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2008年1月29日(火)
高齢化に伴う筋肉痛発生時期の遅れ

今まで本当と思っていたことが、きょう突然“うそ”だったと知った。
きっかけは一通のメールである。「水歩会」のある女性メンバー発信のメーリングリストで、「面白いサイトを発見しました」との紹介があり、早速アクセスしてみた。
http://www.ugets.com/jitugetu-dat/21.html

自分に限らず、多くの知友人からも「歳のせいで筋肉痛が翌々日に出るようになった」類の話を聞いており、自分の体験に照らしても、100%真実事だと思っていたのに、それがきょう否定されたのである。

疑問に思い、検索サイトで調べてみると、他のサイトでも質問者への回答として加齢否定説になっているので、これはもう信じざるを得まいか。

という訳で、その一端を以下に掲げざるを得ない義務感を背負う仕儀と相成った次第である。

------------------------------------------------------------------------------------------------
Q1.通常運動した次の日ぐらいに筋肉痛はきますが、その筋肉痛が運動した後次の次の日にくるようになるとともう年だとよく耳にします。これはどういったことなのでしょう?筋肉の衰えのせいなのでしょうか?

A1:
筋肉痛のメカニズムはいまだに完全には解明されていないのですが、筋肉にかける負荷が高ければ高いほど、激しい筋肉痛が短い時間で発生することはわかっています。つまり負荷が低い場合、筋肉痛はゆっくりとやってくることになります。
そして、年をとる(あるいはブランクが長くなる)と運動する機会や量が減り、そのために肉体的なパフォーマンスが落ちます。するとそれまでは「筋肉痛が出ないレベルの負荷だった運動」が、「ゆっくりと筋肉痛が出るレベルの負荷がかかる運動」になってしまうため、翌々日に筋肉痛が出るわけです。
例えば、普段運動しないお父さんが子どもの運動会で頑張って走った翌々日に筋肉痛、というパターンはこの典型です。
そして、そうした基礎体力不足の人が、ウエイトトレーニングなどでみっちり追い込もうとしても、その前にダウンしますから、体を短時間で激しい筋肉痛が出るレベルまで追い込むことができません。その結果、その手前の、遅れて筋肉痛が出るレベルで終わってしまう、ということが多いので「翌々日に筋肉痛が出ると年だ」ということが言われるのでしょう。
実際、20代の人と60代の同じような体力レベルの人が同じ負荷で運動をしても、その後の筋肉痛の出かたや筋力の回復スピードに大差はなかったという報告がされています。これに対して、日常で運動している人とそうでない人では、同じ年齢・同じ負荷でも筋肉痛の出るスピードや筋肉痛の度合い、回復時間に大きな違いが出ました。
つまり筋肉痛の発現が遅くなるのは、年齢よりも普段どれだけ筋肉を使っているかが大きな理由になるということです。
ですから、不健康な生活をしていたり、運動の負荷によっては20~30代でも2~3日遅れで筋肉痛が起きることは十分ありえます。

A2:理由は乳酸(疲労物質)によるものです。筋肉痛とは筋肉の繊維が破壊され回復し始めると起こる現象です。筋肉痛が遅れる理由は筋繊維への過度の疲労により回復し始める段階が遅れたということになります。歳をとるとその疲労物質の回復が徐々に衰えていくことから年齢も関係してくると言えますが、実はそれだけでは有りません。いくら若くても運動の仕方によっては筋肉痛が遅れる場合も有るということです。
1.運動で無駄な動きが多い。
2.睡眠不足である。
3.1日を通じて運動量が多過ぎる。
4.運動中のインターバル(休憩)が長過ぎる。
等が考えられます。筋肉痛は翌日に来るのが理想と言えますので参考にしてみてください。

Q2:筋肉痛が1日遅れてくるのはなぜ?年齢とともに筋肉痛が運動した翌日ではなく,2日後(場合によっては3日後)にでてくるようになりました。筋肉が痛んで筋肉痛になるのならば,年齢は関係ないように思えるのですが,なぜ痛みを遅れて感じるようになるのでしょうか。

