「聴覚障害」について・・・コタちゃんなりの思いを綴ってみました(その2)
コタちゃんにはもう1人の難聴児がいます。 |
長男から6年後今度は長女がうまれました。待望の女の子でわたしも主人も本当に嬉しかったです。 |
ここでは、長女のお話をしたいと思います。 |
長女は3256グラムでアプガースコア10点の健康優良児として元気な産声をあげました。 |
大きな口をあけて元気よく泣いている声を幸せな思いで聴いていました。すぐに抱っこさせてもらったのですが |
泣き止むと左のほっぺにえくぼができて本当に可愛い子でした。 |
しかし一抹の不安はありました。家に帰ってからは耳の事ばかり気になっていました。 |
そんなある日、生後9日で40度の熱をだしました。すぐに産院に電話して診て貰おうとしましたが先生が留守で |
診てもらえず地元の病院に電話したら小さすぎて診れないといわれ、そんな事を5回ほど繰り返し、途方にくれて |
しまいました。それでもう一度大きな病院に電話したら薬は出せないけれどもそんな状態なら診るだけは診ますと |
言ってもらい車で1時間かかる病院に連れて行きました。「生後9日で高熱を出す赤ちゃんはまれで、 |
怖くて薬がだせないのでもう一度小児科の診察時間のある時に診てもらってください」と条件付で診察をうけました。 |
あの時ほど怖い思いをした事はありません。結局診察といっても聴診器を当てるだけで終わってしまい、 |
家に帰っても不安な一夜をすごしました。土曜日の事で次に診察してもらえるのは月曜日です。 |
高熱はさがらず、当時近所に住んでいた看護師さんにどうすればいいか相談したら「動脈の通っている部分を冷やし |
てみたら」とアドバイスをくれましたのでそうやって3日間すごしました。 |
結局高熱の原因はわからずに熱は5日後にさがりました。その後しばらくして左耳からみみだれが出てきて |
どうも中耳炎らしいとわかったのでかかりつけの耳鼻科に連れていきました。かなり重症だったので、 |
生後2週間前後の赤ん坊を連れて毎日耳鼻科に通いました。中耳炎が治ったら今度は目やに・・・。 |
眼科通いです。「鼻涙管閉塞」でした。治療法は母親には見せられないからと、診察室を出され、その場で |
子供の悲鳴と泣き声を聞きながら私も泣いていました。それでも何とか乗り越えてほっとしたのもつかの間で |
次はお臍が膿んで大きく腫れてしまいました。へその緒がうまくとれなかったのです。 |
どうしてこう・・・・次から次へと病気をするのか・・、その時の主人の言葉が忘れられません。 |
「この子は育つのか・・・・」本当に泣きたい思いでした。 |
そして戦争のような1ヶ月が過ぎようやく病気もしなくなりました。そうなるとやはりお耳の事が心配になってきます。 |
一応は検査を受けておこうと3ヶ月を過ぎた頃にABRの検査予約を入れました。その3ヶ月間は今でも |
身の置き所のないような心細い気持ちを忘れられません。 |
検査の結果、最重度の難聴でした。先生からは「この子には手話しかコミュニケーション方法はありません」と言われ |
ましたが、長男の時のような不安感はありませんでしたので、口話法で頑張ってみようと決意を固めていました。 |
ただ、参ったのは生後3ヶ月で難聴が判明したにもかかわらず補聴器をなかなかつけて貰えなかった事です。 |
補聴器は「喃語が消えるまでにつけるべき」と言う考えをわたしはもっていましたので、1歳半までつけて |
もらえなかったのは残念な事でした。 |
そして、先輩のお母さんに紹介された教室通いがはじまりました。静岡県まで毎週新幹線に乗って通いました。 |
通っている間はしんどいとも何とも思いませんでしたが今思うと、オムツも取れていない子で歩けない子を |
よくまぁ、静岡まで行っていたな〜と感心してしまいますが。。。。 |
それから3年間は頑張って静岡に通いました。その時は人工内耳手術は絶対に反対でしたが、 |
かかりつけのお医者様は根気良く「手術を受けてみないか?」と言い続けて下さっていました。 |
5歳になった時「これがタイムリミットだから最後にもう一回言う、人工内耳を考えてみてはどうか?」と言って |
下さいました。あまり断り続けるのも悪いか・・・と思い軽い気持ちで診察を受けてみました。 |
そして、、、、私と長女の意思を無視して主人と主治医の教授先生の間で手術が決まってしまいました。 |
主人は普段より自分の意見をあまり押し付けない人なのですが、この時は人が変わったように意見を押し通して |
しまいました。手術をしてもどの程度まで聴こえるかは未知数だと言われたにもかかわらずです。 |
結果的に主人の言うとおりにして良かったです。6歳で手術を受けたのですが、今は簡単な電話での |
受け答えが出来るようになっています。 |
聞き取りの検査でも9割は聞き取りできるようになり、(この結果は中途失聴の方でも出せない数字だそうで) |
本当に喜んでいます。 |
かかりつけ医、主人、京大の先生方みんなのお陰で現在の長女があります。 |
長女は長男とは違う方法で訓練し大きくなりました。 |
今思うとそれぞれの体験が出来てわたしとしてはとても勉強になり、良かったと思っています。 |