陽だまりサークルとは

二人の難聴児を育てているコタちゃんが管理人の子育てサークルです。
今は、新生児聴覚スクリーニングという制度で出生してから何日かで難聴かどうか判断できるようになりました。
しかし、わたしの経験から言ってですが、障害があると分かった子供を授かってすぐに気持ちを切り替える事は
大変難しいのです。

産まれたての赤ちゃんには「普通の子育てをしてあげてください」と言われても
母親や、保護者は「はい、わかりました」と言ってすぐに気持ちを切り替えて赤ちゃんの世話・・とすぐに切り替えが
できる人はとても少ないのです。しばらくは母親、親族ともに放心状態になります。

いざ、何とかしようと思っても養育者にとってはとてもつらい現実が目の前にあって上の空になってしまいます。

私は二人の難聴児が授かりましたが、二人目の方がよりしんどかったようにおもいます。
しかも、難聴が分かってもどうすれば良いのかどんな子に育っていくのか全くわからず、
情報もなく、一人で全部を抱えてしまって結果的に親子で辛い思いもしてきました。
そんな思いは私だけで充分です。

これからのお母さんや保護者の方の気持ちの持って行き場を提供したいと思いまして
「陽だまりサークル」を立ち上げました。

「陽だまりサークル」メンバーには

難聴児を現在育てている親さん、ろう学校の先生、児童相談所の先生、その他コタちゃんの友人が多数
協力してくれています。メンバーさんは皆さん社会でそれぞれに活躍されている方で、子育て
経験されている方ばかりです。
困難だと思える事も皆で知恵を出し合えば心強いと思います。

上記の方々に手伝ってもらいながらボランティア活動をしていく予定です。

「陽だまりサークル」の活動

新生児聴覚スクリーニングで「リファー」と診断されたお母さんの話し相手になりたいと思っています。
「リファー」といっても、聴覚に障害があると確定されているわけではありません。
しかし、多くのお母さん方は激しく動揺されます。心のケアはまだ、行政ではきっちりとした対応はありません。
    「リファー」とは・・・・要再検査の事です。精密検査には一次、二次と受ける場合もあります。
                 この県では、六つの病院で精密検査、その後国立病院で確定となります。
                 産院から直接国立病院を紹介される事もあります。

現在聴こえにくいお子さんを育てていらっしゃる方の様々悩み、経験談など、お聞きになりたい事があれば
お話します。ご兄弟がいる家庭では他のお子さんの対応についてなど、経験をお話できればと思っています
気楽にお話をしてください。。日ごろの愚痴!大いに結構です。肩の力を抜いて楽しくお話できれば最高です
コタちゃんは専門家ではありませんから難しい事はわかりませんが、共感はできると思います。

