一章・出会い

彼女の姿が目に映る。何か言いたげな、それでいて背を向けた姿が。堕ちてゆく意識の中で、俺はそれだけを知覚していた――。

「あれ…?」
朝だった。明るい光が差し込んでくる。あれは夢だったのだろうか。あんなに知っていると思っていたはずの女性だったが、今思い返してみると全く面識がない。とりあえずベッドを降りて着替えよう、そう思った。夢のことは置いておいて、俺は学校には行かなくてはならない。最近頑張って、遅刻を減らしているのにこれでは苦労が水の泡だ。そう思ったとき、はたと疑問にぶち当たった。俺は何で遅刻を減らさなければならないんだっけ…?そしてその疑問はさらに発展することとなる。
 ベッドを降りようとしたとき、急に大きな揺れが襲った。じっとしてみると、先ほどからわずかにだが、振動が伝わってきていた。三輪自転車のようなものに乗って整備されていない道路を走っているような感覚。移動中だろうか、と言う疑問が浮上した。しかしそんな記憶は一切ない。その時になって気づいたことが一つ、いや二つ有る。それは、外から入ってくる光の明るさが変わっていることだ。影が動いているようで、そこからも移動中であることが示唆できた。もう一つは少し前に気がついたことだが、俺が来ている服は普通の洋服だったことだ。寝巻き代わりに来ている服ではなく、今にも外へ向かおうかと言う普通の服だ。青色のジーンズ―右膝のところが擦れているものだ―にVネックのTシャツ。シャツの色は紺と藍の中間のような色で、後ろに大きく英語のロゴがプリントされている。確か――続く言葉がなかった。背中に書かれた文字は後で見ることにしよう。それよりも今一番大きな疑問。
――ここはどこだろうか?
やっと肝心な疑問にぶち当たった。
 とりあえず辺りを見渡してみる。俺がいる場所、そこは四方を木の壁で囲まれた、部屋のようだった。ただし、ベッドが二つ入るか入らないか位の大きさだ。縦横二メーターと言ったところだろう。進行方向側にはお世辞にもドアとは呼べない場所が存在していた。白色のカーテンがかかっているその奥は、扉の失われたドアが存在していた。その先にも部屋があるようだ。男の人の声が聞こえる。声からして大体、二三人といったところだろう。カーテンがめくれるのに気づいた一人の男が声をかけた。
「お、気づいたか。」
とても温厚そうな印象を受けたのは、彼の顔が丸いからだろうか。
「あ、ほんとだ。全く心配したぜ。大丈夫か?」
こっちの男は、先ほどのとはとても対照的な容姿をしていた。ほっそりとした顔。髪が立っていて、全体的に尖った印象を与えた。左耳に輪の形をしたシルバーのピアスをしている。しかし、心配そうに覗き込んだときの顔が本当はとても優しい人だということを物語っている。
「あ、はい。大丈夫です。」
とりあえず俺はそういった。
「よかったよかった、心配したんだよ。人が転がっていたなんて言ったら誰でも心配するよね。」
三人目の男、この男はごくごくありふれた容姿をしていて、特徴をつかめない。強いて言うなら髪だろう。その黒さは他の色を一切含んでいない。ちなみに、最初の男の髪の色は少し茶色の混ざった黒で、二番目の男はかなり明るい色でありながらも、黄土に近い色の印象を受ける。
「そういえばまだ名乗っていなかった。俺はセザータ。」
最初の温厚そうな男が名乗った。そして俺を招き入れ、隣に座らせた。
「俺はタディス。」「俺はラド。」
二番目の男と三番目の男も続けて名乗った。ここまできたら俺も名乗らないとまずいだろう。
「俺は…福井義治。転がっていたってどういうことですか?」
とりあえず名前を覚えていたことに安心したが、三番目の男―ラド―の言った言葉が引っかかった。転がっていたとはどういうことだろうか?しかも、道端にと言うところが妙だ。
「うん、転がっていたんだ。最初に見つけたのは確かタディスだったよな。」
「ああ、俺だ。道を塞ぐような形で倒れていてな、慌てて停めて様子を見てみたんだ。こんなところで人の死体が放置されるのも珍しいと思っていたら、生きていたじゃないか。わずかに呼吸してた。服とかは綺麗だったし、喧嘩した痕が見れないからすっごく不思議だったぜ。」
最初の男―セザータ―の答えに二番目の男―タディス―が肯定した。タディスはとても不思議そうな面持ちで話していた。俺はさらに何がどうなったのかわからなくなった。とりあえず、第一発見者がタディスであって、タディスがこれを停めたのだから、運転しているのはタディスだろう。それだったら、何故タディスはここ―先ほどまでいた部屋と同じくらいの大きさで、向かい合うように椅子が並べられていて、電車の長椅子のような感じだ。俺はセザータの隣に座り、正面にいるのがラド、ラドの隣にいるのがタディスだ。ちなみに、セザータとタディスが進行方向側に座っている。―にいるのだろうか?
