北の国から 夏海編

第1話・・・最北を目指せ!苫小牧〜稚内〜富良野〜夕張

10月10日、3時。苫小牧市某アパートの駐車場で、僕は愛機テラノのエンジンを始動させた。
まだ夜明けには遠い暗闇の中、QD32は低く、しかし確実な鼓動でテラノを眠りから覚ました。
最低限のキャンプ道具は既にラゲッジに積み込んである。出発である。
外気温は2℃、季節は秋であるが既に初冬の寒さである。
R36から道央道苫小牧東ICへ、道央道を北上し札幌市街を左に見ながら旭川方面へ。
岩見沢から先は濃い霧が行く手を阻む。たまらずFOGを点灯しアクセルを緩めると、地元ナンバー車が
ブチ抜いて行く(--;走りなれた人にとっては、霧など日常茶飯事なのだろう。
途中、深川から留萌道へ入り日本海方面へ向かうが、まったく霧は晴れない。
R233でふと気がつくと霧が晴れた!海は近い!そして6時30分、「夕焼けの街、留萌」到着(^^;
留萌灯台前にて日本海を望む
夕焼けの街で朝日を見るというのも、まあナンであるが良しとしよう(苦笑)
日本海沿いにR232を北上、苫前付近で大きな風車が何基も出現した。風力発電の風車である。

良く見えないけど、右手の山に風車が6基(7時30分)

TVなどで見たことはあったが、実物は圧巻の一言である。
天塩から国道を離れ、海沿いの道道を走る。信号なんかひとつも無い、まさに弾丸道路だ。
ついでに民家も無いから飛ばし放題なんだが、事故ッたらどうなるんだろう?
途中、サロベツ原野駐車公園で休憩。もう、北緯45度だ!(10時)
雲中の利尻富士を望む(見えないけど)
稚内はもうすぐだ!アクセル踏む踏む、スピード出る出る、ここは一般道(^^;
程なくノシャップ岬に到着(10時40分)

ノシャップ灯台前にて

稚内市街を通過して最北端の地、宗谷岬へ。
右手に宗谷丘陵を見ながらひたすら走る。海岸から急激に数十mの勾配があり、その上は平地である。
高い木は全く無く、せいぜい人間と同じ程度の木が有るだけだ。
それほどここは風が強いのである。この後、身をもって思い知らされる・・・
そして第一の目的地、宗谷岬に到着(11時30分)
祈りの塔前にて
宗谷岬はモニュメント類の多さが目に留まる。
有名な北極星を象った「日本最北端の地の碑」、その横に「間宮林蔵の像」、平和公園に上ると
大韓航空機撃墜の慰霊塔「祈りの塔」、日露戦争時にバルチック艦隊を監視した「旧海軍望楼」・・・
一通り見て回ってから、売店で「日本最北端到達証明書」を購入。
次は寝床探しである。日本最北のオートキャンプ場「宗谷ふれあいキャンプ場」に確認TELすると、
さすがに時期外れのためか、ガラ空き(^^;早速、買い出しをして向かった(15時30分)
オートサイトに設営、気になるのは他のキャンパーでテントなのは1組だけなこと。
それ以外は全てコテージに泊まっているようである。おいおい、連休だぞ??

これがおいらのソロキャンプ装備

さすが最北の地、風が強い!いつも以上にテントのタイダウンをして、夕食の準備・・・ところが、だ!
肉を焼く為の炭火が、風が強すぎる為に安定しない。コンロの火まで消えそうだ。
ラジオを付けると「宗谷地方、強風注意報発令中!!」
ようやく解かった!風が強いからテントが少ないんだ!!夜が更けると共に、風は強くなる。
テントは今にも飛びそうなバタつきを見せ、愛機テラノをも横揺れさせるほどの突風が吹く。
泣く泣く撤収して車中泊と相成ったわけである(苦笑)

10月11日6時30分、起床。風は止んでいなかった・・・

風吹き止まぬ宗谷ふれあいキャンプ場。朝食もままならず、昨夜車に詰め込んだ
キャンプ道具を整理する。8時、チェックアウト。
R238で再び宗谷岬を通過し、オホーツク海へ。更に人通りも車も少なくなり、9時に猿払到着。
道の駅で一服していると、バイクツーリスト一行がシャッターを押してくれとのことで快く応じる。見れば、
川崎ナンバーのバイク。まあ良く来たねぇ。
更に南下し、9時45分白鳥飛来地として有名なクッチャロ湖に到着。
まだ、白鳥飛来には早いようだ
10月下旬には、白鳥や尾白鷲なんかで賑わうのだろうか?21世紀も鳥たちの楽園として保存してほしい。
浜頓別市街からR275で内陸部へ入る。余談ではあるが、1週間後に仕事で浜頓別に来た人の話では、
「大雪で大変だった」とのこと(^^;北海道は10月に入ると、天気予報から目が離せない。
10時10分頃、中頓別まであと少しという所で、ちょっとした公園前を通過・・・するつもりが、目がテンになり
急遽Uターン!おいらの目に飛び込んで来たものは・・・

ロッキードF−104Jスターファイター!

