2002年12月28日(土) |
2回目の山歩「弘法山」は千田氏の訃報連絡を聞き悲しい一日に |
第2回目の参加だが、今日の参加はリーダー村谷氏と広報役の田幸氏との3名。指定の小田急線秦野駅で待ち合わせ、すぐ徒歩スタート。前回に続き好天に恵まれ、小生のことを晴れ男と呼んでくれるが、別にそうとは思っていないのでくすぐったい。 登坂口までのアプローチはちょっと長かったが、先ず浅間山、そして権現山山頂までが苦しい。高い山ではないが初の山登りのようなものだし、距離700m位で170m位の標高差を登ることになっていて、村谷氏が楽々登っていく後を遅れて田幸氏、そこからまた遅れて小生と、鍛え方の差・実力の差をまざまざと見せつけられる。 登り切ってしまえば後は尾根づたいに弘法山、善波峠、吾妻山と続いていくコースで、花見シーズンには格好のコースだろうなあと思いつつ、心地よい自然の空気を満喫する。精神衛生上、非常に良さそうだ。「ストレスを受けた人には、山頂からの下界を見下ろす雄大な風景を見せてやるといい」という話を、昔営業関係の先輩から聞いたことがあったが、本当にそうだと実感する。 弘法山にはその名の通り釈迦堂や弘法大師ゆかりの井戸があり、山頂の見晴台にはこども達が群がっている。途中で田幸氏がミカン畑の端に落ちていたみかんを1つずつ手渡してくれ、木になっているものではないからいいだろうと互いに話しつつ頂戴する。 途中、持参の携帯電話が鳴る。誰からだろうと思ったら、現役当時の出向先当時の部下だった事務員さんから千田氏が昨日急逝されたとの連絡で、同行2氏と共にびっくりする。同氏は昔から何かとご指導戴いた大恩人であり、かつ明晰な頭脳、抜群のお人柄の良さで誰もから期待と尊敬を集めていた人であり、突然の悲報に言葉も出ない。明日通夜の明後日告別式とのことだが、あいにく今日・明日が土・日で会社関係者は情報入手も発信もしずらいタイミングだっただけに、以前の部下がきょう一早く連絡してくれ、ありがたい。(後に判ったのだが、同期の人たち数人とゴルフをしている途中での持病の心臓発作だった由である。) 合掌。 本来だと、下山後は鶴巻温泉での日帰り湯が予定されていたが、悲報に弔意を表してそれは中止にし、鶴巻温泉駅前の割烹寿司で昼食を摂っての解散となった。 |