ハロウィンの不思議

外から子どものはしゃぐ声が聞こえてきた。
私は作業する手を止め、顔を持ち上げ辺りを見回した。
窓から見えるのはただの闇のみ。
いつのまにか、夜になっていた。
ふと卓上のカレンダーに目をやってみる。
――十月三十一日。
あぁそうか。今日はハロウィンなのか。
謎が解け安心した私は再び作業に取り掛かった。
なかなか進まない原稿の続きを、必死に考えると言う作業を。
机の上に乗っている紙には様々なアイディアが書かれていた。
時系列順に書かれたものもある。
しかしどうしても話の方向性が決まらないのだ。
どう話を進めるべきか、空白の部分を考えているはすが、いつのまにか私の思考回路は別の方向に動いていたようだ。
気付いてみれば、どうして子どもの声が聞こえるのかと自問していた。
子どもの声なんて、もう久しく聞いていない。
と言うのもこの近くに子どもはいないからだ。
ここは、そろそろ生を終えようとする町。
人口何人だろう。両手で足りるくらいしか人はいない。
本当なら、何年も前に滅びていた町。
今ここに住んでいるのは…それぞれが独自の理由を抱えた“ワケあり”の人たち。
勿論その中に私も含まれるのだが。
私には、なぜ私がこの地を選んだのかわからない。
滅び行くその姿が私の何かを刺激し、その何かに惹かれて、この地で暮らしている。
きっと。
ここで暮らす人はみなそうなのだろう。
己が抱えた絶望と滅び行く世界を重ね、己に巣食う虚無を刺激され、そしてここにいるのだろう。
埋めることなく、もしかしたら逆に傷口を広げているにも気付かなく、失った“何か”を探して。
見付かりっこないことを承知の上で。
傷付けてでしか落ち着けない、自分のために。
そんな人の集まりだから当然子どもなんていない。
あるのは無秩序にほうぼうと生え、覆い繁った雑草と赤錆に覆われ所々傾き、窓のない廃墟だけ。
近くにコンビニなんて勿論なく、どこを見渡しても人の住んでいる気配なんて見付からない。
そんな、町とも呼べなくなった町だから、いついなくなっても未練のない人ばかり集まる。
盗人(ぬすっと)も来ない。
絶望の縁に立たされ、死にたいとわめく人でも、その惨状に息を呑む人は来ない。
ひっそりと、誰にも気付かれることなく終える己の生が嫌な人は来ない。
しかし、ここに来た人の中で一人だけ違う人がいた。
彼はこの地を“re-birth(生まれ変わり)”と呼んでいた。