「あの、運転はしなくてもいいのですか?」
聞きながら、運転席と言うものが見当たらないことに気づいた。
「運転?」
タディスが怪訝そうな顔で聞いた。俺は首肯した。
「あははははは。妙なものを聞くな。名前も変わっているが、聞いてくるものも変わっている。」
何がおかしいのか、笑いながらラドは言った。どこがおかしいのですか、と聞こうと思った。名前がおかしいのは貴方たちじゃないですか?そう言いたい。しかしそう言う前にタディスが俺の質問に答えた。
「これの運転は基本的にオートだ。何かあったときは制御盤を出せばいい。」
言いながらタディスは制御盤を出して見せてくれた。制御盤は横にある小さなスイッチを押したら出てきたが、それは宙に浮いていた。ディスプレイが上から降りてきたのかと錯覚するぐらい存在がはっきりと認識できる。それなのに、何の問題もなく手を通り抜けることが出来る。さすがにキーのあるところは誤って押したらまずいので控えたのだが。
「名前が変だというのはさすがに失礼だよ。彼にしてみたら俺らのほうが変なんじゃない。なあ、そうだろ、えっと、フクイ…。」
「義治です。そっちは名字です。」
セザータはフルネームで呼ぼうとしていたので、そう断っておいた。のだが、三人は妙な反応を示した。名字と言うものを知らないかのような反応だった。
「ミョウジか。知っているか?」
「俺が知るかよ。お前は?」
「知らん、知らん。知るわけがないだろ。」
三人はそう話し合っていた。どうやら予感が的中したようだ。
「名字と言うのは、家族共通の名前のようなものだ。まあ、実際はそんなもんじゃないんだろうけど。だから俺の名前は義治、だと考えてくれ。」
とりあえず簡単に説明しておく。三人は納得したような、していないような表情をしたが、それでも、一応は頷いて見せてくれた。タディスに至っては「よろしく、ヨシハル。」と手を差し出してきた。握手を求められたことに気づき、俺も右手を出した。このとき、幾つかの疑問が頭をよぎったのだが、それらは敢えて口には出さないことにした。例えば言語のこと、彼らの職業、ここの場所、などなど。名前を片言で呼ばれるのはなかなか慣れないので、それだけは直させたが。
「とりあえず、俺らはこれから市場(マーケット)に行ってくるが、義治はどうするか?」
タディスが聞いた。全くの愚問である。
「そんなこと聞かなくてもわかるだろ。」
俺はここのことを知らないのだから。今俺にはここにいる三人を信頼するしかないのだから。彼らがどこへ行こうと、俺がやらなければならない目的で彼らから別れなければならないものが見つかるまではついて行くしかないのだから。何故か断片化された記憶。それを取り戻すことが当面の目的ではあるが、それは彼らと行動しながら探すことが出来る。知り合ったばかりではあるが、彼らしかここの世界での俺を助けてくれる人が今はいないのだから。だから俺は彼らについていく。マーケットだろうと、火山だろうと、吹雪の中だろうとどこまでも。ちょっと謎な乗り物―揺れが激しいから三輪自転車だと思ったのだが―に乗って俺たちはマーケットへ向かって進んでいった。
 マーケットには、当然ながらたくさんの人がいた。服装も、肌の色も、髪型も、様々な人が路を行ったり来たりしている。売っているものは、食料品がほとんどのようだ。しかし中にはそれ以外のものも見られる。毛織物などの加工品もその中には存在していた。たくさんのお店―そのほとんどは屋台のような形だ―が広がる中、セザータたちはそんな様子に目もくれず、前に進んでいく。初めから何か目的があるようだ。そしてここは通い慣れた場所なのだろう。
「ばあちゃん、ばあちゃん、元気か?」
ラドがそう言って一軒のお店の暖簾のようなものをくぐった。そこは、屋台と言う感じではなく、ちゃんとした建物だった。家とお店とが合わさったような、石造りの建物で、せいぜい二階といったところだろう。乗り物はマーケットの入り口に置いておいて、それ以降は歩いてきたのだが、こう建造物と比較して初めて彼らのおおよその高さが測れた。比較するものがないときは、自分の見たままで判断しているが、普通に十センチ以上の差が生じていた。俺の身長は百七十五ぐらい、それで暖簾より十センチほど高い。暖簾自体は五十センチぐらいあるだろう。そんな暖簾の真ん中辺りにラドの頭はあった。つまり大体百九十といったところだ。そう、このときになって俺はラドが割りと背が高いことに気がついたのだ。ちなみにタディスは俺と同じくらいで、一番小さいのがセザータだった。
「おうおう、久しぶりじゃのう。」
中から一人の女性が迎え出てきた。背を丸めているからか、身長は百四十辺りに見える。顔には皺が刻まれ、皮と骨しか見えないほど痩せた身体をしていた。浮き出た血管は、蔓が絡み付いているかのようにみえる。とても細くて小さな女性からは、その血管はとても太く不釣合いに見えた。そんな女性が、暖簾をくぐったばかりのところに立っている俺たちのところにやってきたのだ。とても弱々しく見える女性は、しかし、杖をついていなかった。
「ミルさん、元気そうで何よりです。」
タディスが言った。微笑を浮かべている。どうやら女性の名前はミルと言うようだ。
「ああ元気じゃ。まだまだ若いもんには負けないよ。ところでお前さん方、大丈夫だったのか?」
「いや、とても悲惨だ。廃墟となりつつある。」
ミルの質問に答えたのはセザータだ。とても暗い顔をしていた。そうか、とミルも暗い顔をした。状況が飲み込めない俺以外の四人は皆暗い顔をしていた。
「だからここを出ることになってな、ばあちゃんにお別れを言いに来たんだよ。」
ラドが言った。勤めて明るく言おうとしていたようだが、それでもだんだん暗さがにじみ出てきていた。何があったかわからないが、彼らにとても辛いことがあったらしい。そしてそのために旅に出るのだろう。見たところ行く当てなんてなさそうだ。
「そうか…。元気での。また連絡をくれな。」
「ああ、わかった。約束するよ。」
彼らは見るの手を包み込むように硬く握手し、背を向けて去っていこうとした。俺の紹介などは全くなかったことに、少し戸惑ったが、彼らが出発する以上後を追わなければならない。
