2003年4月7日(月) |
桜のゲン直しは桜の名所でと多摩川&玉川上水上流へ |
今年はまだ花見ができていない。5日の村谷氏グループの山歩はあいにくの雨で軟弱小生としては「欠席」を選んだので、きょうは足のトレーニングも考え、妻と花見に行くことにする。 先だって、拝島で打ち切った玉川上水緑道のこともあったので、拝島へ行き、直接「多摩川」の土手に出たら、ものすごい桜の花が今ぞ春と咲き乱れ、花見行楽客も多い。これは凄いと写真を撮ったりしながら上流を目指し、途中から「玉川上水緑道」に出て、緑の木々や清流、ところどころ桜花という道を散策しながら上流へと進み、羽村堰へと進む。 突然、妻の携帯電話が鳴り出す。杉並の娘からで、予て転勤の可能性が高かった夫君の発令が出たそうで、行き先は沖縄の那覇支店だという。妻ともどもびっくり・・・よりによって遠いところへ行くことになったものだ、飛行機嫌いの自分から言えば殆ど外国みたいなもので、さてどういうことになるのかと思う。転勤はサラリーマンの宿命であり、かと言って、その点では自分の場合比較的転勤の少なかったせいで、妻も転勤とか転居への免疫が十分ではない筈だ。とにかく、「じゃあ、遊びに行ける所が増えたね」などと言って、とりあえず電話を切ったが、内心は複雑で、娘も夫君も同様だろうと思うが、前向きに受け入れることが大切だ。後の話だが、娘には沖縄の方言を早く覚えろと関連URLなどを教えてやったものだ。 羽村堰では、多摩川から水を取り込み、極めて短期間で当時の四谷の大木戸までの約43kmの玉川上水路を完成させ、人口急増で水不足の江戸への上水供給を可能にした大功労者:玉川兄弟の銅像を見て、その偉大なる功績を知り感嘆する。因みに、現在玉川上水はその殆どの部分、両側に緑道が整備され、その末端は杉並区の中央自動車道と接近する浅間橋跡までの約31.5kmに及んでいるが、水自体は環八の神田川佃橋上流で神田川に流しているらしい。 空腹を覚えてきたので羽村駅近くの、予て知りたる蕎麦処「甚作」に家内を案内し、めちゃうまの蕎麦その他を食し、家内共々大満足。今が盛りの桜花爛漫ウォークに歴史の勉強に、舌鼓にと、想い出に残る一日になった。 |