2004年9月8日(水) |
第8回たつみ山遊会、台風一過の晴天下、南高尾山稜縦走 |
高尾駅北口バス停9時集合で8時50分過ぎに行くと、既に埼玉・神奈川・千葉各県からの山歩仲間が参集しており、幹事役の小生が最後の到着となった。計5名で小仏行きバス乗り場で台風一過後の照りつけるような日射しを浴びながら待つこと暫し。定刻9:12発の小仏行きは120%程度の乗車率で、途中「日影」その他で降りる客多く、終点までの乗客は我らを含め3割程度だった。 早速簡易舗装の道を小仏峠へと登り始めるが、清流のせせらぎの音や蝉の鳴き声を聞きながら快適に山道へと入っていき、10:15頃小仏峠に到着する。廃墟化した茶店跡や明治天皇御小休止址の碑などを見、その先の高みの相模湖方面ビューポイントで絶景と涼風に満身をおおわれながら暫し小休止する。 10:45小仏城山山頂に着くが、茶店は休業中。他の登山客にシャッターを押して貰い、一同で記念撮影の後、大垂水峠への下山路へと進む。昨年の5月の頭に村谷氏と2人で逆方向から縦走したコースだが、若干の湿りを帯びた赤土の急斜面に加えて、時節柄良く伸びた雑草や両翼から張りだした木々・草葉など、奥高尾のメインコースとは異なり、通るハイカーの少なさが手伝って、ちょっとした苦労をしながらの下降となる。 途中、東京ハイキングクラブだったか、ジジババ集団約15名とすれ違ったほか、2人ずれの元ヤングギャルその他と数組のパーティに逢う。中には、一丁平から迂回して来た人たちもいた。 やがて下方から車の音が聞こえ始め、国道20号線の大垂水峠が近づいてきたことが判る。小仏城山山頂(670m)から大垂水峠(386m)まで標高差284mとは思えない下り道だったが、甲州街道に架かる高架橋を越えて南高尾山稜へと登り返し始める。 腕時計が正午を知らせて間もなく、標高536mの大洞山山頂まで0.1km地点でこぎれいなベンチが見つかり、昼食とする。早速冷え冷えのビールを一気飲みするが、他の仲間はTさんの冷ワイン以外、アルコール無しの本格正当派。ご立派だとは思うが、小生にはまねのできない世界である。それでもきょうの残りコースを考え、缶ビール1缶のみにとどめる。 30分の昼食休憩を終え、12:35再出発。小さなアップダウンを繰り返す尾根道を涼やかな涼風に身を包みながら、ある時は本道を、ある時は巻き道をと適当に選択しながら進んでいくと、やがて津久井湖の見えるビューポイントに到着。そのかなたにいつぞや村谷氏達と登った石老山が見えている。この仲間でもいつか行って見たい気に誘われる。 13:05中沢山の先、13:30西山峠と、左への下山路を見やりながら「関東ふれあいの道−東京都#1湖のみち」の道標である「梅の木平○○キロ」を見ながら進んでいく。途中、茸狩りの男性に逢うが、聞くと食べられるかどうかわからないものも籠に入っている。帰宅後に調べてから・・・という作戦か? 14:05三沢峠到着。5〜6人の先客ハイカーにベンチを空けて貰い休憩兼打合せ。すなわち、草戸山コース経由にするか、それともここから梅の木平に降りるかの相談であるが、疲れ具合から生ビールに直行しょうということになり、梅の木平への関東ふれあいの道のコースどおりに下山する。途中高度が下がってくると、尾根道と異なり風がなくなることも手伝って下界の猛暑を味わわされる。 15:20高尾山口駅到着。打ち上げは、この会御用達の「香住」であっという間に生ビールを全員飲み終わり、全員2杯目を注文。卓上にあった試食用と表示された胡麻ふりかけ2種(赤紫蘇入りとだったん蕎麦の実入り)が旨かったので各1つずつと、先刻賞味済みのきゃらぶき佃煮を妻への土産を兼ねて買い求める。他の仲間もビールの突き出しに出された山菜佃煮その他を買っていたようだった。因みに、帰宅後の話だが、初賞味のふりかけ胡麻は、2種とも妻に大好評で、作戦成功? これで、「今度は高尾にはいつ行くの?」という妻の催促がまた増えそうだし、高尾行きの楽しみにもなりそうだ。 帰宅後、早速入浴して、Ma先輩直伝の疲労解消シャワーリングをやるが、暫く山歩していなかったばかりか、里道歩きもさぼっていた身として、疲労度は少なからぬものがあったと見え、夜はぐっすりと熟睡した。 次回予定は10月6日だったが、同期のゴルフ会と連ちゃんになるので、13日(水)に変更することを申し合わせた。 |