エネルギー。使うのは私たち。選ぶのも私たち。

演題について       
ο エネルギー問題に関して、使う側は「自分には関係ない」
といった無関心、逆に供給側には「俺たちが供給してやってい
るんだ」といった奢りがあるように自分には見受けられるため、
「お互いが目線を同じにして話をしましょう」という意味で今回の
演題にさせていただいた。
               

核燃料サイクル機構について
ο 核燃料サイクル機構の「サイクル」という機関誌があるが、
最近編集のお手伝いをしている。私が手伝う前は表紙の写真を
プロの写真家にお願いしていたが、今回から東海村のサイト近く
に暮らすアマチュア写真家の写真を募集した。(表紙のコスモス
を指して)プロの写真家はこんな暖かい写真は取れないものだ。
この辺の読み手に訴えるという配慮がまだまだ足りないというの
が実感である。世間に核燃料サイクル機構の意識の変化をアピ
ールするにはどうしたらよいかを全員でこれからも考えていかな
ければならない。

ο外から見た核燃料サイクル機構はどうなのか、つまり国民か
らどう見えているか、外に対してどれだけ窓が開かれているかと
いうことが重要である。今までは、ややもすると原子力関係者は
お互いの情報交換(傷の嘗め合い)に終始していたきらいがある。
旧「動燃」時代からすると、格段の意識改革がなされているし、
情報公開も進んでいるが、あとは表現力の問題であると思う。
                   
メディア対応
ο先日仕事でアメリカを訪問した時に興味深い話を聞いた。JCO
事故や雪印乳業などのマスコミ対応の話で「日本はメディア・トレ
ーニング(メディアに対してどう対処するか)をやらないから、そうい
う問題が起きて当然だ」と米の友人が言うのである。米では
メディ
ア・トレーニング
を行う教室があり、企業トップやメディア関係
者はそこで訓練を受けている。自分もメディア側にいた人間だから
よくわかるが、TVには「いただきの絵面」というものがある。いわ
ゆる「つい」とか「うっかり」といった類である。何時間話をしても「い
ただきの絵面」を撮られれば、放映されるのはその場面のみである。
取材するメディア側にも問題はあるが、取材を受ける側も取材を
受ける前に「何の取材であるのか」「どういう意図の番組であるの
か」「ねらいは何なのか」「実際に放映されるのは何分なのか」など
をキチンと聞くことで対処可能である。例えば、放映が1分間で
あれば、自分の意見・主張を1分間にまとめて話せば良い。「たく
さん撮って良いところだけ使うから」というのが一番危ない。

ο原子力関係のメディア対応を見ていると、やはり「いただきの
絵面」が多いし、間違った情報に対して的確に対応する姿勢(正しい
リアクション)に欠けていたように思われる。「原子力ありき」での
発言も目立っている。やはり、目線を視聴者と同じにした内容で
簡潔にスピーディに発言することが肝要ではないか。

最後に
ο原子力に携わる者が皆同じ認識で、自分たちが行っている事業
についてキチンと説明ができないといけない。去年のJCO事故の
後のアンケートを見ても原子力を継続すべきとの意見は極端には
減っていない。今後とも私たちの地道かつ効率的な啓蒙活動が
必要なのである。