第2回参拝記・・・10番札所〜15番札所 |
---|
前回(2005.04.05)に続いて2回目の今日も、前回と同時刻・同列車便を利用し、9:38西武秩父線横瀬駅に到着。今日は都合で前回同行できなかった妻も一緒だ。横瀬駅はこのシーズン恒例の臨時改札口を設け、駅前広場は芝桜の観光案内テントでごった返している。嘗て山仲間と羊山公園・琴平丘陵ハイキングコースへ2度ほど行ったことを想い出す。トイレを済ませ前回の続きになる10番大慈寺に向かう。先ずは駅から北進して国道299号の兎橋信号を渡り、石段から下の旧道(巡礼道)へと入って行く。駅で初老の男性巡礼を見かけたが、9番明智寺へ行ったのか10番方向への進路には姿が見えない。 途中わかりにくいところがあったが地元の人に尋ね、親切に教えて貰う。横瀬中学校の脇を通って大堀川沿いに順路を進むと、正面に「摩利支尊天」の大きな石柱が見え、右向こうに寺院らしき屋根が見えてくる。10:11大慈寺到着。「補陀所第十番万松山大慈寺」と刻んだ大きな石柱が迎えてくれ、思わずカメラを取り出す。「補陀所」は「札所」の意味だろうが、「補陀落」をかけているのだろうと考える。急な石段を登り詰めると左右に花頭窓(火灯窓)に仁王像を納めた風格ある楼門があり、妻の薦めで早速パチリ。本堂にお参りした後、脇に安置されている「おびんづるさま(お寶頭盧様)」の前で自分の体の中で悪い部分をなで、同じ場所をおびんづるさまのお身体でなでる。そうすると、病気がおびんづるさまのそこへ移っていくという俗信に由来する。われら夫婦、もとより正調俗人である。 10:21大慈寺出発。先ほどの道をほんのちょっと戻り、真っ直ぐ行けば近道になる所を巡礼道どおり旧道へと入り、緩やかな坂を登っていると右手に筍が2本生えておりこれから顔出ししそうなのも何本か見え、シャッターを切る。坂氷信号の先でナナメに右折し11番常楽寺には10:34到着。その直前に羊山公園への登り口が見え、急坂と緩やかな坂のふたつがあるとの表示だが、大勢の芝桜目当ての観光客が「急坂」を登っている。急坂といっても普通の坂で、山歩きをしているものにとってはどうということのない普通の傾斜に見えるが後刻登ってみると果たしてそうだった。 常楽寺は、10番と正反対に尾根の裏側の小高い傾斜の上に建っており、建物もどうということのない平凡な感じの札所だが、ベンチが置かれ、そこで休憩できるようになっているのでちょっと座り込み、置いてあった秩父関連パンフレットなどを貰う。納経する巡礼がおり、和尚らしき人が納経所に向かっている。先年回った四国88ヵ所の各納経所では戦争のようなスピード感と活気があったが、秩父霊場各札所でのそれは、せっかち人間にとってはのどかを通り越して時が止まっているような感じだ。 先ほどの信号まで戻り、横断していよいよ羊山公園へと寄り道する。妻がまだ行ったことがないためで、つづら折りの坂道を先客の後ろからぞろぞろとついて行くと、いつの間にか山上に到着。この付近は初めてなのできょろきょろしながら秩父鉄道創業者の碑とか、山上から秩父市街を見下ろしたりしながら、早めの弁当を食べているべているピクニック客の間をぬって芝桜の丘へと向かう。行く人、逆コースから来る人、別ルートから登ってきた人などがごった返す中を、われらせっかち夫婦は追い抜き追い越しでどんどん進み、武甲山資料館を横目に西武秩父線(トンネル)を越えると前面に見慣れた一面芝桜の丘。 まずは腹ごしらえをと僅かに空いているベンチに陣取って奥方お手製のお握り弁当を楽しむ。11:14〜11:46迄休憩の後いよいよ芝桜を鑑賞。ものすごい人出だ。その先の売店空き地でむ゜12番札所野坂寺への下山路を訊き高尾の都のさくら保存林で見たことのある金色の桜「鬱金」の横を通って坂を下っていくと、こちらは西武秩父駅からの登山路のひとつになっており、老若男女が次々と登ってくるのとすれ違う。圧巻は「思いやりの木」である。これは、昔、野坂寺の和尚が「若者の願いを叶え人々の幸せを実らせよう」と母なる木=栂と、熱のある木=火の木(檜)を抱き合わせて、山の神(大山祗神社)の社木として植えた処、すくすく育ち栂は檜を根元まで抱きかかえ、そして一帯となり二本とも高い木に成長した。いつしか“思いやりの木”と呼ばれるようになりこの二本の木をなでて山の神に願い事をすれば良縁が叶ったり夫婦仲が良くなったりすると伝わっている由で、これを傍で見ていた藤の木が面白くなかったのか栂と檜の上部を蔓でからんでしまった由。写真に撮ったが、なるほど絡まっていた。 更に降りていくと、この急坂を松坂峠(まっつぁかとうげかとうげ)と言うとの看板があった。坂を下りきって左折してしばらく行くと愈々野坂寺だ。門前で出逢った住職の奥方らしき女性が明るい声で迎えて呉れた。境内は花いっぱいで、おそらく住職婦人の丹精によるものと思われ、主婦たる人物の出来の大切さを窺わせる。明治時代の秩父大火で焼け残った立派な山門が往時の風貌をそのまま残している。入母屋二重垂木の八脚門で、左右の花頭窓(火灯窓)の中には閻魔大王をはじめとする十王像が睨んでいる。十三仏像を安置した堂ほか見所いっぱいの札所で、“こころ”の和むいい禅寺だった。所要21分で12:28出発。 山門を出て次の十三番へ向かう道で実はこれが正面の表参道であったことに気づく。約百メートルに及ぶ桜並木の立派な道を通って国道140号に出、大勢の団体参拝客を避けて、西武秩父駅前信号から駅の仲見世通りを抜け、秩父鉄道の線路を越えて13:02に13番慈眼寺に到着。ここも明治11年の秩父大火で本堂が焼失したらしい。寺の由緒その他は解説本に譲るが境内には目の病に効くとのいわれのあるメグスリノキか゜2本あった。 次の札所へのアプローチ方向についてちょっと迷ったが、家内と二人で判断するといつも正しい方向が見つかる。「話を聞かないナントカと地図の読めないナントカ」の本を読んだことがあるが、妻は地図の読める女である。やはり車を運転する女は“読める”ということか。14番今宮坊に向かう途中、右手に今宮神社があり、ふと覗くと |