中頓別寿公園という、遊具もたいしてない公園だが、このマルヨンが中央に鎮座している様は異様。
傍らに「自衛隊の皆さん、ご苦労様」の立て看板(^^;北海道では、自衛隊と民間とは良い関係なんだと
再認識。話が逸れたが、当のマルヨン。説明文には千歳の第二航空団から寄贈されたとなっている。
エンジンは無いが、コックピット内は計器類がほぼ残っており、マーキングも実機のままと、マニアには
垂涎の機体であった。惜しむらくは、もう少し保存をちゃんとして欲しいもんだ。
思わぬところで道草してしまった(^^;今日の目的地である富良野まではまだ遠い。
R275を更に南下。音威子府を通過しR40で美深、名寄、士別と行く。この辺は民家も店も車も多く、
「街」である(^^;交通量が激増した(と言っても、内地のそれとは比較にならんが)R40をうんざりしながら
旭川方面へ。天候も怪しくなってきたので、寄り道せずR237を一路富良野へ。
美瑛から深山峠を越えれば、もう富良野だ!遠くには冠雪した十勝岳が見える。
15時、富良野到着と時を同じくして、小雨がパラついてきた。先ずは寝床の確保だが、雨は徐々に雨脚を
強める・・・今夜も車中泊と決めるが、場所は何処が良いか?キャンプ場マップを見ると、バイカー&チャリ
ダーのメッカ「鳥沼公園」が近いので、そこに決める。買い出しをして、ハイランドふらの温泉でくつろいで
鳥沼公園の駐車場へ車を止める。この頃になると外は土砂降りになっていた。
鳥沼公園キャンプ場入り口、木立の奥には無数のテント
10月12日早朝、バイクのエンジン音で目がさめる。ふと外を見ると、駐車場一杯が大小バイクだらけ!
このキャンプ場は前述の通り、バイカーのメッカでしかも長期滞在するらしい。場内にはドカシーを天幕に
中にソロテントというのが無数にあり、昼間は無人なのだ。トイレに行くとその訳がわかる。
壁一杯に「求人広告」の張り紙。皆、ここに滞在して、地元の農家などでバイトして過ごすらしい。
そうこうしてるうちに、皆さんご出勤されて、また場内はガランとしてしまった・・・
昨日と打って変わった晴天の中、おいらも8時に出発。今回の第2の目的地、麓郷の森へ。

黒板一家の「丸太小屋」(連ドラ使用)

当ページのタイトルになっている「北の国から」は北海道富良野を舞台にした有名なドラマです。
おいらも「北の国からフリーク」なもんで、ここだけは外せまい!ってことで来ました。
黒板一家の「風車小屋」(丸太小屋焼失後使用)
中に入ると、ドラマの中へ引き込まれるような感覚を覚えて、懐かしくなってきました。さすがに放映開始(’81)
から20年近く経つので、痛みも激しいのですが、フリークとしてはこうして保存してもらっているだけで嬉しい
もんです。ただ、何処にでも心無い人たちはいるもんで、落書きやキズが目立つのが残念でなりません。

黒板五郎の「石積みの家」(’95秘密以降使用中)

’98時代の後も物語は続く様で、石の家の周囲には立ち入れないようになっています。
次回作に期待しましょう!倉本さん、これからも感動する作品を作ってくださいね。
さて、これで今回の目的は達成されたわけだが、このまま帰るにはもったいないので、寄り道することにした。
R237を南下し、日高からR274へ。目的地は夕張である。
幸福の黄色いハンカチ想い出広場
夕張といえば「幸福の黄色いハンカチ」である。炭鉱全盛期の頃は、こんな長屋がいくつもあったのだろう。
一番奥に倍賞千恵子が高倉健を待つ為に上げた無数の黄色いハンカチが今も旗めいている。

マツダ ファミリア

長屋の中には、武田鉄矢と桃井かおりのファミリアが展示され、壁には訪れた人が黄色い紙に思い思いに
願いを書いて貼りつけてある。おいらも御多分に漏れず・・・(^^;
この後は、夕張ユーパロの湯で疲れを取って、開通したばかりの道東道(夕張〜千歳JC)を通って、苫小牧へ。
3日間の走行距離は1146kmでした。

第3話は、襟裳岬を目指します。