「ちょっとお前さん。」
しかし、後を追おうとする足を止めたのは、ミルのこの呼び声だった。
「はい、何でしょうか?」
とりあえず俺は聞いてみる。ミルが低いためついついややかがんだ格好になった。
「どういういきさつかはわからないが、彼らをお願いするよ。」
それだけ言ったかと思うと、どこからそんな力があるのか聞きたくなるほど強い力で俺を押した。転びそうになったところを何とか体勢を立て直す。もう既に、小さくなっていく彼らの背を追って俺は走り出した。
「元気でなー!」
小さくてもはっきり聞こえるミルの声がした。
「はーい!」
大きく手を振って見せて、俺は彼らの後を追った。

 ある程度進んだとき、路が騒がしくなった。この今俺らが通っている道路は、両側を木々に挟まれた、人の気配なんて全く感じさせないような通だ。もちろん、道は地肌が見えて全く整備された様子を見せていない。そんなところに人がいるはずがない、と思ったとき急にタディスが飛び出た。飛び出したのだ。扉は別についているのだが、扉のないところからガラスが割れる音もせず、どこにもぶつかる音がせず、タディスは移動中のこの乗り物から外に出ていた。
「でやっ!」
掛け声と共にタディスの蹴りが炸裂した。正面を見てみると、五六人の男が何かを囲んで暴力を振るっているところだったらしい。手を伸ばし、何かを引っ張ったり蹴ったりしているところだった。そんな中にタディスの蹴りが飛んだのだから、ひとたまりも無い。彼らにしてみれば不意打ちの攻撃だっただろう。見事に一人の腰の部分に当たった。何が起こったのか、彼らが把握する前にタディスの次の蹴りが炸裂した。今回は別の男の腹部に当たった。いつの間にかタディスは輪の中央にいた。そしていつの間にか、この乗り物は停止していた。更にいつの間にか……。
「セザータ!」
タディスが叫んだ。男たちが邪魔でタディスの姿は見えない。しかし彼は何かをかばっている。男たちが何かに暴力を加えていたことと、タディスがセザータを呼んだことからの想像ではあるが。
 その時、タディスの頭が少し見えた。何かを抱えているようだ。その間、男たちは容赦なくタディスを叩きつける。両手がふさがっていて、反撃が難しいことにつけ込んだのだろう。そこへセザータが駆けつけ、タディスからその何かを受け取った。いつの間にか、セザータも外へ出ていたことに、このときになって俺は気づいた。セザータは、これに乗っているラドにその何かを託した。ラドは扉のところに立っていて、俺に背を向けていたのだが、そこから人の頭が見えた。髪が長いところから、おそらく女性だろう。真っ黒の髪を、後ろに一つに束ねられていた。ラドは先ほどまで彼らが座っていたところに女性を横にさせた。身長はおそらく百六十センチ。全身に擦り傷とあざが見られる。とても強く殴られたか蹴られたのだろう。どうやら気を失っているようだ。ラドは手際よく女性の傷の手当てを始めた。
 そこへ、セザータがタディスを連れて戻ってきた。連れて戻ってくる、と言うのは少し語弊があるかもしれない。セザータが行かなければ、タディスは男たちを全員抵抗できなくなるまで蹴っていただろう。あんなに叩かれた割には、顔に余裕の笑みさえ浮かべている。頬が少し切れていたが、これくらいの怪我はいつものようだ。セザータは呆れ半分で顔に苦笑いを浮かべてタディスの怪我をラドに任せ、自分はこれを動かし始めた。道に残った男たちは抵抗する色も見せず、ただ道を通した。
「この辺りまで、賊が出るようになったか。」
ポツリとセザータが声を漏らした。
「えっ?」
俺は思わず聞き返した。部外者の俺にはセザータの呟きの意図がつかめないでいた。
「ここは昔、人々は貧しいながらも幸せに暮らしていたんだ。だから、賊になるような人はいなかったし、賊に襲われる必要性もなかった。貧しい以上は何も取れないからね。」
ここでセザータはいったん言葉を区切った。セザータはここは≠ニ言ったが、おそらくそれはこの近辺を指すのだろう。そしてその原因は、セザータたちが旅する理由と同じなのかもしれない。俺は俺の顔色を伺うセザータに先を促した。
「しかし、病魔と言うものは徐々に進行していくものなんだな。病魔と言うのは適切じゃないな。俺らはそいつを小さな脅威者(ミクロエイリアン)と呼んでいる。さて、そのミクロエイリアンなんだが、そいつはいろんな生物に棲みつく。寄生すると言ってもいい。どこからやってくるのかはわからないが、どこからともなくやってきて、野菜や家畜、人間にまで寄生し、どんどん食い尽くしていく。人に食いつくときは、初めはごくごくありふれた傷口に見える。しかし、徐々に身体の内部が蝕まれていくのさ。生きたまま喰われるってのはさぞかし気持ち悪いだろうな。」
そんな人間を見たことがあるのだろう。セザータはブルッと身震いした。
「つまり彼らは、何らかの偶然によってその被害から免れたものの生活が出来なくて賊になったということか?被害を受けたところはどうなるんだ?」
「うん、多分そうなんだろうね。俺らも一歩誤ればそうなることになっただろうし。被害を受けたところは、ミルさんとの話を聞こえたからわかるだろうけれど、人がほとんどいなくなるから、だんだん荒廃して行く。だから人々は住みよい場所へ避難をするのさ。」
俺の質問に、そうセザータは答えた。
「しかもこいつら、ミクロエイリアンは駆除法が見つからないから困ったもんだ。」
二人の怪我の手当てを終えたラドがやってきてそういった。
「しかも主犯格がわからないからな。いっぺん殴ってやりたいってのに。」
頬に絆創膏を貼り付けてタディスが言った。突然発生したことと意図的に人口がまずまずある農村地帯が狙われていることから主犯格がいると彼らは推測しているようだ。その目的はわからないが、ミクロエイリアンの脅威を示したいのか、あるいはこっちのほうが可能性は高いのだが、人々に食料の提供を遮断させたいのか。経路を遮断させても生産が止まらなければ根本的な遮断にはならないからだ。しかしその目的は何故……?
