エネルギー。使うのは私たち。選ぶのも私たち。
●演題について
ο エネルギー問題に関して、使う側は「自分には関係ない」
といった無関心、逆に供給側には「俺たちが供給してやってい
るんだ」といった奢りがあるように自分には見受けられるため、
「お互いが目線を同じにして話をしましょう」という意味で今回の
演題にさせていただいた。
●核燃料サイクル機構について
ο 核燃料サイクル機構の「サイクル」という機関誌があるが、
最近編集のお手伝いをしている。私が手伝う前は表紙の写真を
プロの写真家にお願いしていたが、今回から東海村のサイト近く
に暮らすアマチュア写真家の写真を募集した。(表紙のコスモス
を指して)プロの写真家はこんな暖かい写真は取れないものだ。
この辺の読み手に訴えるという配慮がまだまだ足りないというの
が実感である。世間に核燃料サイクル機構の意識の変化をアピ
ールするにはどうしたらよいかを全員でこれからも考えていかな
ければならない。
ο外から見た核燃料サイクル機構はどうなのか、つまり国民か
らどう見えているか、外に対してどれだけ窓が開かれているかと
いうことが重要である。今までは、ややもすると原子力関係者は
お互いの情報交換(傷の嘗め合い)に終始していたきらいがある。
旧「動燃」時代からすると、格段の意識改革がなされているし、
情報公開も進んでいるが、あとは表現力の問題であると思う。
●メディア対応
ο先日仕事でアメリカを訪問した時に興味深い話を聞いた。JCO
事故や雪印乳業などのマスコミ対応の話で「日本はメディア・トレ
ーニング(メディアに対してどう対処するか)をやらないから、そうい
う問題が起きて当然だ」と米の友人が言うのである。米ではメディ
ア・トレーニングを行う教室があり、企業トップやメディア関係
者はそこで訓練を受けている。自分もメディア側にいた人間だから
よくわかるが、TVには「いただきの絵面」というものがある。いわ
ゆる「つい」とか「うっかり」といった類である。何時間話をしても「い
ただきの絵面」を撮られれば、放映されるのはその場面のみである。
取材するメディア側にも問題はあるが、取材を受ける側も取材を
受ける前に「何の取材であるのか」「どういう意図の番組であるの
か」「ねらいは何なのか」「実際に放映されるのは何分なのか」など
をキチンと聞くことで対処可能である。例えば、放映が1分間で
あれば、自分の意見・主張を1分間にまとめて話せば良い。「たく
さん撮って良いところだけ使うから」というのが一番危ない。
ο原子力関係のメディア対応を見ていると、やはり「いただきの
絵面」が多いし、間違った情報に対して的確に対応する姿勢(正しい
リアクション)に欠けていたように思われる。「原子力ありき」での
発言も目立っている。やはり、目線を視聴者と同じにした内容で
簡潔にスピーディに発言することが肝要ではないか。
●最後に
ο原子力に携わる者が皆同じ認識で、自分たちが行っている事業
についてキチンと説明ができないといけない。去年のJCO事故の
後のアンケートを見ても原子力を継続すべきとの意見は極端には
減っていない。今後とも私たちの地道かつ効率的な啓蒙活動が
必要なのである。