A3:
年齢は関係ありません。70歳でも人並み以上に運動習慣があればすぐに来ます。
過去に自分の経験でも年齢は関係無い証明になった出来事がありました。それは、仕事で忙しくて全く運動をしていなかった時、久しぶりに筋トレをしたら1、2日遅れてきたことでした。その後、運動習慣がつくと、遅れて筋肉痛が来なくなりました。結果として今では直後には筋肉痛です。翌日どころの話じゃないです。
オールアウト(全ての力を使い尽くした状態)になると、もう歩くのすらびっこ引くくらい筋肉痛が来てます。
2008年1月15日(火)
万歩計とわが歩き

気に掛かっていた昨年来の万歩計の歩数集計を一年ぶりにやってみた。
万歩計自体は、ベルトなどに装着しなくても、適当にポケット内でカウントしてくれ、歩数のほか10分以上連続歩数(しっかり歩き)や消費カロリー・時刻なども表示してくれるオムロン製の優れものだが、横着人間に持たれると一年経たないと集計してくれないという次第である。

直近1週間分はメモリーで記憶されていて何時でも見られるが、幸い毎日寝る前に枕元の手帳(ウォーキング協会に貰ったもの)に体重とともに記してあるので、あとはエクセルで集計すればいいということである。

その結果を自戒・反省の意味で書くと、昨年365日の総歩数はわずかに195万歩、一日平均5345歩に過ぎない。「がっかり」と同時に、「こんなものだろう」と自認もせざるを得ない情けなさである。とてもじゃないが人前で言える数字では断じてないが、その悔しさ・恥ずかしさをバネにして今年こそは頑張ろうという決意表明も兼ねて、敢えてここに記すことにした。

一昨年、当初は、四国遍路(2回目)に行って180万歩、それにYSCその他の山歩会参加で・・・、プライベートなウォーキングで・・・と、年間300万歩計画でスタートしたのだが、家庭事情やマイホーム売却・新築マンション購入、そして転居と、いろいろあって、2年に亘って大幅に予定が狂ってしまったので、今年はこれを何とか巻き返し、汚名返上・名誉挽回へと取り組み始めたばかりである。

今年は14日までの2週間で一日平均12495歩(前年同時期比+34%)と、目下の処そこそこではあるが、このペースを落とさないようにしたいものだ。当面18~20日の旧東海道餐歩で略々10万歩ぐらいは稼げようが、その先は今年中に完歩予定の甲州道中餐歩がまだ180km残っているし、旧東海道餐歩も今月やってまだ244km残っていて、仲間から先の餐歩継続をせかされそうなので、筋金入りならぬ針金入りぐらいの体力は何とか作り上げ、維持したいものだ。

ところで、自分は一体「歩き」に何を期待しているのだろう?と考えてみると、次のようなことだろうか。

  * 散歩・山歩・・・カロリー消費⇄「飲食の楽しみとのバランス調整」
                   体脂肪燃焼⇄「中性脂肪・脂肪肝などの改善ないしは悪化防止」
            自然とのふれあいや発汗を通じての爽快感やストレス発散
  * 参歩・餐歩・・・物の見方・考え方の新発見・新体験・・・頭と心のリフレッシュ
            神仏・先祖・家族などへの感謝の気持ち体感
            心身の健康維持

ついでに、歩数計に現れない心の散歩というのもあるが、これは「内省」ということか。

2008年1月14日(月)
寺院の前を通ると・・・・・

今年に入って、トレーニングを兼ねて参歩&餐歩を都合4回やった。5~6日が東京十社めぐり、12日と今日14日が甲州道中餐歩である。
ところで、その4日間、毎日経験し、しかも特に今日強く感じたのが、寺院の前を通ると掲示板に“教えの言葉”というか“戒めの言葉”というか、意味深な言葉が掲示されている寺院があるのである。