「それじゃ、今の物価は……?」
おそるおそる俺は聞いてみた。このような状態にあるということは、きっと上がっているのだろう。薄々と感づいてはいるもののその事実が怖かった。
「ああ、多分知っているだろうけれど、少しずつ上がってきている。今はまだ、被害が少ないからなるべく上げないようにしているらしいが、将来的に見ると、かなり上がるんだろうな。しかもこういうものは、あまり日持ちがしない。だから買いだめも難しいしな。」
そう答えたのはセザータだ。確かに、喧嘩早いタディスに説明を期待するのは間違っているが。
「うーん……。」
このとき女性が呻かなかったら俺は場のやりように困っていただろう。椅子は三人座れるのが限度で、それ故タディスが立っていたのだが、三人はほとんど同時に女性の様子を見に反対の椅子に、女性の許に、移っていた。女性はうっすらと目を開けて、キャッと悲鳴を上げた。無理もないが、目を開けたら男が三人もいたら驚くだろう。ここでいつもの説明役であるセザータが事情を説明した。女性はタディスに助けられたところまでは覚えているようだった。
「そうなの…。助けてくれてありがとう。」
女性はそれだけ言った。緊張しているのか怯えているのか、動作はぎこちない。
「そういえば名乗るの、忘れていたな。」
どこかで聞いたようなセリフだと思えば、俺が初めて彼らにあったときのセザータのセリフだ。彼らは名前をしょっちゅう名乗り忘れるのだろうか。
「俺はセザータと言う。」
やはりセザータから始まるのだろう。しかし、タディスが口を開きかけたとき、女性が先に声を発した。
「所属は何?」
「所属とは硬いこと言うなー。魔術師系に属している?俺は交渉をはじめとする話関係全般を担当している。とは言え、話をするのが専らではあるが、一応カウンセリングも出来る。」
汗かきながら、セザータは言った。どうりで説明など語りの部分は専らセザータが担当するわけだ。俺は一人納得しながら会話を聞いていた。
「私は見習い魔術師。だから名前はまだないわ。」
「俺はタディス。格闘技を主に持っている。」
「俺はラド。予言者、つまり魔術師から分化して特化したものなんだが、いわゆる占い師のようなものだ。ちなみに君の名前はリュリ、愛称はリューと出ている。それから彼は福井義治だ。」
女性は一瞬怪訝な表情を浮かべた。
「俺は預言者でもある。君はもう、見習いを卒業している。」
苦笑いを浮かべながらラドは言った。女性はその説明に納得したのか、軽く頷いてそして言葉を紡ごうとしたとき、
「彼のことは義治と呼んでやってくれ。たぶん異界の者だ。」
女性―ラドに名づけられリュリと言う―が片言で俺の名前を口にしようとする前に、セザータが先手を打って言った。
「そういえば、義治はなんと出ているんだ?」
タディスが聞いた。俺の所属のことだろう。
「義治は…記録者と出ているな。エッセイなどの執筆業とも相性がいいようだ。」
ラドが答えた。どうやら、俺はこの世界では記録者、つまりこの旅の出来事を記録していかなければならないのだろう。準備がいいというのか、タディスは早速俺にノートを渡してきた。
「そう、どのくらいの付き合いになるかわからないけれど、よろしく。」
リュリがそういった。ああよろしく、と俺らはリュリと握手した。リュリの手は小さく、とてもやわらかい。やわらかい、と言うのは他の俺らが男性で、みんな手ががちがちに角ばっているから相対的にそう感じるのだが。
 その後は、互いに軽く身の上話をした。とは言え、部外者の俺には会話に参加する余地がない。ただ黙ってその会話を拝聴することにした。そのことによってわかったことではあるが、リュリはミクロエイリアンによって滅ぼされた故郷を訪ねるところだったらしい。見習いの旅に出たことにより、まともな親孝行は出来なかったから、せめてもの思いで最期を看取りに向かうところだったそうだ。所詮見習いの分際なので、歩き旅となり、道中で賊と化した男に襲われ、タディスに助けられた、と言うことらしい。そういう経緯なら、とセザータはリュリの故郷へ行くことを提案したが、リュリは断った。おそらく、その現場を生で見た三人に同じ惨劇を見せたくなかったのだろう。彼女はただ、そのようなものを今見ると、きっと復讐心に駆り立てられるでしょう、とだけ言った。男たちに襲われたことなどを含めてすべてに己の不運さと復讐心に苛まれてしまうことを危惧したのだろうか。出るときは、きっとこのようなことは考えていないはずだ。だからここまで歩いて来られたのだろう。しかし、俺はリュリのあまり表情の読み取れない顔から何か別の理由があるような気がしていた。俺は早速、ノートにこの他愛もない会話を記録し始めた。記録者としての職務だ。表紙にはタディスの字で、『記録者福井義治による記録』と書かれてある。その女らしい可愛い字と実際とのギャップの大きさに俺は思わず笑いそうになった。
「義治、あの部屋散らかしていないよな?」
 タイミングよく、と言うのだろうか、タディスが話しかけてきた。
「いや、ってか何?」
慌てて顔を引き締め、俺は聞き返した。
「リュリは女性だから、部屋は別にしないとまずいだろ?お前は怪我人と呼んでいいかわからんが、そんなもんだったからあの部屋で寝かしたけど、元気だから俺らと同じところで寝ろ。」
俺らと同じところ、つまりこの部屋だろう。横になって寝るとなると二人しか寝られない筈だ。座って寝るとなると隣に頭を乗せかねない。
「大丈夫大丈夫、ちゃんと寝られるから。希望だったら蓑虫も可。」
内心たじろいだ俺を見透かしたかのように、タディスが笑いながら言った。蓑虫の意味がわからなかったので、俺は目だけでセザータに説明を求めた。
「アハハ、これだよこれ。」
そういってセザータは寝袋のようなものを取り出した。中空から出てきたように見える。はっきりとどこから出たか、俺は断言して言うすべがなかった。そしてそれが寝袋と違うところは裏の上のほうに長い紐がついていることくらいだろう。
