2004年10月28日(木)
 関八州見晴台から秋の数州?を眺望し、関東三大不動尊の1つ・高山不動尊参拝の念願果たす

   10月度単独山行の締めくくりは、以前からかねがね行ってみたかった高山不動尊と、その奥の院がある関八州見晴台である。高山不動尊は、武蔵は地元・日野の高幡不動尊、下総の成田不動尊と並んで関東三大不動尊とのことで、未参拝だった高山不動尊への今日の参拝で三ヵ寺満願となる。

   西吾野駅に9:23到着し、9:27出発。坂を下り北川沿いの車道をなだらかに登って西武線のガードをくぐり、パノラマコース入口を右に見送り、その先の萩の平コース登山口から高山不動への道標を右折する。駅で降り立った男1人女3人のグループをおいて先にスタートしたが、他のハイカーは誰もいない。初めてのコースであり、かつ1人登山なのでガイド本のコピーが唯一の頼りだ。

   竹林から杉林へと入る。傾斜は急と書いてあったが先日の筑波山登山路に比べたら大したことはない。せいぜい高尾山への稲荷山コース程度で標準所要時間を軽々切って萩の平茶屋に着いたものの、予想どおり休業中。その先からやや傾斜が緩やかになり、パノラマコースからの道と合流した後、高山不動へと直進する道と別れて左の尾根道に入り、白滝分岐の十字路を過ぎて墓地脇に出ると奥武蔵グリーンロードから墓地に車でこれるように広い道になっていた。

   やがて、グリーンラインに出、不動茶屋を右に見て車道を横切り山道を登っていくと関八州見晴台だ。 関八州というのは、相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野の8ヵ国をいうそうだが、時代小説に出てくる「八州様」は、旗本などの領地をも巡察して諸問題に対応する、肉体的にも精神的にも大変な重労働だったろうなどと考える。

   頂上に着くと、古びた小さな奥の院が祀られていて、合掌参拝。周囲を見渡すと遙か彼方の山々まで遠望でき、思わずデジカメのシャッターを押したが、ガイド本によれば両神山・武甲山・大持山・伊豆ヶ岳・蕎麦粒山・川苔山・富士山・御前山・大岳山・丹沢・大高山・天覚山・越上山などが見えるとあるが、自分には殆ど判らない。富士山は確実に見えていなかった。

   関八州見晴台とは言え、今は昔と異なり山頂周辺の木々が生長し、360度パノラマビューという訳にはいかないようだ。まあ、関四州見晴台ぐらいに改名の要ありと思われるが、西南方向の眺めは今も抜群だ。東屋で先着の70歳くらいのハイカーに挨拶して聞けば、ここには毎週来ているそうで、小生の高尾山行きも真っ青という感じだ。早速缶ビールで喉を潤す。考えてみたら、駅から771mのこの地点まで、水分を一滴も摂取せずに来たので、殊の外旨い。ストーブであったか麺をこしらえ、仕上げは湯を沸かしてホットココアを堪能。やがて老夫婦ハイカーが来て、写真を撮って貰ったり、西吾野駅で逢った男女4人ずれが到着し挨拶すると、中に超美人もいる。

   ここから高山不動本堂を経て西吾野駅への帰路のコースが判りにくい予感だったが、高山不動本堂までは難なくクリアー。驚いたことに高幡不動尊や成田山新勝寺とは異なり、参拝客も寺側も誰もいないのにはびっくり。お守りやお札などの販売所もカーテンを閉じた侭である。とにもかくにもお参りをして帰路の道を探す。急傾斜の幅狭い石段をへっぴり腰で鎖伝いにゆっくり降り、推定樹齢800年・樹周10m・樹高37mといわれる大銀杏を見て、ここからが判りにくいガイド本の説明文を読み解きながら西吾野駅への帰路に着く。結果的には選択した進路はオール正解だったが、判りづらい分岐ばかりだった。

   最後の峠である三社峠は大岩の間を切り抜いた道を抜けるのだが、抜けたとたんに西武線の電車の音が下の方から聞こえてきて、ほっとする。入浴施設などもあるという「あじさい館」から国道299号を右折して西吾野駅へと最後の速歩をする。駅の改札はパスネットもいちいち駅員が処理するオール手動式で、のどかな田舎駅だった。

   結局、本日のコースは標準タイム250分とガイド本にあったものの、小休止込みで188分で歩ききったので、75%ならまあいいかと自己満足する秋の一日であった。