そのいくつかを記録にとどめておきたいと思い、デジカメで撮影しておいたのだが、自分が“はっ”とした言葉だけでもこれだけあった。

●  
 今月の言葉
   覚醒  めざめ
  大きなはからいの中に
  生かされて 今ここにある
  自分に気づく

● 
「私は正しい」
  争いの根はここにある

● 
堪忍は一生の宝
  陰徳は末代の宝


● 
ありがとうで 心さわやか
  ごめんなさいで 心なごやか
  言おうよ 素直に

● 
見えないものを 見る目を持とう
  見えないものを 知る心を持とう


●   
合掌
  こちらから頭を下げれば
  怒りや嫉妬はその上を通り過ぎてゆきます
  こちらから挨拶すれば
  難しい人も挨拶を返してくれます
  お互いに合掌すれば
  世界も家庭も平和で安泰
  その日一日一日の平穏を喜び掌を合わす
  合掌は花のつぼみ 合掌の人生に花ひらく

まさに“合掌”だ

2008年1月8日(火)
再び「宇江佐真理」

昨今、北海道出身のこの女流作家にゾッコンべた惚れである。
本を買う時、ひとつには書棚の狭隘化防止のため、もうひとつの理由としては何十年来の癖というか習慣で、夜ベッドの中で就寝前に寝っ転がって読んでも取り扱いやすい軽さ・大きさ、という理由で、相当以前から「本」を買う時は原則として文庫本で、と決めている。
今朝は、先日追加で買った宇江佐真理の文庫本二冊が目茶苦茶面白かったので、インターネットでこの作家の作品を全て検索の上、書店に行ってとりあえず10冊買ってきたので、外出不足や運動不足が心配になりそうだ。

しかし、正月の3日はYFCの正月恒例新年山歩会に参加、一日おいて5~6日は各17kmずつの「東京十社巡り」ということで参歩して18日からの山仲間たちとの「旧東海道餐歩」に備えているし、9日と11~12日も「近郊丘陵ウォーキング」や「旧甲州街道(甲州道中)餐歩」を予定していると言った具合に、例年とは少し気合いの入れ方が違っているのである。
常に何かに熱中していないと人生がつまらなく感じる性分だが、旨い具合にいつも何かが自分の関心をそっちに引っ張ってくれ、ありがたいと思っている。

相手が配偶者であれ友人であれ上司・先輩であれ後輩であれ、自分の心のひだひだとぴったりとは行かないまでも、かなり近い相手というのは、誰でもつきあって快い筈だが、それが、「作家」となれば、小生の場合、昨今は「宇江佐真理さまさま」ということである。
今夜からの就寝前タイムが一層楽しいものになること、疑いを入れない。

2008年1月2日(水)
命のお布施

「ご馳走さま!」
正月は食らって飲んで孫も居て・・・普段老夫婦二人っきりの家が、何と晴れやかで賑やかで良き春となるものかな。

人・人・人、年末のデパ地下・スーパーでレジに行列して買い込んだ馳走を相手に銘酒・焼酎・酎ハイと、今年もダイエットの神様に叱られそうな正月だが、ふと、殊勝な言葉を思い出す。

 
“人は、生き物たちの「命」という布施のお陰で生かされている”
 肉・魚・野菜・果物・・・全てが、生き物たちの「命」を犠牲にした、
 我ら人間への布施によって成り立っている・・・
  それも、「布施してあげます」という動植物たちの確認も全くし
 ない侭、人間が当然の如く、当たり前のこととして有史以来無意識
 にその「命」を犠牲にして生きてきている 

やはり、「戴きます」「ご馳走さま」の言葉は、食べ物を作ってくれた人や運んでくれた人たち、さらにはそれらを買い求める金を稼いでくれた人たちに対してだけでなく、その命を捧げてくれた動植物たちに真っ先に謝意を表さなければなるまい。
心から「ご馳走さま!」と。

今年の正月は子供一家三家のうち、長女家は夫君の実家(九州)へ、次男一家は急な幼児の発熱で帰省中止となり、長男一家のみが孫連れで来てくれたが、この孫たちがこんなことに気づいてくれるようになるのはやはり半世紀も後のことになるのだろうか・・・などと考えると、われわれ人間の「いのち」を支えてくれている動植物たちが、哀れに覚えてくる。
せめて、自分ひとりだけでも大いに“感謝”しながら戴くとしょう。
 
2008年1月1日(火)
一年の計は元旦にあり

一年の計は元旦にあり・・・古来いわれる格言なれど、そんな決意をしたことすら いつしか忘れる おおらかさ これがとりえか欠点か いずれがあやめ かきつばた そんな類とたかくくり 過ごし来たった幾星霜 これから何年 生きるやら 少しでも寿命を延ばしたい 誰もが思う年頭の 希望と決意に ゼニカネいらぬ 今年こそはと同流儀 相も変わらず決意する。

  
* 理屈抜きで 歩こうよ!
  * 掃除・手伝い 格好の 筋トレ・脳トレ・関節トレ!
  * 酒とつまみは ほどほどに!
  * 常に目標 追いかけて “攻め”に徹するこの一年!


