2004年10月24日(日) |
漸くに 百名山の 登り初め 好天の秋 筑波山頂 |
山歩きを始めて22ヵ月。その間、103回(他に里歩き25回)を数えたが、実はまだ深田100名山には登ったことがない。その最も低い、1000mにも満たない山が今日の山行先「筑波山」である。しかも、日頃出かけていったことのない東方茨城県であり、そんな諸々の意味で今日の山行はささやかな我が山歩史において異色である。 東京駅八重洲南口発7:20の筑波山行き高速バス乗り場に早めに行こうと前夜から目覚まし時計を4時過ぎにセット。妻の造作をかけなくても出かけられるよう前夜から用意万端整えて寝たが、遠足前夜の子供時代さながらに3時過ぎから目が覚めていた。これはまだ若い証拠か?とうぬぼれつつ4時過ぎには起き、5時10分自宅を出発。まだ夜明け前で晴れか曇りかすら判らない。コンビニで朝食用にとお握りを買い、高幡不動5:25発の急行に乗る。 東京駅八重洲南口到着寸前に仲間の滝澤氏に出逢う。高速バス切符を買うと、乗り場は4番で以前とは変わっていた。村谷氏も来て今日のメンバーを予測すると、清水氏は休みの連絡ありとのこと。田幸氏も見え、筑波山行きJRバスに乗ったのは4名。早速朝食のお握りを食べるが高速バスはさすがに速い。途中の停留所通過時刻をいくつかチエックしてみたら、ほぼ定刻ペースだった。 快晴。元筑波山駅のあった筑波山バス停に9:04到着し、用足しの後、植松タクシーで筑波山神社前へ相乗り。先日22日、新宿で飲んだ時、「よかったら・・・」と勧めておいたら期待通り地元の村上氏が待っていてくれ合流。これで本日の山行は5名となる。早速筑波山神社に参拝し、ケーブルカー沿いの山道を登り始める。以前、高尾山頂から「あれが筑波山だよ」と教えられたことがあるが、今ここを登っているのが信じられない思いである。 ひたすら登りオンリーの登山道。ゴロゴロ石、木の階段、やや湿った土道など、雑多な雰囲気の登り坂を全身に汗しながら登っていくが、杉や檜は風情のある大木が非常に多いように感じられる。 村上氏は俳句をたしなむが、頼んでおいたら翌日メールで送ってくれたのが次の3句である。わが頭やセンスでは到底出てこないが、さすがであると思う。 「筑波嶺にハイカー群れて秋さかり」 「秋の陽に百名山碑かがやけり」 「秋の空一人で占めて筑波の嶺」 1時間ほどでケーブルカー上の御幸ヶ原に到着。展望台と ガマの油やカエルの置物小物などを店頭に並べた売店兼食堂が立ち並んでおり、そこかしこに行楽客が絶景や昼食を楽しんでいる。やや靄っていて見通しは必ずしも良くないが、霞ヶ浦や牛久沼が光り、刈り取りの終わった水田やゴルフ場がのどかに見える。 男体山山頂を参詣往復し、御幸ヶ原でレジャーシートを広げ昼食。滝澤氏ご夫妻が丹精込めて長野で収穫した新米のお握りもご馳走になり、それぞれ持参の飲み物・弁当・熱々麺などで元気を取り戻す。 記念撮影をして、女体山へ向かうが、道は人・人・人で高尾山も顔負けのラッシュ状態。ガマそっくりのガマ石を見ながら着いた女体山の山頂は岩からこぼれ落ちそうな人だかり。大仏岩・北斗岩・裏面大黒岩・出船入船岩・母の胎内めぐり岩・高天原・弁慶七戻石と見て歩く。小さな少年少女や幼児までいて、さいたま市のスイミングクラブ130名の団体+個人・家族客などロープウェイ側、つつじヶ丘から登ってくる対向者の群れと譲り合いながら細く斜度のきつい岩の道を下り、弁慶茶屋で小休止。 ひたすら下りのみの登山道を筑波山神社前まで快調に下りると、時刻は13時18分。今日は「下りなら任せて」の田幸氏が、久々に往時の健脚ぶりを見せてくれ、登りの快足ともども完全復調ぶりを見せてくれたのは、まことに慶賀極まりない。特に下りの早さは抜群であり同期の村上氏も感嘆しきりだった。 帰途の高速バス時刻までかなりあるので、村上氏の車でバスの本数が多い筑波センターBTまで送って貰うことにし、板東33観音の第25番霊場「筑波山大御堂」前を通って駐車場に向かい、村上氏の名車に乗り込む。関東平野を貫く広い道をひた走りに疾駆して筑波センターBTに到着し、15:00発東京駅行き高速バスに乗車。80分の予定が70分で東京駅日本橋口に到着。「どうしますか?」と意味ある風情でお互いの顔と腕時計を見合わせた後、解散と決し散会。 登り・下りともにメリハリのあるいい山だったが、さすがに有名な山だけあって、いや、それのみならず、いい山だからこその人出だったのだろう。長く記憶に残りそうな楽しい山行の一日であった。同行諸氏に深謝するや切。 |