レスター・スクエア

 ここで彼らが演奏し Kathy がお金を集めたとのことです(Still Water Poem 34 より)。詩に "We were twenty-two" とあることから、1964 年夏の ことと思われます(1963 年は Paul と Kathy がまだ出会っていません ので[1]、"Twenty-one summers ago" は 20 年前の夏という意味なの でしょう)。


 この年の短い夏期休暇に Paul を訪れる約束を していた Artie は「街角では歌わない」と手紙で告げていた そうですが[2]、折れたのでしょうか。Paul もフォーククラブでのギャラは 高額な方だったそうなので[1]、金銭的な必要はなかったはずです。 クラブにはやって来ない、一般の反応を知りたかったのでしょうか?

 なおこの付近には劇場が並び、また安売りのチケットオフィスが 数多く看板を出しています。チケットを入手しないままロンドンのコンサートに 来たときには、ここを訪れると良いかもしれません。


 何も知らずに最初に見たときには、目が点になりました。イギリス中に 展開するレストランチェーンです。Artie との関わりは、おそらくないと思います。Leicester Sq. のそば にもありました。


 地下鉄 Leicester Square 駅を降りてすぐ。


参考
[1] パトリック・ハンフリーズ 著 野間けい子 訳 『ポール・サイモン』 東京 音楽之友社 1988年 p.41
[2] ジョセフ・モレラ パトリシア・バーレイ 共著 福島英美香 訳 『旧友』 東京 音楽之友社 1993年 p.65