「寝てみるとわかるけれど、目さえ閉じれば上下感覚がほとんど失われる。浮いているような感覚になるんだ。で、こいつはそれをいいことにこれでつるすんだが、それが蓑虫に似ているから蓑虫って呼んでいるわけ。」
タディスを指し、持っている紐を揺さぶり、セザータが言った。似ているからって、ってそもそも浮くからってつるすな、ってその前に、それって寝心地がいいの?頭が半分パニックになりつつ、わずかに残った理性だけでそう疑問と突っ込み文を組み立てた。何故かノートに同じ文が書かれてあるのはこの際一切気にしない。文章はちぐはぐ、頭の思考回路はいよいよ混乱の極地を迎えようとしていた。そんな様子をタディスは楽しそうに見ているのだから恨めしい。リュリは心配しながら、ほかの二人は特に無関心な様子で俺の混乱が治まるまで黙っていた。
 その後、先ほど俺が寝ていた部屋に俺ら五人は移った。ここを女性用―現在はリュリしかいないのでリュリ専用―の部屋にするため、俺ら男性陣の荷物の移動をしていた。荷物といっても、俺もリュリも荷物がないので、移動するのは彼ら三人の荷物ぐらいだ。しかしその荷物も、非常に少ない。
「なんせ、男三人旅だったからね、女性用のものは何一つないよ。」
苦笑いを浮かべながらセザータが言った。荷物があまりにも少ないがための殺伐な光景を見ながら、だ。必要最低限の荷物しかない、と言うべきなのだろうか。ベッド一つと長椅子二つあれば確かに三人が横になって寝る事は出来る。洋服や食べ物はまた別のところにあるらしく(いまいちこの乗り物の構造がつかめない)他は、リュックサックなどのかばん類ぐらいしか見当たらない。もちろん、セザータが言うように女性物―洋服、カーテンなど可愛い柄のものやぬいぐるみ、化粧道具などの物に至るまで―は何一つ見当たらない。
「今日中にどっか寄れる?」
苦笑いを浮かべたまま、セザータが言った。
「日が沈んだ後でいいなら。」
「了解。もうとっくにお昼は過ぎていますから、それが当たり前でしょ。」
タディスの返答にセザータが答えた。いろいろ出来事が立て重なって、もうお昼を過ぎていたのだ。また先ほどまでいた部屋に引き返し、ラドの出したお昼を五人で食べることになった。
 タディスが言ったように、街に着いたのは日が沈んで辺りがだいぶ暗くなった頃だった。時刻で言うなら、大体夜の七八時といった辺りだろう。俺の腹時計はあまり当てにならないので、ぜんぜん違うかもしれないが。向かう道の途中で、晩御飯と何を買うかについての話し合いは済ませておいた。タディス・ラド・リュリの三人はリュリの買い物に、俺とセザータは今後の食べ物を買いに行くことになった。本当はタディスにも付き合ってもらいたかったのだが、いつ誰が襲い掛かるかわからない以上、リュリを守るためにも、タディスはリュリと行動を共にするしかなかった。最も、見習いを卒業できる実力を持つリュリはちょっとやそっとではやられないのだろうが。ちなみに、お金はラドとセザータが主に管理しているらしいので、ラドとセザータは別れて行動するしかなかった。
「さて、何から話そうか。」
 別れて行動し始めてからすぐに、セザータが言った。その物言いは、俺の内部を見透かしているかのようだ。とりあえず俺は無言で先を促した。
「義治ことだろ、後はあれのことだろ、」
そういってセザータは後ろを指した。正確に言うならば、後ろにあるあの乗り物だ。
「所属と言うか部署と言うかそんなものだろ、あ、もちろん見習い含めて。」
それはまさしく俺が気になるところばかりだった。仕事の内容はもちろん、リュリのように見習いに名前がない理由、それからあの乗り物だ。あの乗り物の構造は謎で、外から見たらごくごくありふれたワゴン車のような形をしている。
「うーん、それくらいかな。まあ、時間はたっぷりあるし、順番に話していけばいいか。」
といって、セザータは俺に視線をよこしてきた。順番、と言うのは今挙げて言った順番だろう。つまり最初に話をすること、それは俺のことだ。
「だが、俺にはほとんど記憶がない。正確に言うなら記憶が断片化されている。」
あらかじめそう前置きしてから俺は語り始めることにした。とは言え、俺が覚えていることは最後の記憶である女性の姿だ。あの何か言いたげで何も言わない姿だ。それも今では夢のようにあやふやなものとなっている。こう呼び起こさせられることによって、初めてそれが現実だったのだと思い知らされた。しかしその前の記憶は全くない。当たり前の知識だけ残って、他は全く思い出せなくなっていたようだ。ずっと断片化されていると信じていたが、このときになって俺は初めて自分の置かれた立場を知ることになった。
「そっか、そうか。でも義治は異界の者だよ、絶対。俺らの世界には名字と言うものがない。過去の歴史を見ても全くない。その女性と何か関係があるかもな、義治がここに来たのは。」
 話し終わった後、セザータはそういった。やはり、顔はとても優しそうな表情をしている。その顔は俺が今抱いている心配事や不安事をすべて包み込んでくれるような気がした。
「何があったのかはわからない。それは今の義治も同じだと思うけれど、義治はきっとそれを思い出せるよ。多分その時に起きた出来事で義治は今、ここにいるんだと思うよ。だから、その原因がわかればおのずと帰り道がわかるかもしれない。」
その後セザータは『きっとお互いにとって大切な人なのかもしれないね』と小声で囁いた。なぜかは知らないが、自分の頬が熱くなるのが感じられた。
「何でそんなことわかるんだよ!」
ついつい大声で叫んでしまった。ムキになる姿は、あたかもそれを肯定しているようだ。俺は墓穴を掘った気分になり、自分にげんなりとした。
「リュリが聞いてもきっとそういうだろうな。女の勘は鋭い。俺は言語系を操る職だからな、カウンセリングとかもやるから大体そういうのはわかるんだよ。」