若かりし現職時代、業界紙筋から入手した同業他社の新年度計画を見ながら、私は横にいた尊敬する上司(既に故人)にこう言った。
  
「さすがに○○社は凄いですねえ!」

すると、その上司はすかさずこう言った。
  
「でもねえ、それは全部○○社が出来ていないことなんだよ。だから、やりたいってここに載  っけてるんだよ」

何かが私の頭の中ではじけた瞬間だった。(なるほど、そのとおりだ!)

という訳で、計画(目標)とはこうしたいという未実現事項の実現願望であることを決定的に痛感した瞬間だった。

理屈を言えば、目標実現のための手段・方法・プロセス、具体的遂行施策、動員方法、予算的裏付け、途中過程での進捗具合チェック時期・方法・担当割当etc.と具体性がなければ「絵に描いた餅」となる訳だが、年頭の決意も「できていないことの現れ」と思えば、たとえ三日坊主に終わろうとも、そんな目標があったことすら忘れ去ったとしても、気に病むことはさらさら無しと、意志堅固な人にとっては許し難いおおらかさで今年もチャレンジ・スタートする自分である。

2007年12月31日(月)
子供の育て方

孫来たる。今年も暮れが来て子供達が孫を連れて来てくれる。
「孫は責任がないからいい」という説がある。自分の子供だったなら、叱るべき時にはしっかり叱っても、「孫には親がいる。何もジジババが憎まれ役を買わずとも・・・」ということらしい。

確かに、孫に対しては、危なっかしくて注意することはあっても、本気で叱る気にはさらさらなれないから不思議だ。カミさんなどは、孫にはサービス・オンリー、それも、スペシャルクラスで何でも孫の言うとおりにしてやるから、人気は超抜群だ。

「子供の育て方に理屈はいらぬ。とにかく可愛がってやればよい」という有力説がある。誤解も招きかねない表現ではあるが、言わんとすることはよく理解できる。一面真理だが、世の中広いもので誤解している親もいるらしい。そういう世相なのか、テレビドラマでもよく感じることがある。

過保護や構い過ぎも問題だが、愛情不足で不良化する例は多いようだ。給食費も払わない親もその一群だが、先生方にとって「恐怖のママ」達というのもいるらしい。

  
* 学校に入った以上は、全て学校に一任する。親が下手な口出しをしない。
  * 怪我をしたり、先生に叱られたり、時にはゲンコツをくらってきたとしても、
    “我が子の落ち度は何か”を真っ先に考えてから行動する。
  * 我が子にあまり期待し過ぎない。所詮自分の子供だからと自覚する。


これは永世棋聖米長邦雄氏の言らしいが、言い得て妙。同感同感!世の不届きな出来損ないママたちよ、百回・千回噛み締めるべし!・・・柄にもないことを言ったかな?

2007年12月30日(日)
三浦雄一郎さんは凄い。

朝刊を読む。前回、2003年に最高齢記録を5歳更新して70歳でネパール側から登頂した世界最高峰(8848m)のエベレスト山頂へ、今度は5月16日登頂目標で中国側から挑戦するという。

本人は“加齢への挑戦・不整脈との闘い”と言っているらしいが、今度の目標達成に向けて、二度の心臓手術と毎日欠かさぬトレーニングや準備の積み上げを行ってきて、来たる3月15日には日本を出発、4月にベースキャンプ入りして5月16日が登頂目標日だという。

成功すれば、前回の彼の登頂後に外国人によって更新された最高齢記録を再び4歳更新することになるというから正に驚異的世界記録である。

年齢75歳というから、自分よりも遙かに上だが、日頃の精進と努力の積み重ねによって、人は何時までも青年と同等以上に“青春”であり続けうるという、生きた教訓・生ける教材であろう。

遙か後塵を拝しながら、我も新年頑張らなくっちゃ!