終りと始まりの交差点

この子どもの件の後、私はそう呼ぶことになる。

いくら考えてもただ時間が無駄に流れて行くだけだと言うことを悟った私は気分転換を兼ねて夕食の準備をすることにした。
キッチンに白い明かりがともり、そのことがいっそう辺りの闇の際立たせた。
大きい冷蔵庫の中に、少ししかない野菜の数。
辛うじて明日の分が残っている、と言う程度の食糧しかない。
それは貧しいからと言うわけでもなく、またそろそろ買い物へ行くころだと訴えているのでもない。
ただ、“いつ消えてもいいように”そうなっているだけだった。
ガスと電気のメーターが回っている事が生存証明で、他に私たちが生きている事を示すものがないのだから、残していないだけだった。
適当に野菜を選び、包丁で軽やかに切っていく。
切られた野菜は白い蛍光灯の光を様々な角度に反射させる。
男の独り暮らしなんて、慣れない料理がどうなるか我ながらはらはらしていたものだが、意外とどうにかなるものだ。
さすがにもう何年、こうして一人でやっているだろう。
過去を懐かしむように、ふと思い出された思い出を追体験するように、思い出に耽っていたとき、何かが戸を叩く音が聞こえた。
こんな時刻に客だなんて妙だな、私は片眉をあげ、怪訝に思った。
そもそもこの町で近所付き合いなんてものはない。
私を訪ねる人なんて出版社の人ばかりだ。
用件は原稿の催促。
しかし、今日は子どもの声が聞こえたことといい、奇妙なことがありすぎた。
怪訝に思いながらもじっと耳を澄ませてみる。
自分の思い違いだ、あれはそら耳だ、と願いながら。
しかしその希望は無惨にも破られた。
今度こそはっきりと、戸を叩く音が聞こえた。
扉の外から数人の子どもの声まで聞こえる。
なんの用事かと思いながら、私は戸を開けた。
「Trick or treat!(お菓子くれなきゃいたずらするぞ!)」
骸骨のお面を被った男の子がとびかかってきた。
「Trick or treat for UNICEF!(ユニセフ募金に協力してください)」
と黒いワンピースを着た少女が言う。
見ると彼女の手には箒の代わりに小さな募金箱があった。
葉書大のそれはオレンジ色に輝き、錆びた町に色をもたらしたような錯覚を受ける。
他にもテレビアニメのキャラクターか何かだろう、お面を被った子やコスプレをしている子とか五六人の子がいた。
思わず、胸中で舌打ちする。
こんなことになるんだったら前買い物に出たときに何かお菓子を買っておくべきだった。
何かないかと見渡してみると、食卓の上にオレンジ色の袋があった。
それはピーナッツバターが間に挟まったチョコレート菓子だった。
子どもたちを外に待たせ、部屋に引き返し袋の中をみてみる。
見ると中には二三十ほどの小袋があった。
一袋にひとつ、お菓子が入っている。
私は一人一袋お菓子をあげ、募金箱には一枚のクウォータ(25セント)を入れた。
子どもたちは満足そうに自分のお菓子袋にもらったお菓子を入れ、去っていった。
そして次の家でもお菓子をせがむのだろう。

子どもが去ったのでドアを閉めようとした手を、何かが引っ掛かって私は止めた。
言いようのない既視感が私を襲う。
見慣れた景色のはずが、どこか違う気がして、しかしどこかみたことがある気がする。
考えても分からないことだったので、私は首を傾げただけですぐに考えるのをやめた。
そしてふと、手に持ったお菓子に目をやる。
一体いつ、私はこれを買ったのだろうか?
分からないものを子どもにあげて良かったのだろうか?
気味の悪さに寒気が走った。
が、それも一瞬だけですぐに夕飯の作業を再開させた。
きっと世の中には、考えても分からないことは沢山あるのだろう。
気味が悪いと言っても、私の記憶にないだけで、私が買ったのかもしれないし、誰かが持ってきたのかもしれない、そう無理矢理自分を納得させて。

次に人が来たのは私が夕飯を食べているときだった。
案の定、外に立っていたのはお化けの仮装をした子どもだった。
「Trick or treat!」
とお決まりのセリフを言う。
なぜわざわざこんなところに来てお菓子をせがむのだろう、と私は思いながらも自然な動作でお菓子をあげた。
子どもの数はそれで途絶えるわけもなく、その後も次々とやってきた。
ここまで来ると、気にするなと言うほうが無理がある。
一度芽生えた疑問はどんどん膨れ上がり、私を支配した。
何故?疑問を疑問のままとどめておくのが気持悪い。
何故なのか?口に出して誰かに尋ねたい。
急速に膨れ上がった疑問は、私を押さえることは出来なかった。
今すぐにでもはっきりさせたい。
体の内部からそんな欲求が込みあげてくる。
何か、今の私がなくした何かを埋めるためのものがそこに隠されているかのように。
欠けた“何か”を必死に埋めようとするように。
とても強い欲求が私を支配していた。

そしてとうとう、私は一人の男の子に聞いてしまった。
何で君達はこんなところまで来るのか、と。
男の子は怪訝そうな顔をしていた。
まるで、当たり前のことを尋ねられて困っているかのように。
私はなんだか、罰当たりな気がしてもうひとつ、お菓子を男の子に渡して半強引に戸を閉めた。
そのあと私は誰かが訪ねてきても、戸を開けることなく床についた。
だから、そのあとのことは知らない。

