聖夜に会いましょう

人々があわただしくなる時期――師走。
月初めからちらほらクリスマスに向けた準備が見られ始める。
そして少しすれば、クリスマスに平行してお正月の準備も見られる。
年賀状や大掃除、正月前にやることはたくさんある。
それなのに、クリスマスからお正月まではたった一週間しかない。
だからクリスマスは、あわただしい十二月の中で唯一、休みの日なのかもしれない。
ただし、多くのお店にとっては忙しい一週間の訪れを知らせる日ではあるのだが。
クリスマスが過ぎれば年末。
年末になれば、お正月は開いていないお店が多いためか、買いだめをする人で溢れる。
彼らはたくさんのものを買う。
もちろんお正月のための飾りなども買うが、普通のスーパーですら大体五千から一万円ぐらいの買い物をいっぺんに行う。
それ故にレジはたくさんの人で溢れる。
とても混雑していて、人手が足りないことを痛恨する。
クリスマス前では想像つかないほど、この一週間は特に忙しくなる。
十二月と言うのは、そんな特別に忙しい一週間を孕んだ、忙しい月だった。

今年のクリスマスは、雪が降るだろうか。
ふと、由希は思った。
都心でホワイトクリスマスを迎えることは非常に珍しい。
由希自身、かれこれ19年都内で暮らしているが、ホワイトクリスマスだけは記憶にない。
記憶にはないのだが、一度だけ経験はしていた。
それが由希の名前の由来にもなった『雪』…聖夜の雪。
雪の誕生日は12月24日の夜だった。
具体的な時刻は覚えていないが、その時、外では雪が降っていたらしい。
父親は、由希が生まれたと聞くや否、慌てて駆けつけてきたらしい、由希はそう聞いている。
父親のスーツに付着した雪を見て、母親は我が子の名前を『由希』に決めたそうだ。
聖夜の雪と掛け合わせ、両親に希望を運んでくれた女の子として感謝を込めてつけられている。
そんな話を聞いているため、由希は人一倍ホワイトクリスマスを楽しみにしていたのだ。
クリスマスに雪、それは確かに神秘的なことだ。
誰だってその幻想的な事象に魅せられてしまうだろう。
もちろん、由希もそんな一人ではあった。
それでも、やはり自分の名前の由来であり、自分が産まれたときの景色と言うものを見てみたい、と言う思いが強かった。
もしかしたら、彼氏がいないから後者の思いのほうが強くなったのかもしれない。
それは由希にはわからないことではあったし、どちらにしても自分の名前の由来になったその景色が見たいという思いは強いだろう。

もちろん、由希も年頃の女の子と同じように彼氏がほしいとは思っている。
しかし、だからといって合コンに出るなんて事はしていなかった。
友達たちは、そんな消極的でいたらいつまで経っても彼氏なんて出来ないよ、と笑っていた。
それでもいいと由希は思う。
そんなに急ぐものではないのだから。
急いでいたら、なんだか大切なものを見落としてしまいそうだから。
だから由希は特にこれといった彼氏探しはしていなかった。
流石に周りが彼氏もちだと多少は気が急いていたが、それでも大丈夫と自分に言い聞かせていた。
機会も時間もまだたくさんあるんだからと。
そもそも、容姿で選ぶようなものではないのだから、じっくり決めるべきだろう。
未婚者は男女ともに多いのだから、本来いないと言うはずはないのだから。
そんなのんびりした考え方を持って日々生活していた。

イルミネーションがつき夜道が明るくなり始めた十二月中旬、由希はとある広場にいた。
中央にクリスマスツリーが置かれた、辺りのイルミネーションも凝った場所だった。
クリスマスイブには恋人たちが溢れかえっているだろう。
そんな場所に由希はいた。そんな光景を思い描いて、眺めていた。
思い描いて、少し寂しくなった。
とそのとき、由希の左肩に誰かの肩がぶつかった。
そのまま由希は突き飛ばされたかのように後ろへ倒れかけた。
「わっ…」「あっ…」
由希の声と男の人の声が同時にした。
それと同時に、由希の手をつかむ、力強い手が現れた。
「すみません、大丈夫ですか?」
手の主が由希に声をかけた。
「はい、大丈夫です。」
そういってから、由希は手の主を見た。
金色の、透き通るような透明にも見える短く切られた髪をしていた。
目はやはりアジア系の茶色。
身長は由希より少し高め、170といったところだろうか。
年齢は由希とほぼ同じくらい。20あるかないか。
黒色のダッフルコートを着込んでいるが、それでもほっそりとした体つきをしている。
すらりと伸びた足はモデルをも彷彿させる。
「それならよかった。ほんと、何かあったら言ってくれよ。責任取るから。」
「えっ、あ、だ、大丈夫ですよ。」
由希が言い終わるよりも前に、男性はその場を足早に去っていった。
「あっ…。」
状況に気づいた由希から思わず声が漏れた、それだけだった。

