田原愼司  S日浅一郎  C山浦 浩  R鴨川比呂志  L福島源彰(主将)  L吉岡久博(副将)  S田中 徹  R前田 隆  Re川崎 正道(副将) L金内 信二  Re大神正道  Re神崎隆男  C今林大智  Re松尾勝一  L相園啓文  C三角寿人  L梅原嘉文  M金岡 健治
L=レフト(エース)、C=センター、R=ライト、S=セッター、Re=レシーバー、M=マネージャー


 
昭和55年7月20日  筑陽高校

○1回戦  不戦勝
○2回戦
  修猷館 2−0 東福岡
○3回戦
  修猷館 1−2 糸島農
 天窓から光がスポットライトのように明るい体育館。3年生が引退した後であり、ほとんどのメンバーが公式戦初出場とあって緊張した。しかも、3回戦の相手糸島農業のメンバーはほとんどが3年生。相手は決して強くはなかったが、こちらが浮き足だち、あまり良いところなく敗れた。

 
1回戦 昭和55年11月22日  香椎工業高校
   2・3回戦 昭和55年11月23日  博多高校

○1回戦
  修猷館 2−1 福岡第一
○2回戦
  修猷館 2−0 西陵
○3回戦
  修猷館 0−2 博多
 当時力をつけていた福岡第一高校をフルセットの末振り切る。相手はこちらを見下していただけに快心の勝利だった。次の西陵高校は楽勝(1セットは0点ゲームだった)。博多戦は両エースの強打がことごとくブロックにつかまり、通用しなかった。両セットともこちらの得点は5点で善戦できなかった。博多高校は直方高校とともに全国大会の常連であり、シード権奪回の厚い壁であった。


1回戦 昭和56年5月23日  博多高校
  2・3回戦 昭和56年5月24日  筑紫丘高校

○1回戦
  修猷館 2−0 筑紫中央
○2回戦
  修猷館 2−0 筑紫丘
○3回戦
  修猷館 0−2 博多
  1.2回戦は楽勝。2回戦の筑紫丘高校は目立たないがまとまった良いチームであった。地区ベスト4(シード)をかけた相手はまたも博多高校。くじ運の悪さを嘆きながらも全力でぶつかった。前回よりも善戦したもののやはり壁は厚かった。この大会は、主将福島の体調が悪く(ヘルニア)、鴨川をレフトにコンバートし、入学したての1年生吉田を起用した。


昭和56年6月13・14日  修猷館高校

○1回戦
  修猷館 2−0 大濠
○2回戦
  修猷館 2−0 春日
○3回戦
  修猷館 2−1 九産
○準決勝
  修猷館 0−2 香椎工

○三位決定戦
  修猷館 0−2 福岡第一

  負ければ引退の最後の公式戦。今度のシード校は博多高校でなかったものの地区2位の九州産業高校。練習試合でも1セットも取ったことがなく、九産にはジェットと呼んでいた人並みはずれたジャンプ力を持つエースがいた。1セット目は山浦のクイックとブロックで主導権を握り、鴨川の軟弱(笑)攻撃で先取した。2セット目は簡単にとられ、迎えた第3セット。流れを断ちきれず、いきなり0−7のスコア。3−10となったところで、病み上がりの福島を投入。これの交替が当り、福島の執念のスパイクで、11−11のタイスコアに。ここで又も福島がサービスエース。最後は相手のアタックがラインを割った。最後の最後で念願のシード権を奪回した。今でも忘れることができない試合である。また、母校で大会が行われたため、多くの友人が応援に駆けつけてくれて、僕達を後押ししてくれた。


昭和56年6月20日  小倉高校

○1回戦
  修猷館 1−2 直方
  2年ぶりの県大会。相手は県優勝の常連直方高校であった。1セット目は4-15で簡単に取られたものの、2セット目は一人時間差攻撃がおもしろいように決まって逆に15−11で取り返した。当時、福岡のチームでは一人時間差を使うところはなく、直方も面食らった感じであった。第3セットは最後までブロックの応酬で粘ったが、最後は実力差が出て振り切られた。しかし、常勝の直方高校から1セットを奪ったことはかなり衝撃的であったと思う。この試合をもって僕達は引退した。