八千代の俳人たち  はじめに
はじめに

私と明治期の八千代の俳人たちの出会
いは、今から約12年前になる。それは19
93年の12月19日(日)吉橋八幡神社の
社殿前に集まったその日であった。
 「曇天の厳寒の朝、吉橋氏の案内で私
たちは連れだって拝殿にはいった。句額
は、薄くて長い2枚の板で、無造作に釘で
打ち付けられ、固定されていた。表面には
俳句がびっしりと墨書され、しかも催主
は、吉橋の「高橋 綱/俳名 道楽」とあ
り、各俳人の居住地を見ると八千代市を
とりまく周辺の市町村名が並んでいること
に一同は感動を覚えた次第であった」と村
田一男氏(八千代市郷土歴史研究会会
長)は書かれている。
俳額と古文書のこと

俳額を間近に見たのはこれが初めてであった。しかも俳額そのものがどういうものかも知らない私がそれに興味を覚えたのは、びっしり書かれた墨書で、しかも、判読しがたい古文書であった。
 この時から私は古文書を解読する手だてを求めて勉苦が始まったのである。<BR>
 今では、曲がりなりにも一応の読みが出来るようになったが、当時は先輩平野仁蔵氏に手ほどきを頂きまことに有り難く今もってご指導を賜り感謝の言葉は幾つあっても足りない次第である。
 古文書を習ったおかげで、今日、いろいろな事柄が分かり、八千代の俳人たちの出会いが確かなものになりつつあるのは私にとって喜ばしいことなので、徐々にそれらの事柄をここに記してみたいと思う。
俳額と奉燈

俳額(奉納俳句額)とは神社や寺院に立
派な句額を奉納するものであり、奉燈とは
お祭り等の行事の際万灯に入集句を書い
て行事の期間、2〜3日掲示するもので終
われば取り払われてしまう。句集は残るが
現存する数は少ない。一方俳額は寺社に
後世まで残る。したがって現在発見された
俳額は船橋市に7枚、佐倉市に3枚、八
千代市に6枚あると報告されている。いず
れも江戸期から明治期までで、特に知ら
れているのは、船橋二宮神社の額と佐倉
鷲神社の額である。
 奉燈句集も八千代市に2冊子が残され
ている。 その奉燈俳句募集の様子が「佐
倉の文学」(昭和50年佐倉市史編纂発
行)に載っていたのでそれを紹介する。
奉燈俳句募集

佐倉歩兵第五十七聯隊
招魂祭奉燈俳句募集
  四季乱題 一組五句
         入花一組金拾銭
撰者
東京 其角堂機一宗匠 各奧抜落巻二評合点
 仝  菊守園菊外宗匠 天位置時計一個地位
                反物一反人位反物
                五客美景
右は明治四十二年十一月二十日固ク〆切同
年十二月十日十一日の両日神前に奉燈秀逸
は勿論一名一句必ず掲載の事
但落巻並ニ受賞者郵送料自弁ノ事
 返草希望郵券添付入花郵券代用一割増
玉句届所 千葉県印旛郡佐倉町内新町
                米新旅館
  明治四十二年十月 催主 吉田一笠
                   辻  簣石
                   鵜沢花渓
                   酒井月の舎
                   片岡幽居
                   藤代二峰
                   高石花橘
               補助 佐倉東風連
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