2003年1月4日(金) |
雪の高尾山へ初詣&初の奥高尾尾根歩き |
きょうは、前回の村谷・田幸両氏をはじめ、昔なじみの山岡・野島の両氏も加わり、5名での本年初山歩となったが、聞けば村谷氏は、小雪舞う元旦にきょうの下見を兼ねて稲荷山コースから登山、一号路コースで下山という高尾山初詣でに加えて、昨3日は大山詣でにも行って来たという。山歩き初心者の小生にはアン・ビリーバブルな足達者だ。 昨日の雪が若干積もっていて、足許はベストコンディションとは行かないので表参道である一号路から登ることになる。一号路はこれまでも時折登っているが、きょうは頭上の木の枝葉から雪解け水が落下してきたりして、登りという引力への抵抗に加えての二重苦だが、幸いタフな各氏が小生のような初心者にあわせて小休止をとりつつゆっくり登ってくれるので何とか登り切れた。 山上のリフト駅、ケーブル駅を横目に見ながらゆるやかな昇り参道を進む。薬王院・本社・奥の院などで、家内安全その他を祈願して標高599mの山頂へと向かう。一面銀世界なのでスリップしないよう気をつけながら行くと、正面に見事な富士山が見える。それをバックに記念写真を撮って貰い、奥高尾方面へと進んでいく。 恥ずかしながら、永年高尾山の近くに住んでいながらここから先へは行ったことがない。下り坂、下り石段をおっかなビックリで進むが、仲間の山岡氏に野島氏が軽アイゼンを貸与・装着してあげている。へぇー便利なものがあるんだなと感心する。アイゼンという名前も初めて聞いた、山のド素人だが、そんなに高価なものでもないらしいので、今後のために早速自分も買っておこうと思う。 一面銀世界だが、自分の履いているウォーキングシューズはまだ買ってから間がないからか、それとも靴底面の形状によるのか判らないが、何とかスリップしないで歩けそうなので助かった。 ちょっと進んだ斜面下の左側に富士山のビューポイント「富士見台」があり、何本かの横たわった丸太木に何人かのハイカーが座って景色を楽しみながら休憩している。そこでわれらも一服しょうと座ったら、目の前で推定80歳ぐらいのご老人が持参の携帯用道具で野点をしておられ、「一服進ぜましょう」とおっしゃる。お言葉に甘えて待っている間に聞いた話では、茶道具は、茶器から小物の入れ物・外装に至るまで、茶筅以外は全てお手製だそうで、茶器も和紙を張り合わせて乾燥させ、その上から漆を塗ったものだという。わが故郷讃岐名物の和三盆をまず1個ずつ手渡してくれ、雰囲気も満点である。心のゆとりがないと、こうはいかないのだろうなあと感心しつつ見つめているうちに、「ではどうぞ」となり、まことに結構なお手前で正月早々慶事である。毎週土曜日にここで野点を楽しんでおられるとのことで、後日談だがその後も何度かここでお逢いして、きょうのお礼を申しあげたりご挨拶したものである。人間、健康で長生きできるのが何と言ってもいいに決まっているが、こういう風に美しく歳をとりたいものだと思う。 足達者の諸氏に若干遅れたりしながら一丁平というところへ着く。途中にもあったが見ればここにもトイレがあり、このコースは女性ハイカー達にもやさしい人気コースらしい。木のテーブルやベンチが何ヵ所かあり、空いている一ヵ所の雪を払いのけたり、持っている人はビニールシートや新聞紙・座席マットなどを木の椅子に敷き、皆さん手慣れている。早速持参の弁当だが、その前に今年1年の諸々を祈念して乾杯また乾杯と、ビール・酒・ワインが五臓六腑にしみわたる。 それではと帰途に入るが、進路はさらに奥へと進み、「これを左に登ったら城山です」と村谷氏がいう箇所を通り過ぎて下り道に入る。舗装されていて車も通れる幅広道だが、雪が積もっているのでスケートのようにところどころ滑りながら快適に降りていくが、アイゼンをつけた人は外すタイミングが難しいと見えてスイスイとは行かなかったようだった。この道は、後で地図を見たら「日影沢林道」とあり、後日さきほど山頂下を通過した城山の山頂の茶店で聞いた話ではNTTか何かが所有の私道らしいが、事故者などが発生した場合は、救急車とかパトカーなどが茶屋までこの道を登ってくるそうだ。 日影バス停で若干時間待ちして、高尾駅北口までバス利用となったが、山も初心者なら奥高尾も初めてで、正月早々充実した一日となり同行諸氏に感謝する。きょうのコースなら近いことでもあり、これからひとりででも来られそうだ。正月でもあり、このまま散会する手はあるまいということか、高尾駅北口近くの「らく楽」という店で全員で軽く打ち上げ、散会となる。 |