「聴覚障害」について・・・コタちゃんなりの思いを綴ってみました

聴覚障害とは・・・。「聴こえる」「聴こえない」と簡単に分けられる訳ではありません。歳をとれば「老人性難聴」だし
仕事や、音楽などの「騒音」を聞き続ける事でおきる「難聴」もあります。また、耳の奥に腫瘍ができて聴覚が侵されたり
薬の影響で難聴になる場合もあります。そんな中で特に気を付けなければならないのが、子供の難聴です。
大人になってから何らかの理由で聴覚に障害を負っても言語という「母国語」を持っている限りはコミュニケーションの
障害はありません。手話、筆談、補聴器や人工内耳で聴力を補えば社会で多少不便でも困る事はありません。
しかし、先天的に聴覚に障害があると、「母国語」を覚える事がとても難しくなります。
そのために「新生児聴覚スクリーニング」という制度が設けられ、
早く障害を見つけて早くから言葉を覚えるための「訓練」や「リハビリ」をしないといけないのです。
確かに要再検査のお子さんを早く見つけて・・・と言う部分はクリアできました。
しかし、リファーとなったお母さんやご家族の気持ちのケアまでしてくれる場所(受け皿)はどこにもありません。
私は、「新スク」にお金をかけるよりも心のケアをしてもらえる場所を先にするべきだと思います。
って言ってもどうしようもないのですが・・・・。
そんな思いから「陽だまりサークル」立ち上げた訳ですが。いろいろな方のお話を聞けば聞くほど
自分の勉強不足を痛感しています。
ここで少し、コタちゃんの体験をお話したいと思います。
コタちゃんの長男は発見当時は中等度の難聴で、「一度呼んでも振り向かないけれど、二度目に大き目の声で呼ぶと
振り向く」状態でおかしいと気付いたのは一緒に住んでいたおじいちゃんでした。おばあちゃんや、お母さんには
よく反応するのにおじいちゃんや、お父さんになると聴こえていないようだ、まして、壁の陰から呼んだら
全く反応しないぞ!」と教えてくれたのです。あれ?と思って実際に注意して見てみると、なるほど
そのとおりでした。慌てて、近くの病院に連れて行き「むっ!これば!」と顔色を変えられ、すぐに大きな病院を
紹介してもらいました。そこで、ABRという検査を受けました。結果は「60dB〜70dB」でした。2歳半でした。
しかしその病院の若い耳鼻科の先生は「これだけ聴こえていれば大丈夫!」と太鼓判を押したのです。
今思えは立派?な難聴児なのに・・・・。その診断を受けてからまた半年、普通の育児をしていました。
今でも悔しい思いでいっぱいですが・・・。3歳になりやはり言葉が出ない!という事で私はどこに相談を持って行ったら
よいのか判らずに、市役所に電話しました。その方は少し聴覚に障害がある方のようでした。
電話で話しただけの彼は「聴こえていないと思います。」と断言し、
すぐに、隣県の保健センターを紹介してもらいましたが、予約は3ヵ月待ちでした。私の中で焦りばかりが起こり
家庭の中もギクシャクしてきました。それからは次の精密検査の予約日まで時間との戦いでした。
喋れない、聴こえない子供かもしれないと言う思いで、家族みんなが以前の子育てをできなくなって
しまいました。普通に話しかけられなくなってしまうのです。この時期が一番辛かったかな・・・。
そして、聴覚障害がはっきりしました。そこでもわたしは、また、打ちのめされるのです。
3歳半まで聴こえにくい障害から「言葉」を全く理解できていなかったのです。
お母さんは?と聞かれてもわからない・・・・。もうこれは、地獄です。今まで自分は何していたんだろう・・・・。
後悔と周りのせいにしたくなる気持ち。。。おまけに知能検査では「ボーダーライン」だと。
知能が低いのは「耳が聴こえにくいからそうなのか、先天的に知能障害もあるのかはわからない・・・」と。
帰りはどうやって帰ってきたのか覚えていません。「耳も悪いし知的にも・・・・」「この子将来は?」グルグルグルグル
堂堂巡りです。しかし、私の母としての本能か?何だかわからないけれど、「この子は耳は聴こえにくい様だが
知的な問題を抱えている訳では絶対にない!」という確信だけはありましたから、
その日から「訓練施設」の見学が始まりました。そして・・・・。鬼の母になったのです。
詳しくは控えますが、親子でとても大変な思いをしてきました。
今、息子は高校三年生ですが、将来の夢に向かって、彼なりに頑張っています。
リファーとなったお母さんや、現在、難聴児を育てている親さんにに言いたい事は、ただひとつです。
どんなお子さんでも、すばらしい能力を持っています。決して不幸ではないのです。
今、私は子供たちに、わたしの子供に産まれてきてくれてありがとう!という気持ちでいっぱいです。
確かに、普通のお子さんよりは手がかかるかもしれません。苦しい時もあるでしょう、手をあげてしまって
自己嫌悪に陥る時もあるでしょう。でも、それは一生続く訳ではありません。
そして、どんな教育法があるのか、ご自分で勉強してください。
手話、聴覚口話法(ちょうかくこうわほう)、補聴器で残存聴力を補う、人工内耳、手段は
以前よりも数段増えています。どの教育もすばらしいものです。
迷ったら、コタちゃんに電話なり、メールなりを下さい。
(私を含めてそれぞれの体験をされた方をご紹介しますよ。)
子供に手をかけた分きっと、お母さんにも得るものはあります。
そして、それは、きっと、お母さん自身の宝になります。断言しますよ。コタちゃんは。
私も現在、難聴児を育てている親です。下の子はまだ、5年生です。
長男とは違った悩みもあります。これからもあるでしょう。
一緒に、子育てをしていきましょう!  最後まで読んでくださってありがとうございました。

コタちゃんの自己紹介をします

生年月日 昭和3×年3月春分の日うまれ
家族 夫、子供男女二人(上の子男・19歳、下の子女・12歳)
趣味 読書、映画鑑賞、PC
好きな物 猫!

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