大山街道餐歩・・・まえがき


 過去、大山(上社=山頂=標高1251.7m)には、先輩山仲間にお供して3回ほど登っている。それ以前では、妻と一緒に下社までだったが1回だけ行ったことがある。

 その山仲間との3回とは、次のようなルートでだった。

   (1)H.15.07.27(日)
     伊勢原駅BT==(バス)==大山ケーブル駅BS(H=310m)---ケーブル追分駅---大山阿夫利神社下社(H=700m)---同上社(山頂・H=1252m)
     ---蓑毛越---蓑毛BS(310m)===秦野駅BT

   (2)H.15.12.27(土)
     秦野駅==(バス)==ヤビツ峠BS(H=761m)---大山阿夫利神社上社(H=1252m)〜見晴台(H=770m)--九十九曲入口--白髭神社--日向薬     師BS(H=150m)==(バス)==伊勢原駅北口BT

   (3)H.16.04.18(日)
     (1)と同ルート

 軟弱なわが身には、どの回とて楽な山行はなかったが、江戸時代の庶民の「大山参り」は、例えばお江戸御府内から往復32里を歩いた訳だから、齢70歳が間近になってきたとは言え、現代の「街道餐歩マン」としては図上演習だけで指をくわえてはいられない。

 そんな訳でいろいろ研究していたら、たまたま良いガイドブックや先輩ウォーカーの体験記を見つけたので、大いに参考にさせて貰い、「歩き大山詣で」を企図した次第である。

 当然、ルートは各参拝者の住まい如何でいろいろあろうが、大多数の江戸びとが辿ったであろう「赤坂御門」を起点としての道筋を「正調大山道」と勝手に位置づけ、矢倉沢往還とかなり重複するこのルートを歩くことにした。現代で言えば、赤坂御門から渋谷駅を通って東急田園都市線沿いの道から小田急小田原線沿いの道へと移り、最後に大山へと目指すルートである

 矢倉沢往還は、東海道の脇往還として江戸時代に整備され、伊勢原から矢倉沢を経て沼津方面に至るルートである。表街道とも言うべき東海道に対しての矢倉沢往還は、諸物産を大消費地江戸に運ぶ経済的物資輸送ルートだったと位置づけられるが、江戸中期以降は赤坂御門から大山への江戸庶民の参拝ルートとしての宗教的・観光的性格も帯びた街道ともなったようだ。また、幕末の生麦事件後は、外国人との衝突防止のために大山街道通行を奨励した形跡もあるようだ。

 となれば、今や「参歩・餐歩・讃歩」が本業と化した感の強い“多摩の素浪人”として、指をくわえて見ている訳にはいかないという勝手な理屈で、正調参歩の厳粛な気持を心底に置きながらも、楽しい餐歩・讃歩・山歩をとスタートした次第である。

 まず、総距離から見れば、最終日の登山路もあるとは言え、4日間もかければ日帰り区切りでも充分歩ける。しかし五街道とは違って近郊の街道であり、よりじっくりと古跡・由来などを見聞したいという気持もあり、ルートが2つある区間については両方歩いて見ることにして、総計6日間コースを設定した。この区切り作業や実地の餐歩には、購入した「風人社」書籍「ホントに歩く大山街道」が大変役立ったので、特記しておきたい。


     第一回目・・・(地下鉄半蔵門線永田町駅)江戸城赤坂御門跡→二子玉川駅 約16.9km(街道14.8+寄り道2.1)
     第二回目・・・東急田園都市線三軒茶屋駅→仝鷺沼駅 約16.9km(街道13.8+寄り道3.1)
     第三回目・・・東急田園都市線鷺沼駅→仝すずかけ台駅 約16.3km(街道14.8+寄り道1.5)
     第四回目・・・東急田園都市線すずかけ台駅→小田急小田原線本厚木駅 約20.7km(街道16.6+寄り道4.1)
     第五回目・・・小田急小田原線本厚木駅→大山駅バス停(・・・小田急小田原線伊勢原駅北口バス停) 
              約19.2km(14.9+4.3)
     第六回目・・・(小田急小田原線伊勢原駅北口バス停・・・)大山駅バス停〜大山〜大山ケーブル駅バス停
              (・・・小田急小田原線伊勢原駅北口バス停) 約8.4km(街道8.4km)