらすぐにソウェトツアー参加申し込みをした。私が選んだのはソウェト&ヨハネスブルグ市内見学がセットになったツアー。
朝9時過ぎに迎えの車がやってきた。オンボロの小さい車に、黒人運転者と2人のツアー客が乗っている。私の宿からは、私を含め3人が参加する。この小さい車に6人がぎゅうぎゅう詰めになりながらソウェトへ向かった。ツアー客は、日本人2人(偶然),イタリア人,ドイツ人,オーストラリア人である。
最初に着いたのは、けっこう裕福な家。ここは昔は役所の建物だったという。小さな家だが中は綺麗で、テレビもある。ベッドルームが2つ。彼と子供2人が住んでいる。井戸があって、私達は顔を洗って水を飲ましてもらった。
次に行ったのは、最貧層の人達が住む地域。写真のようなトタン板で作った家がびっしり建ち並んでいる。私達が車から降りると、子供達が現れ、私達の後をついてくる。とても人懐っこい。
ここを後にし、ソウェト内を移動。ソウェトの中でもかなり貧富の差があるみたいで、中〜上級の綺麗な家が建ち並ぶ地区を横目で見て、またかつてネルソン・マンデラが住んでいたという家の横をとおり(たくさんの観光客が訪問しているようだった。私達はなぜか行かなかった。)、ソウェト蜂起のモニュメントのある場所に着いた。
この写真は、ソウェト蜂起のモニュメントです。「ソウェト蜂起」とは、
76年6月16日、学校の授業におけるアフリカーンス語(主に白人移民が話す、オランダ語に各種言語が混じったような言語)強制に反発するソウェトの学生,少年達約1万人が抗議のデモ行進を行ったが、それに警官隊 が発砲し、約300人が死亡(本によって数はまちまち)。これがソウェト蜂起であり、その後、騒乱が南アフリカ全土に拡大した。
私達を案内してくれた運転手兼ガイドは、ソウェト在住の黒人だった。その彼でさえ「旅行者単独で行くのは危険すぎる。」という。“犯罪発生率が高く危険な地域”ということで、現地旅行会社が主催するツアーに参加するのが一般的。ヨハネスブルグ近郊の宿であれば、ほとんどが手配してくれるはず。
もうひとつの方法が、現地の黒人の友達を作って、連れていってもらう。これができれば一番いい。
一緒に行ったイタリア人と話しをしたのだが、私達が宿泊したヨハネスブルグ郊外の宿及びその周辺は白人の住宅街で、超高級住宅(日本から見て)が建ち並ぶが、家の周囲は塀と有刺鉄線で囲まれ、まるで軍事基地のよう。そして少し離れると、黒人達が住むぼろぼろの家がある。なんていびつな国なんだろう、と。
南アの非黒人に私が「ソウェトに行く。」というと、「なぜ行くの?」「気が狂ったか?」「死にたいのか?」等々の反応が返ってくる。私が見たかぎりでは、人々はフレンドリーで危ない感じはなかった。しかし、観光客用の限られたルートであり、時間にしてもソウェトに居たのは2時間ぐらい。こんな短時間の訪問でソウェトのなにがわかったというのか。こんな旅行記を書くのはおこがましい。もっとじっくり滞在してみたいものだ。
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