やはりニコニコと、怨めない笑顔を浮かべてセザータは言った。カウンセラーと言うのは、相手の立場に自分を立たせてみることが出来る職業だから、正直に言って凄いと思う。きっとセザータは俺の立場を想像して、俺の心情を自分と照らすところもあるだろうが、やはり想像してそれで出した答えなのだろう。俺の行動や驚き、話すことや考えることから俺の関心などを想像したのだろう。俺はあの乗り物にとても不思議な眼をしていた。だからセザータは俺があれに興味があり、何なのか知りたいと推測したのだろう。もしセザータが、見知らぬ乗り物を見たらどう思うだろうか。俺にはわからない。しかし、俺はつい先ほど体験したことだ。その体験から幾つかの候補が出てくる。体験しなかったら、何でこんなことも知らないんだろうと俺は思っていただろうが。やはり凄い、と思う。
 そしてすぐに、俺らは食料品を扱うお店にやってきた。長期の旅になるかもしれないから携帯食料にしよう、とセザータは言った。携帯食料と言ったら俺にはまずいものと言うイメージしかない。それかインスタントラーメンなどのインスタント食品だろう。これは身体によくないからあまりむいていない筈だが、といかにも健康に気を使ったまじめな人間を演じてみる。セザータが手に取ったもの、それはやはり俺のイメージした携帯食料のようなものだった。俺がイメージしたもの、それは宇宙食のような銀色のパッケージに包まれたもので、中は固形だ。セザータの手にあるものも、銀色の袋に入っていて、真空になっている。中身はおそらく固形物だろう。しかしこんなものを毎日食べるというのも味気ないなあと俺は思ったときだった。
「義治は好き嫌いあるか?」
急にセザータが聞いてきた。好きも嫌いも、そもそも携帯食料は特に種類がないか、せめてカロリーメイトのようなものだと思っていた俺には驚きだった。確かにカロリーメイトも人によっては好き嫌いがあるのだが。たまにヴェジタブルが嫌いといったことを耳にする。
「いや、特にはないと思う。あ、あれ、貝とピーマンが嫌いだ。」
我ながらに関係あるのかわからないことを言うなと思った。いくらなんでも、ピーマンが見てわかる形で入っているなんて俺には考えられない。ピーマンだなんて、わからないほど細かになっていたら食べられるだろう、と思う。
「わかった。うーん、でもピーマンを買わないわけにもいかないっか。」
「日持ちは出来ないんじゃないのか?」
携帯食料としてピーマンを買う。日持ちが出来ない筈のものを携帯食料にすることは全くの矛盾だった。それ故俺はセザータに聞いた。
「うん、そのままだったらね。」
セザータはそう答えた。それから、「ただ味は極端に落ちるけど。」と付け加えた。そのままだったら、と言うことは携帯するために何らかの加工を加えたら日持ちはもちろんする。しかしそうすると、味は極端に落ちる、と言うことだ。
「他にはどんなのがあるんだ?」
俺は少し興味があったので聞いてみた。キャベツ、ニンジン、ジャガイモなどなど身近と言ったら身近な野菜をセザータは挙げていった。肉類は干物などの乾燥物が挙げられていた。さすがに生肉は雑菌が繁殖するから無理らしい。果物はどれもドライフルーツの形になっている。ご飯は戦時中の糒のようだった。そしてそれらはすべて、真空の袋に入れられていた。もちろん、調理できない場所に行くことも想定して俺が当初想像したようなものも購入することになった。とは言え、まずいか聞いてみたら、そんなことはないよと否定されたが。
 最後に水を買い、俺らはあの乗り物まで帰っていった。その時、セザータはあの乗り物について話をした。あの乗り物―便宜的に《車》と呼ぶことにしよう―はこの世界で最も普及した乗り物で、魔力持った石を駆使している。そのまま使っていくとだんだん石に蓄えられた魔力がなくなっていくので、使用量によって異なるが、大体三ヶ月に一度、魔力の源になる場所に行き、石を交換するらしい。そのことによって、使い古した石はまた新たに魔力を蓄えていき、一年後ぐらいにはまた使えるようになるそうだ。《車》の中は四次元空間になっている。時間を移動できるわけではないのだが、要はありもしない空間が出来ている、と言うことだ。大きさは無限に広げられるが、中にいる人の力によって形状を維持するため、大きすぎると維持できなくなり、維持できなくなった部屋のものは永久に見つからなくなるそうだ。そのものが人なら、自分で空間を広げれば、運がよければ戻れるらしいが、物の場合は自分で広げられないので、見つかるのはほとんど奇跡だといって言い。ちなみにあの《車》は主にラドが維持させている。しかし、ラドにもしものことを踏まえてセザータでもタディスでも維持できる程度にしか広げていないそうだ。そして今後とも広げるつもりはないらしい。だから、俺がいた部屋をリュリに使わせるなどということに踏み切ったのだ。
 買ったものを別の空間にしまいながら、俺はあわせていくつスペースがあるか確認した。この《車》にある部屋は基本的にはあの二つの部屋だけらしい。それに付随して洋服を置く空間、食料を置く空間、調理場の三つの空間がある。それぞれにいくための扉はないのだが、ボタンと言うのか、そのようなものを押すとそこへの扉が現れる使用になっている。この世界ではそれが当たり前のようで、思い返してみればリュリは何の疑問も感じることなく物を取り出していたりしていた。そういえばリュリは、買った洋服をどこに置くのだろう。
「あ、帰ってきていたんだ。お帰りなさーい!」
 俺がふと疑問に思っていたとき、当の本人であるリュリの声がした。何があったかわからないが、先ほどまでと打って変わって凄く明るい。手を振りながらこっちへ駆けてきていた。ちなみに荷物は、ラドとタディスが持っていた。タディスが持っているのは、おそらく洋服を入れるものだろう。組み立て式のようだ。とても薄い。長さのほうはよくわからないが、ハンガーでつるせるくらいの大きさはあるだろう。あくまでも推測だが。ラドが持っているのは、紙袋がたくさんだ。一、二、三、四…六つか七つある。中にあるのは推測するまでも無く洋服だろう。どんな世界でも女の人は凄いたくさん洋服を買うんだな、と思う。
「お帰り、お疲れ様。」
