ムアンシンからルアンパバーンへ戻るルートは、シェンコックまでバスで行き、そこからボートでファイサーイを経由して帰ることにした。来たのと同じルートをあの満員のトラックバスで帰るのはしんどい。心配は飛行機のでる5月6日までに着けるかということ。(ムアンシン発は5月3日)特にシェンコックからのスピードボートがどのくらいの頻度ででているのかまったくわからなかった。
出発のバスの乗客が集まらず、いきなり2時間遅れ。もう一人、ファイサーイに行くという日本人がいて、最悪2人でボートをチャーターしようという話になった。途中でバスを乗り換え。トラックバスから、古い中国製小型バスへ。おんぼろとはいえ、久しぶりのクッションのついたシート。すごく快適、超高級車に乗った気分。
約3時間半、午後2時過ぎにシェンコック到着。どこにボート乗り場があるのかさっぱりわからない。2人でうろうろしてたら、若い男が現れ、ボートをだしてやってもいい、しかし途中のバーンムアンという町までしか行けないという。ここにいても仕方がないので値段交渉する。2人だからある程度高くなるのは仕方がないとあきらめ、1人US$22とした。いざボートにいったら、どこからかラオス人乗客があらわれる。2人で貸切じゃなかったのか、もっと安くしろといったがつうじない。この交渉をしている間に他の乗客はボートに乗ってしまっている。我々は一番前に座ることに。これがまた悲劇のはじまり。この日はあいにくの雨で、一番前の席はまともに雨風を受けることになる。
2時間半後、バーンムアンに着いたときはびしょ濡れ。ふらふらになってゲストハウスを探し当てた。とても寒いのでホットシャワーを浴びたかったが、この町も電気が夜6時から9時ぐらいまでしかこないから、そんなものあるわけがない。部屋に衣服をひろげて乾かし、明日は晴れることを祈って寝た。
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ルアンパバーンへ行く途中のメコン川の景色 |
この日はスピードボートに8時間乗っていたわけだ。ボートを降りてトゥクトゥクで市内へ。宿は郵便局の近くのソークサバット ゲストハウスへ。15,000kip,なんとお湯シャワー(共同)がある。今回はここに2泊。ラオス最後の宿である。
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ラオラーオ製造中 |
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ボートからみた洞窟入口 | 洞窟内にある仏像 |
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洞窟内にある仏像群。かつては37,000体あったらしい。 | |
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上側の洞窟の入口 | 入口にある、腹のでた仏像 |
この翌日の昼過ぎにルアンパバーンの空港へ行き、ビエンチャン−バンコクへ飛び、そして翌日の朝、無事に日本に帰国しました。
今回は広いラオスのほんの一部をまわったに過ぎず、まだまだ知らないことが多いです。ベトナム戦争中にアメリカ軍が落とした数多くの爆弾は、不発弾としていまも人々の生活を脅かしているという。ラオスに落とされた爆弾の総量は、北ベトナムのそれより多いのだ。戦争に巻き込まれたモン族の悲劇(アメリカ軍に利用され、共産勢力と戦ったが、米軍の撤退が決まると見捨てられらた。)など、あまり知られていない事実がたくさんあります。しかし、それらを感じさせないほど、ラオスの人達は明るく親切でたくましかったです。
ラオスでは日本人も含め外国人旅行者がたいへん多く、日本人に会わない日はなかった。これは以外だった。でもそのおかげで様々な人に出会い、いろんな経験ができました。旅で出会ったラオスの人々、旅人すべてに感謝します。
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