2005年9月21日(水) |
三度目の水歩会は高畑山・倉岳山 |
今年から入会した「水歩会」での三度目の参加は、巾着田の曼珠沙華の開花遅れに伴う一週間延期に関連しての臨時版として、リーダーのミミさんが急遽企画されたきょうの山行プランである。倉岳山は、以前「たつみ山遊会」として登ったが、今回は高畑山にも登るという企画で、歩程5時間15分の★★マークだ。 高尾始発便かと思っていたら誰も見えないので、八王子始発便だったことに気づく。定刻8時21分発の先頭車両に乗ると、湯屋番さんやフクロウさんの姿が別ボックスで見える。やがてキャップのはなさかさんも一号車に移動してきた。今日のリーダーであるミミさんとはまだ一緒に山歩したことがない。8:49鳥沢駅に到着し、皆さんに挨拶。momoさんにもホーム階段登り口で出逢う。総勢は予測どおり男4・女2の計6名。 鳥沢駅を出て国道20号に出て右折。この辺りはいずれ徒歩で日本橋〜下諏訪まで歩こうと計画している甲州道中(旧甲州街道)の鳥沢宿の面影を残す民家があちこちに残っている。1階と2階の間に大きな廂が突き出ていて、通りの側は全面ガラス張りの格子戸になっていたりする。鳥沢小学校の先に右折する小道があり、標識が出ているということだったが、なかなか遠く、若干不安がよぎったが、大丈夫だった。 踏切を越え、民家の間を抜け、やがて桂川にかかる虹吹橋という小粋な名前の橋を渡る。このルートは、道標がしっかりしていると聞いていたので安心はしていたが、一度経験済みの道とはとても思えないほど記憶が曖昧になっている。曖昧どころか“無い”部分も多いのには我ながらビンタものだ。集落から抜け、小篠貯水池から山道が始まる。振り返ると扇山や百蔵山が雲間に見える。きょうは天気が晴天とはいかないが、その分涼しく山行できるだろうと思っていたが、果たして富士山が見えるかどうかがひとつのポイントである。 10時10分、石仏のある分岐に到着。高度計は520mと、鳥沢駅の317mから殆ど登っておらず、残りの460m余を考えるとまだ三分の一にも達していないことになる。以前のたつみ山遊会では、ここから直進して穴路峠へと向かったが、きょうはここを右折し、以前、高畑仙人なる老人が住んでいたと言われる小屋の廃墟後を経由して高畑山へと向かうことになっている。山の斜面をけずって造ったじぐざくの細い登山路を登っていくと、そこかしこに色鮮やかなキノコが大小艶やかに目を楽しませてくれるが、キノコの専門家不在の溜め、全て毒キノコとして観賞と写真被写体としての存在のみにとどめる。 やがて、ややリスキーな細道を若干下ったり、両脇から迫っている雑草にズボンの先を濡らされながら進み、いよいよ最後の急登箇所にさしかかる。あえぎあえぎ何とか登り切り、漸く982mの高畑山頂に到着したのが11:35。ここは、文献によれば、高畑山、高畑倉山、楢山と3つの山名を持っていたそうだが、国土地理院の標識も現在は「高畑山」に統一表記されていた。見晴らしは残念ながら不良。原因は天候で一面曇天。やむなくビニールシートなど、思い思いに敷いてランチタイム。 後の一旦下ってまた登り返しのあるコースを考えて、特製ジュースは控えめに済ませる。ミニトマトや、ミミさんの呉れた梨が、汗をかいた身体にしみこむようにメチャウマだ。水分は大分摂ったのだがまだ体内の水分は不足のようである。 ====今回も 駄作でさんぽ 五七五==== ●鳥沢駅からのR20号沿いは甲州道中の風情が色濃く残っていました。
“鳥沢宿 往時のおもかげ そこかしこ”
●高畑山と穴路峠の分岐に、石仏がたたずんでいました。
“登山者の 無事を祈るや 石ぼとけ”
●登山路のそこかしこでキノコが色鮮やかに存在を主張していました。
“ハイカーさん 土産にいかがと 毒キノコ”
●高畑山・倉岳山共にあいにくの曇天で視界不良でした。
“頂きも 天空低く 霧の中”
●倉岳山への尾根筋は、左アカマツ・右コナラの棲み分け地帯だった。
“微妙なり 尾根の左右で 木の違い”
●穴路峠に出ると四方から涼風が暑い体の中を吹き抜けていきました。
“心地よし 涼風通う 穴路峠”
●梁川駅前の酒屋で缶ビール“富士山”を一気飲みし見えざりし名峰の
代わりにしました。
“曇天で 見ざりし富士山 ビールで我慢”
|