セザータが苦笑いを浮かべてラドに手を貸した。タディスは既にリュリの部屋に入って組み立てている。どのように組み立てるか半ば興味があったので俺はお邪魔することにした。しかし、俺の期待を裏切るかのように、それの組み立ては普通にねじ止めだった。六角形の穴を持つねじだ。付属のねじ止めを用いて留める、と言う《俺のいた世界》でも使われる方法だった。この《車》といい、《職業》といい、《食べ物》といい、今まで散々珍しい物を見てきたのだから、急に当たり前のものを見て俺は幻滅したのだった。
 組み立てられたものは、やはり想像通りハンガーで掛けておけるタイプの箪笥だった。高さは大体彼女の身長と同じくらい、下に二つ引き出しが上下についていた。そこにラドとセザータが買ってきた洋服を持ってきた。紙袋から出さないのは、一応女性物の衣類だからだろう。そういうわけで、洋服の整理はリュリ一人に任せることにして、俺らは部屋を後にした。
 もう既に辺りは暗くなっているし、街中にいるので、わざわざ《車》で一夜明かす必要はないとセザータが言ったことによって、俺らは旅館に泊まることになった。こうでもないとまともに夜は過ごせないらしい。それは蓑虫の言葉からも伺える。しかも、《車》には入浴場がないから、風呂にも入れないのだ。そのこともあって、宿を借りられるのであれば借りておくようにしているのだ。今回、人数が五人で一人は女性なので、三部屋借りることになった。普段は三人部屋一つを借りているから急に出費が増えた、とセザータは嘆いたがこの際気にしないでおこう。部屋の配分は、俺とセザータ、タディスとラド、リュリの一人部屋、となった。ちなみにリュリの部屋の両隣が俺らの部屋だ。セザータにはまだ職業についての話を聞いておかなくてはならなかったから、ちょうどいいだろう。
「おやすみなさい。」「おやすみ。」
そういって俺らはそれぞれの部屋へ入っていった。そういえばリュリが急に明るくなったのは何故だろう。ふと疑問に思ったが、もう部屋に入ってしまったのでそれは明日聞くことにしよう。今は、お金はどうしているのか、職業と共にセザータに聞くほうが先だった。
 部屋に入ったら俺は待ってました、とでも言わんがばかりにセザータに話を求めた。セザータもそのことに気づいていてわざわざ俺と同じ部屋にしたのだろう。俺が話しかけるより先に話し出した。
 まず話された職業は魔術師だった。魔術師は、見習い期間中は名前がない。コードナンバーが設けられ、それで呼ばれているそうだ。ちなみに俺からして見たら、そのコードナンバーはパソコンや携帯の製造番号にしか聞こえない。そして、一人前になると神から名前が与えられる。それはとても神聖な儀式になるそうだ。一人前になったかどうかを判断するのは、師匠に当たる魔術師たちだが、たまに預言者が名前を預かることによって一人前になることがある。預言者が預かることはかなり稀なので置いておいて、師匠が判断した場合だが、それは主に見習いたちの実績に対する評価による。その評価が、一人前に昇格していいとなったとき、彼らは名前を請う儀式を行う。そして名前が頂けたら晴れて一人前になると言うわけだ。どちらにしても預言者を通じる必要があるらしい。
 次に話されたのは予言者だった。魔術師は一人前になるとそれぞれの得意な方面に能力を伸ばす。そのうちの一つに、未来予知の方面に伸ばす人たちのことを予言者と呼ぶ。もちろん、一人前の魔術師になっているので、その腕前は本物だし、名前も神から与えられたものだ。セザータの話によると、実はラドは、一人前になるとき神の声を聞いたそうだ。そなたをラドと命名しよう、とかそんな声を聞いたらしい。そしてラドはそのことを当時の師匠に話し、師匠が預言者を呼んで確認を取ったらしい。それ以来、ラドは予言者と言う職も同時に兼任することになったそうだ。そもそも預言者は、予言者と名前は似ているが、神の声を聞こえないとなることが出来ない。つまり、神の声さえ聞ければ誰にでも出来る職ではある。そして預言者も、神から名前が与えられるのだ。これで、リュリが疑う理由もわかった。ラドは予言者としか名乗っていなかったのだからだ。
 他の職業に対しては想像通りだった。タディスは肉弾戦に持ってくると敵う相手がいないほど強くなったらしいが、そもそもその職業は様々な格闘技を習得しておく必要があるらしい。しかし、俺にしてみたらタディスの第一印象はバンドをやっている人間だった。確かに、視力の良さ・格闘技においての技量は認められる。そのギャップは俺にはなかなかなじめないだろう。セザータの職は何度か話が出てきたのでほとんど説明は省かれ、俺のやるべき仕事の話になった。やることはただ単純に、ノートに出来事を書き綴っていくだけ。書く手段はペンで書くだけではないらしい。頭で書くことも出来るそうだ。そう言えば、ノートに書き付けられたような、と俺は蓑虫のときの話を思い出した。
「書くことも話すことも、言葉を操ることに関しては同じなんだよ。源が同じ、といってもいいかもね。そこから分化して方面が違うだけで、もともと似たもの同士だから僕らは相性がいい。言葉も魔法、力を持っていることを忘れないでね。」
セザータはそういって締めくくった。おやすみ、と言ったかと思うとセザータはもう眠りについていた。時は既に零時を回っている…と思う。やはり俺の腹時計からの推測なので当てにはならない。この世界には時計と言うものがないのか、と少々疑問ではあるが明日も早いだろうし、現在睡魔に襲われている状態である以上、これ以上考えるのはよそう。自然と俺は、深い深い眠りへと落ちていったのだった。
 俺は何かから逃げていた。俺の前を走っているのは一人の女性。一緒に逃げているようだ。黒い長い髪が靡いている。リュリではない。髪は束ねていないし、雰囲気がどことなく違う。足をつかまれたのか、何かに躓いたのか、急に俺の視界が下へずれていった。女性が驚いて後ろを振り向く。俺と目が合った。とても心配そうな表情をしていた。足が竦んでいて動けないようだ。このままではいけない、と本能的にそう感じた。俺はいいから逃げろ――!