2007年12月29日(土)
すてきな女流作家に巡り逢う

読書好きは世に多いだろうが、自分もその末席のひとりにはいるだろうと思っている。子供時代からそうだった。若い頃は、純文学はもとより、柄にもなくゲーテやモンテスキューも一~二冊ぐらいはファンション代わりも兼ねて買って読んだっけ。結構面白かったのもあったし、固すぎて投げ出したのももちろんあった。中国の古典も読んだ。
誰かの言った「本は借りてではなく買って読め」という誰だったかの言葉が気に入って、いつしか本棚が読み終わった本でいっぱいになり、何度か古本屋に持って行ったり、引き取りに来て貰ったりして、後になって惜しいことをした!もう一度読んでみたいと思う作品も実は少なくない。

3月に今のマンションに引っ越してからは、近くの古本屋で古書を漁るのが楽しみの一つになったが、内容的には、暇つぶしに読むものとして、いわゆる時代物が最近の主流になっている。

たとえば、順不同だが、藤沢周平・池波正太郎・司馬遼太郎・澤田ふじ子・白石一郎・平岩弓枝・山岡壮八・戸部新十郎・佐伯泰英・邦光史郎・笹沢佐保・風野真知雄・津本陽・黒崎裕一郎・村上元三・火坂雅志・谷恒生・鈴木英治・柴田錬三郎・山本一力・吉川英治・宮城賢秀・五味康祐・門田泰明・多岐川恭・鳥羽亮・松本利昭・峰隆一郎・佐藤雅美・陳舜臣・・・等々の作品である。

その中で、最近珠玉の女流作家を知った。称して「宇江佐真理」。文春文庫から出ている「髪結い伊三次捕物余話」シリーズ(既刊5冊)の書き手である。主要登場人物は三人で、女流作家独特の繊細・丁寧な観察と筆タッチが読み手である小生の快感を心地よく刺激してくれる。近来にない名作家だと思い、続き読みしたものだ。

女流作家と言っても、別のある作家の場合は話の最後が尻切れトンボになるのもいたし、「これは久方ぶりに「上等」の作家に出逢ったものだ」という気分だった。こういう作家・作品にめぐり合うと、ほんとに読んで良かった、生きててよかった、めぐり合えて良かった、得しちゃった・・・という至福感にひたれる。作家の感性・センス・・・そういったものの良さをあらためて感じた瞬間だった。
とにかく、感情のひだひだまで繊細に、思い通り、希望通り、好み通りに触れてくれるところが実に自分好みだから、これからは彼女の作品は見つけ次第、全部買って読みたいものだ。

2007年12月28日(金)
絶体絶命

タイタニック号遭難時に、「男性乗船客を海に飛び込ませる話法」というのを読んだ。

 
対イギリス人男性  It's the sporting thing to do. あなた方は、紳士ですね
 対ドイツ人男性   It's the captain's orders!   船長の命令だ!
 対イタリア人男性  It's illegal.          飛込むのは規則違反ですよ
 対アメリカ人男性  Don't worry, you're insured.  ご心配なく。保険をかけていますから
 対日本人男性    Everybody else is jumping.   (そっと耳元でささやく)
                          皆さん飛び込んでいらっしゃいます


さて、自分ならなんと言われたらその気になるだろう?

