八千代の俳人たち その4
 八千代市の俳額6枚他に載る俳人たち

 明治23年から38年までに八千代市の各神社に奉納された俳額は飯綱神社2枚、高本八幡神
社、駒形神社、吉橋八幡神社、湯浅灸堂各1枚である。その他船橋の俳額3枚、等を調べると催
主、補助、入集とそれぞれ役割は異なるが総数は118名に及ぶ。俳額ではないが俳句本『俳諧
百吟逸趣』にも21名の別な俳人名がある。それを加えると139名になる。居住地別には米本が
東洲以下23名でトップ 次は吉橋で華山以下22名、麦丸が静麿 以下15名、萱田が随楽、長快
以下12名と続く合計72名と5割を超える。
 次に撰者として活躍した俳人は旭生堂東洲 立石亭藤山 である。旭生堂東洲は、吉橋八幡、
駒形神社、湯浅灸堂と3枚の俳額の撰者を勤めたこれらの実績を見ても八千代市の俳人の中で
も唯一の俳人でありその実力は、随一の俳人であろう。旭生堂東洲についてはまたの機会に紹
介するとして、次の 立石亭藤山は山崎三省の次男次郎吉が養子先の立石家の立石亭を名乗っ
ているので親類縁者であろうと思われる。下高野の俳人の映樹、學字、良齊は山崎三省の子、
孫 である。まれに見る俳人の家系というべきであろうか。市外の撰者では、船橋のF明楼岱以 
柏日庵松秀女、八木ヶ谷の升月亭居山、佐倉の可貫庵可都良がある。岱以は三代目船橋町長
をつとめた川奈部慶之助の俳号で、松秀女はその妻ひで である。俳諧でも夫 岱以に劣らぬ実
力者で多くの俳額の撰者となり名を知られている。升月亭居山は前項で紹介したとおりである。

八千代市明治期の俳人居住地別名簿

ここに八千代市明治期の俳人の俳号を居住地別に紹介する。俳号は私が俳額その他古文書で
書かれ俳号を読んだもので多少の誤読があるやも知れぬので、その点のご指摘があればご一
報願いたい。
立石利吉 千葉県阿蘇村下高野246 新山居 利精  40才
立石次郎吉 千葉県阿蘇村下高野246 新山堂 映樹  30才
立石藤十郎 千葉県阿蘇村下高野246 立石亭 二藤  20才
立石藤右衛門 千葉県阿蘇村下高野 毘沙之 藤山
小林七太郎 千葉県阿蘇村上高野 l樹
山崎菊次郎 千葉県阿蘇村上高野 朱唇亭 學字
山崎久右衛門 千葉県阿蘇村上高野 ・・・・・・ 三省
松山宗吉 千葉県阿蘇村下市場 ・・・・・・ 鶴唳  27才
太田与兵衛 千葉県阿蘇村字村上 太田亭 可楽  72才
桜井  俊 千葉県阿蘇村米本 旭生堂 東洲  26才
桜井  潔 千葉県阿蘇村米本 花の舎 秀雨  26才
加茂平治郎 千葉県阿蘇村米本 ・・・・・・ 光月  32才
志田市造 千葉県阿蘇村米本 ・・・・・・ 梅枝  71才
布留川兼三郎 千葉県千葉郡大和田町字萱田 ・・・・・・ 冲石  50才
八木ヶ谷辰五郎 千葉県千葉郡大和田町字萱田 ・・・・・・ 随楽  64才
君塚長右衛門 千葉県千葉郡大和田町字萱田 ・・・・・・ 長快
花沢若松 千葉県千葉郡睦村元神崎144 ・・・・・・ 文糸  44才
須田勇太郎 千葉県千葉郡睦村字神崎< ・・・・・・ 花房  27才
林山蔵吉 千葉県千葉郡睦村字桑納 ・・・・・・ 壮月  20才
西山弥市郎 千葉県千葉郡睦村字佐山1835 ・・・・・・ 花鳥  52才
市川倉吉 千葉県千葉郡睦村字佐山2110 愛弘堂 秀山  20才
萩原佐吉 千葉県千葉郡睦村字島田 釣魚庵 弧舟  32才
山口清治郎 千葉県千葉郡睦村字島田 金梅舎 梅盟  29才
信田寛次郎 千葉県千葉郡睦村字島田316 ・・・・・・ 文信  27才
鈴木桑太郎 千葉県千葉郡睦村字島田台 鈴木庵 桑月  58才
周郷  敏 千葉県千葉郡睦村麦丸 ・・・・・ 遜堂
櫻井半左衛門 千葉県千葉郡睦村麦丸 ・・・・・ 可昌
石井庄左衛門 千葉県千葉郡睦村麦丸 ・・・・・ 静麿
櫻井五郎右衛門 千葉県千葉郡睦村麦丸 ・・・・・ 櫻吾
高橋治左衛門 千葉県千葉郡吉橋村 ・・・・・ 華山
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