 それは夢だった。起きた後も寒気がしている。まだ外は少し暗い。隣ではセザータが気持ちよさそうに寝ている。先ほどの夢はどこかで見覚えがある。夢ではなく最後の記憶の一部だろうか…?とても怖いと言う感情しか残っていなく、俺は震える身体を止める術が思い浮かばない。このままじっとしていると恐怖がじわじわと押し寄せてくる気がしてならない。一人だと心細いので、俺は迷惑ながらもセザータを起こすことにした。
「セザータ、セザータ起きてよ。」
我ながら情けないと思いつつ、起こしてみるとすぐにセザータは起きた。
「どうしたんだい義治。何か見たのか?」
「うん、たぶん記憶の一部。夢で見たんだけれどね…。」
そういって俺は夢の出来事を語りだした。とは言え、語れる部分はほんのわずかしかない。しかし、それが俺の記憶の断片だと確信していたので、わずかとは言え貴重は手がかりである以上、その出来事は大切にしておく必要があった。自分ひとりでは大切に残しておく自信がなかったので、セザータと共有しておくことで留めておこうと思ったのだ。その理由はおそらく、現段階では、俺にとってセザータが一番の理解者だったからだろう。
「そうか、わかった、わかった。なるほどな。ま、今は俺が隣にいる。安心して寝ろ。明日も忙しいんだからな。」
ポンポンと背中を叩かれて、その感覚に安堵を覚えつつ俺は再び床につくことになった。
 眠りにつくまでの間、俺はこの世界のことを少し回想することにした。先ほどの悪夢がまだ完全に抜けきれていず、なかなか寝付けそうになかったのだ。この世界全体の概要をまず思い浮かべた。魔術師に戦士のいる世界、そんな世界の気候はすがすがしいほど晴れている。湿度は高くない筈だ。そして背の高い木々が覆い茂っている。その一方でマーケットは開けた空間で、所々にレンガの壁が見られた。全体的に砂埃が舞っていたので、おそらくしばらくは雨が降っていない。それなのに木々が青々としているってことは、地下水道だろうか…?ここで壁にぶつかったので、とりあえず別のことを考える。俺の後でこのメンバーに加わってきたリュリ。彼女の顔は気味が悪くなるほど青白い。頬がやせこけ、表情はほとんどない状態だった。食が摂れそうにないほどの衰弱ぶりだったから、点滴の液体のようなものを投与していた。こういう医療技術を持つのはラドだ。リュリと同じ魔術師ではあるが、方面は違う。いや、正確に言えば、リュリはまだどこの方面へ向かうか決めていない。何故なら、見習いを卒業したばっかりだからだ。見習い期間中はどの方面へも適応できるような基礎しかやっていない。何はともあれ、ラドは占いの方面に特化した人間だ。そして、神と接することを許された人間(預言者)でもあるのだ。それどころか、医療技術も豊富とくるから、メンバーの中ではかなり重要な人間となっている。回復魔法も十分に心得ていて、非常に頼もしい。背は高いがとても優しい性格のようで、攻撃に回ることは滅多にない。男だけの旅路とは言え、小さな脅威者(ミクロエイリアン)の脅威に脅かされている現状では、治安が悪く襲われる可能性も十分にあった。そのため旅路の用心棒と呼んでもいいような地位にいるのがタディス。バンドを組んでギターかベースをやるほうが似合う気がする人間だが、喧嘩早く、負け知らずなのかもしれない。俺と同じくらいの背で、とても優しいファイター。おまけに、女性のようなとても可愛らしい字を書く。そして最後に、今俺の隣で寝ているグループのまとめ人、セザータ。話術が凄いのかよくわからないが、よく気づく。俺が気になることも言いもしないのに当てて見せた。それから、それから…。
 気がついたとき、辺りはすっかり明るくなっていた。隣にはセザータの姿が見えない。そこで俺は起き上がることにした。
「おはよう、義治。よく眠れたか?」
少し離れたところにセザータが立っていた。なんてのどかな日常なんだろう。そんな日常に安堵しつつ、俺は答えた。
「おはよう。おかげさまで何とか。」
「そうか。」
この温かさが気持ちいい。未来はわからないから暗いのかもしれないが、今は明るい。これから先何が待っているかわからないが、乗り越えていける気がする、そんな朝だった。