断り文句なら想像できるが・・・
  「もう少し順番を後にして下さい」?
それとも
  「この船の船長さんの立派さを、ぜひ見届けてからにしたいです」?
でも見届けた後なら、もう飛び込むしかないけど、
  「わたし泳げないんです・・・」
斯くして、潔い場面はあまり想像できないような気がするのだが、まあ所詮ジョークということですから・・・。

2007年12月27日(木)
「が~ん」

歳をとるほどに「癌」の罹患危険率が高まるようだが、「癌の告知」を受けた人は、普通こうなるという癌患者の話をあるサイトで読んだことがある。

 
1.否認・・・まさか、嘘だろう? と、認めたがらない。
 2.怒り・・・なんで自分だけ癌なんかになるんだ! 頭に来る!
 3.取引・・・いついつ、○○の行事があるんだ。何とかそれまで生かしておいてくれ。
 4.憂鬱・・・諦め、ふさぎ込む。弱い人はここで自殺することも。
 5.受容・・・癌と共生していこう。

 祖父・祖母は 父方・母方いずれとも 癌で往生の 問題家系。救いは両親・兄姉が 癌には縁のなかりしこと。禁煙してから30年 わが身はいかが相成るか。食生活に気をつけて、ときどき胃カメラ・(大腸)内視鏡 検査も受けて 一安心。食生活にも気をつけて ストレスご免の切り札は アルコールこそ妙薬と 適度な摂取を継続し 良き脳内物質 分泌のため「感謝の気持ち」を持ち続け、歩きもいいとの言葉も信じ 叶うものならもう一度 お四国遍路も したいもの 願う傍ら カミさんに ありがとうと いつまでも 仲良く元気でいたいもの。

2007年12月26日(水)
医者にかかる時の心得

おきまりの人間ドックじゃいろいろと 指摘されても殊更に 決定的な悪所なし。さりとて気になる長年の 摂生不足の積み重ね 気に掛からぬ訳もなし。今では歳も相応に 定期的には何ヵ所か 医者通いもする身とて 「上手に医者にかかる法」 自己流ではあるけれど 心に留めて実行中。

1.初診時には、何処が、いつから、どのように、どの程度・・・とポイントを事前に記したメモ
 を用意して臨む。

2.過去の病歴や服用中の医薬品名・量を書いたメモも持ち歩き、必要に応じて医者に見せる。

3.医師により、懇切に説明してくれる医師から質問しないと説明してくれない医師までいろいろ
 なタイプの医師がいるので、極力その辺を初診時に見極め、後者のタイプなら自分から質問して
 医師の見立てや判断を確認する。

4.これからの見通しや、要治療期間(通院期間)などを納得するまで確認する。

5.症状に照らして、やった方がいいこと(摂った方がよい食べ物)と、やってはいけないこと
 (食べてはいけないもの)を確認する。

6.再診以降は、その後の変化を正確に伝え、医師の処方や投与薬剤の効果が判断しやすいよう
 にする。

7.医師が言ったことや確認したことで大切なことは、メモっておき、帰宅後に整理しておく。

8.納得できないときは、質問して充分納得できるまで確認する。

9.処方は不確実な段階での確認途上であったり、治療効果に限界のある場合もあることを知った
 上で、現在がどの段階かを判断するよう心掛け、必要に応じて医師に確認する。

10.医師と患者はお互いに人間同士。時には相性が合わないことも希にはある。また、治療法を決
 めるのは最後は自分自身である。医療にも限界がある場合がある。これらのことをよく自覚して
 医師と接する。
  「老い」は「病」にあらず。「老い」を「若返らせる」医者はいない、もしいるとすれば、そ
 れは「自分自身の気持ちの持ちよう」のみと自覚しておく。


2007年12月25日(火)
老化防止五箇条

ある人の「老化防止五箇条」を参考までにと眺むれば、厳しき限りで自分にゃ合わぬ。 
さればと自己流アレンジで 来る年目標 作ってみたが 果たしてどこまで続くやら 乞うご期待と参ります。

1.一日一時間ぐらいのウォーキング、一週一時間ぐらいのやや激しい運動
      
アレンジ ・台風・雨・雷の時以外は1日1万歩(以上)の(早足)ウォーキング
                    (歩幅90cmとみれば約9km以上~所要概ね1時間半)
            時間的に困難な日は、マンションの階段上り下り複数回以上(12F)
            もしくは散歩会参加
           ・週一回以上の里山登山または丘陵登坂ウォーキング

2.腹八分でカロリー摂取過多を防止~(体重)÷(身長の2乗)=18.5~25(標準22)
 
      
アレンジ ・一日のアルコール摂取量≦25g、休肝日=週1~2日
           ・主食1食135g以下(現状維持)・・・(発芽玄米3/4・白米1/4)
           ・低カロリーを意識した食材・調理方法に引続き留意