その夜、珍しく夢をみた。
夢なんてものをみるのは一体何年ぶりだったか。
しかもその夢と言うのは、私がまだ子どもだったの頃のものだ。
何故か、子ども時代の記憶を有していない私が初めてみる、幼少期の私。
それは今から丁度十何年、いや、二十数年、前のハロウィンだった。
何に変装するべきか思い付かなかった私はただ近所の店で売っていたマスクをつけて家々を回っていた。
一緒に回る人がいなかったので一人で回ったが、辺りは子どもだらけであまり心配はされていなかった。
真っ暗な中星が優しく瞬き、家々からはほんのりと暖かみを帯た橙とも黄色とも呼べるような光があちこちから漏れでている。
そしてそんな中を、子どものはしゃぎ声があちこちから聞こえてきていた。
斜め前の家からお菓子を受取り去ろうとした魔女の格好をしたユニセフの募金箱を持った少女とその弟、弟の友達たちの集団をみた。
沢山の硬貨が入って重くなったであろうその箱は、ジャラジャラと鳴ることでその重さを伝えていた。
お菓子の入った袋もパンパンにふくれていて、半年はそれでおやつをしのげるようだった。
私も、近くの家の戸を叩きお菓子をせがんだ。
自分の袋もどんどんふくれあがってきて、募金箱ほどではないが、確かな重量感を伝えている。
これで最後にしよう、と私はひとつの戸を叩いた。
扉を開けたのは二十、三十代と思しき男性。
独り暮らしらしく、白い明かりがただ広い部屋を虚しく照らしていた。
部屋の中には一切の音がなく、口を開いた男の声だけが聞こえた。
なんと言ったかは覚えていない。
しかし、あまりにも当たり前のことを聞かれて返答に窮したことは鮮明に思い出された。
男は罰が悪そうに私にもう一袋お菓子を握り締めさせると、そそくさと戸を閉めた。
私は一人、首を傾げてそこに立っていた。

そこで夢は終らなかった。
気付いたら私は、物語の読者のような、世界を俯瞰するものになっていた。
私は最後に“私”がみていたものをみていた。
辺りを見渡すと、風景はめまぐるしく変化していった。
草が伸び、枯れる。
花が咲き、実が出来、葉が枯れ落ちる。
人々が歩く速度も早く、日は昇ったかと思えば沈んでいた。
まるで、ビデオを早送りしたような、そんな景色。
そんな景色を、私は悠然とした態度でみていた。
私だけ、歩む時間が違うような奇妙な感じがした。
しかし辺りは次々と変化していく。
一人、また一人と都会へ引っ越す人が現れる。
一つ、また一つと明かりのともらない宿が増えていく。
魔女の子と弟が親に手を引かれて町を去って行く。
幼い“私”が家族と一緒に去っていく。
盗人が来て、何もないことに諦めて去っていく。
貧乏人が来て、やはり去っていく。
誰もいなくなった。
しかし、私はまだここにいた。
草は伸びるがままに伸びていく。
建物は日の光を浴び、雨に打ち付けられ、ぼろぼろと崩れ行く。
私は黙ってその光景を見続けた。
やがて、住み着く人が現れた。
彼は何を思ったのか、近くに何もないこの場所で暫く住み着いた。
そして再び月日が流れ、何かを見付けた彼は去っていった。
満足げな表情を浮かべて。
そのうち、見覚えのある顔がやって来た。
“私”だった。大きくなった、今の私だった。
疲労に荒れていた私だが、意外と“普通”な表情をしていた。
そしてその顔は、幼い私に奇妙な質問を投げ掛けお菓子を二つくれた男の顔だった。
あぁ、あれはどっちも私だったのか、と思った。
そしてそこで目を醒ました。

肩の荷が降りたような、不思議な心地がした。
進まなかった原稿が次から次へと進んで行く。
今まで塞き止めていた何かが消えたようで、時を追うようになったお陰で、逃げる必要がなくなっていた。
時に立ち向かうため、私は荷繕いをしだした。
疲れたらまた休みに来よう、そう心に決めて私は去った。
2006年10月に出されたメルマガ。
「終りと始まりの交差点」というフレーズは気に入っているのですが、そう思い至る心境を描くのに苦労しました。

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