3.野菜や果物、豆類、精製度の低い澱粉質などの豊富な食事を!
  具体的には、野菜と果物を一日400g~800g、その他の植物性食品を一日600g~800g摂る。
  できなければ、これを補う健康食品を積極的に利用する。

      
アレンジ ・野菜ジュース毎日摂取+野菜・果物の積極摂取(継続)

4.肉食は一日80g以下。食べるなら、魚肉か鶏肉を。
  一日の総エネルギーの40%~60%を澱粉、植物性蛋白質から摂取する。
       アレンジ ・魚中心の動物性蛋白質摂取+食物繊維・少量多品種意識のバランス食に            引き続き留意
           ・総摂取カロリーは、理想体重(64kg)×30kcal≒1900kcal以内を意識して過剰            なカロリー摂取を防ぐ。


5.腸内有用菌を増やす乳酸菌食品やオリゴ糖、食物繊維を含む食品を多く摂り、くさいウンチをしない。

      
アレンジ ・キムチ・納豆・ぬか漬け・ヨーグルトなどの発酵食品を極力意識して摂る

2007年12月24日(月)
老年

「青春」ときたら、今度は「老年」といくのが自然の理か。

ウルマン(サミュエル・ウルマン)の 詩をば読みて気取ってみても、所詮髪薄ヨイヨイの 年ともなれば年寄りの 事をば書いた名作を 探してみんと紐解けば 自分一人で読むよりは 人さまにもと健気出し 下記して紹介 してみるか。

「ボケずに長生きしなはれや」(作詞:加賀自生山)

1.年を取ったら 出しゃばらず 憎まれ口に 泣き言に 嫁の陰口 愚痴 言わず
  他人のことは 誉めなされ 聞かれりゃ 教えてあげるとも 知ってることも
  知らぬ振り 何時でも阿呆でいるこっちゃ

2.勝ったらあかん 負けなはれ いずれお世話に なる身なら
  若い者には 花もたせ 一歩さがって 忘れるのが 円満に行くコツですわ
  何時でも感謝 忘れずに どんな時にも へおおきに

3.お金の欲を捨てなはれ なんぼゼニカネあったとて 死んだら持っていけまへん
   「あの人は ええ人やった」 そない人から 言われるように
  生きてるうちに ばら撒いて 山ほど徳を 積みなはれ

4.と言うのは それは表向き ほんまはゼニを離さずに 死ぬまでしっかり 持ってなはれ
  人にはケチと 言われても お金があるから 大事にし みんなベン
  チャラ 言うてくれる 内緒やけど ほんまだっせ

5.昔のことは みな忘れ 自慢話は しなはんな わしらの時代は もう過ぎた
  なんぼ頑張り 力んでも 身体が言うこと 利きまへん あんたは偉い わしゃ
  あかん そんな気持で おりなはれ

6.わが子に孫に 世間さま どなたからも 慕われる ええ年寄りに なりなはれ
  ボケたらあかん そのために 頭の洗濯 生き甲斐に 何か一つの 趣味持って
  せいぜい長生き しなはれや

P、P。P・・・「ピン・ピン・ポックリ」
2007年12月23日(日)
「青春」
サミュエル・ウルマン作(岡田義夫訳)の「青春(Youth)」の詩を愛する人、愛した人は多いときく。かくいう自分もそのひとりだ。

かのマッカーサーがコレヒドールから撤退した後の執務室内に、この詩が掲額されていた由。日々座右の銘にしていたらしい。この英語詩に感動した日本人-日本羊毛工業界の発展に寄与した岡田義夫氏(1891-1968)が和訳・紹介した。その名訳がこの詩を日本人の間で有名にしたらしい。

 
(注)サムエル・ウルマン
   1840年ドイツ南部生まれのユダヤ人で生涯敬度なユダヤ教徒。11歳で両親と共 にアメリカ   南部に移住。1924年バーミングハムで84年の生涯を終わる。
   社会的弱者である孤児・女性・黒人・労働者の救済運動に生涯を捧げた。

               ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

  
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
  優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒險心、こ  う言う様相を青春と言うのだ。
  年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
  歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
  苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精氣あ  る魂をも芥に帰せしめてしまう。
  年は七十であろうと、十六であろうと、その胸に抱き得るものは何か。
  曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる。
  事物や思想に対する欽仰、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への  歓喜と興味。
     人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
     人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
     希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
  大地より、神より、人より、美と喜悦、勇氣と壮大威力との霊感を受ける限り人の若さは失わ  れない
  これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くと  ざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる。


また、余人も「青春」について、似た意味のことを言っている。

曾野 綾子 
人は好奇心と、試行錯誤する勇気を持つ限り、青春の心を持っ た若者であり続ける。

松下幸之助
青春とは 心の若さである。
      信念と希望にあふれ 勇気にみちて
      日に新たな活動をつづけるかぎり
      青春は永遠にその人のものである。

2007年12月22日(土)
「女の気持 男の気持」

 これはいったい誰の作?一枚刷りの古き紙。
 書類整理をしていたら、昔のファイルに挟まれた、誰かがくれた年代物。手に取り再読せしところ、思わずニンマリまた感心。男と女の本質の違い歴然 鮮やかなり。作者不明がミソの作、艶っぽさもややあるが、発禁物にはほど遠く、ちょっぴり削って「為参考供貴覧」。

 ★ 女は自分の部屋に“住むため”に帰り、男は“寝るため”に帰る。
 ★ 女はアベックの同性が気になり、男は異性が気になる。
 ★ 女は隣がピアノを買ったからピアノを買い、男は隣にピアノがないから買う。
 ★ 女はウソを本当と思い込もうとし、男は本当をウソと疑ってかかる。
 ★ 女は好きな男に失望して初めて浮気をするが、男は好きな女がいても浮気をする。
 ★ 女はとってムダはムダだが、男にとってムダは有益である。
 ★ 女は失敗談に興味を示し、男は成功談に興味を示す。
 ★ 女はいったん親密になると何でも話せる間柄になりたいと思い、男は何も話さなくても
   わかる間柄になりたいと思う。
 ★ 女は群れの中で安堵し、男は一人になったときホッとする。
 ★ 女はめぐり合う理想の男性像をあらかじめ持ち、、男は一目で好きになった女が理想像と
   なる。
 ★ 女の初体験は「終わり」でもあるが、男の初体験は「はじめ」にすぎない。
 ★ 女は恋人から記念に残るものをもらいたがり、男は形に残らないものをほしがる。
 ★ 女はやすいものなら必要がなくても買い、男は必要なものを借金してでも買おうと する。
 ★ 女は命令されることを喜び、男は命令されることに抵抗する。
 ★ 女は“経験”を隠し、男は“未経験”を隠す。
 ★ 女は人前で泣き、男は人のいないところで泣く。
 ★ 女は失恋をなつかしみ、男は失恋を苦々しく思い出す。
 ★ 女は“ダメな男”にホレ、男は“いい女”にホレる。
 ★ 女はムードでレストランを選び、男は味のよさで選ぶ。
 ★ 女はムダを攻められると弱く、男はケチを攻められると弱い。
 ★ 女の会話はヘタなピンポンであり、男の会話はキャッチボールである。
 ★ 女は恋のために智恵を忘れてしまうが、男は恋のために知恵をめぐらす。
 ★ 女は不都合を泣いてごまかし、男は笑ってごまかそうとする。
 ★ 女はワリカンを好み、男はおごりおごられることを好む。
 ★ 女はデートの待ち合わせに遅れようとし、男はすこし前までに行こうとする。
 ★ 女は自己満足のためにおしゃれをし、男は対社会的な身だしなみのためにおしゃれ をする。
 ★ 女は酒を高いと思い、男はやすいと思う。

さてこの原作者は誰だろう? どう考えてもオトコの思考、オトコ寄りの表現ぽくって、我田引水無くも無し。されども、大筋名作で、言い得て妙の特筆もの・・・などと女性を敵にして、老後を過ごす勇気無し。詠み人知らずの名作?と 笑って平に乞・ご勘弁!

言の葉日記~2007~2008年