再びその男性に会うのにあまり日は経たなかった。
由希はほぼ毎日、その場所に足を運んでいたからだ。
「あれ、こんばんは。」
ふと、後ろから声が聞こえた。
一度しか会ったことはないが、印象強く残っていた声だった。
由希は振り返った。
「こんばんは、ほんと、また会いましたね。」
にこりと微笑んでみせる。
「あの時は本当にすみませんでした。俺、面接に遅刻しそうだったもんで…。」
「面接があったんですか。バイトのですか?」
頭を掻く男性のその姿は、どこか幼さを残していた。
「はい、そうなんです。どうせ独り者の身ですから、この時期学校が休みだと暇なんですよ。」
「独り者だなんて…そうは見えませんよ。」
「そうですか?そういわれたのは初めてですよ。いやあ、ずっと実験に明け暮れていたんで探す時間がなかったんですよ。」
そういって男性は再び頭を掻く。
アハハと苦笑いを浮かべているその姿はやはりどこか幼さを残していた。
「それだとお仕事は、短期のになりますよね…?」
由希は聞いた。短期のバイトだと何があるだろうと考えながら。
「そうですね、短期です。短期も何もほんの数日しかないですよ。」
その後由希は何のバイトか聞いたが、男性は答えなかった。
ただ、聖夜に来ればわかりますよ、とだけ言われた。

その後も、お互い名前は知らないながらも度々会う機会はあった。
あるときは本屋で会い、図書館で会った。
意外と読む本に共通点があり、話が弾んだこともあった。
あるときは道端ですれ違った。
お互い一人のときはそこで立ち話をし、友達がいるときは軽く会釈をした。
それと平行して、由希は聖夜が来る日を楽しみにしていた。
その男性のバイトを知ることが出来るのが一つ。
彼に確実に会えることが一つ。
一人でクリスマスを過ごさないことが一つ。
これで雪が降れば最高だと思う。
そんなことを思い、自然と鼻歌を歌いだした。
この19年間、ここまでクリスマスを楽しみにした日が果たしてあっただろうか。
否。答えはなかったはずだ。
由希は感じたことのない感情を抱いている自分に気づいていた。
ただ、この感情に名前はまだついていない。
このときはまだとても小さな、小さな種だった。

そして待ちに待った聖夜がやってくる――。

由希は数日前、クリスマスツリーを見ていたその場所に立っていた。
あの約束を果たすのであれば場所はここがいいはずだ、と妙な確信があった。
約束、自分は確かにしたと記憶している。
あの日、彼が聖夜に来ればわかると言った日、確かに自分はそれを約束にこぎつけた。
しかし、男性は来ていない。
それなりに目立つ容姿の筈だから見つからないわけはないのだが。
そして雪も降っていない。これは由希にとって非常に残念なことだった。
「はぁ…何時、とは言わなかったからなあ…。」
手袋に息を吹きかけながら由希は呟いた。
雪は降っていなくても、十分寒い。
マフラーしているにもかかわらず寒さが入ってくるようで、無意識のうちに由希は首をすくめ、猫背になっていた。
「メリークリスマス、お嬢さん。」
不意に後ろから声がかかってきた。
少し太めの、力強い男性の声だった。
由希は怪訝に思いながら後ろを振り返った。
そこにいたのは、サンタクロースのコスチュームを着た由希よりも少し背の高い人間。
確かに短期で、聖夜に来ればわかるバイトだった。
「本当に来たんだね。」
少しいたずらっ子を彷彿させる表情で男性は言った。
「はい、暇ですから。」
苦笑いを浮かべて由希は答えた。
「ちょっと待っててもらえる?あと少しで今日の仕事終わるから。」
「はい、いいですよ。」
そして男性は一つの小さな、可愛らしいお店に入っていった。
男性にはとても不似合いな、それでいてなんだか似合っているお店だった。
そこが洋菓子店であることを由希が知ったのは更に時間がたった後だ…。

ちょっとといいつつ結局由希は三十分ほど待った。
先ほどとは打って変わって、寒いのは変わりないのだが、心の中かどこかが何故か温かい。
とても温かくて、気持ちがよかった。
「ごめんごめん、凄い待たせた。寒かったよね?」
走りながら男性がやってきた。
「あ、いえ、そんな、別に…。」
由希はしどろもどろに答えた。
「これ、どうしても渡したくって…。」
男性が、やはり幼さを残した笑いで持っていた袋を差し出した。
洋菓子店の名前が印刷された、袋だった。
「店長と交渉してたんだよね。もうそろそろで今日の閉店時刻だから、もらえないかって。」
どうやらこれは、男性がバイトしているお店のもののようだ。
「彼女がいるのかって聞かれちゃったけど、そんなもん、いないからなあ…。」
苦笑いを浮かべながら男性は話を続ける。
それなら何で、私のために貰おうとしたんだろう、と由希は思った。
「でも、渡したい人ならいるからって。実は一目惚れなんだよね…。」
そういう男性の顔は真っ赤になっていた。
何気なく聞いていた話に、いきなり驚きの事実を知らされて、由希はびっくりした。
「…っえ!!今、な、なんて言いました…?」
そういった由希は、顔面が熱くなるのを感じていた。
おそらく紅潮しているのだろう。
赤面しているだろうことに思い当たって、由希はついつい下を向いてしまった。
顔を見られるのが、なんだか恥ずかしかった。
まさか、聖夜に、自分のような人間に、告白があるなんて…!
「えっ…また、言うの…。」
そういう男性の顔はやはり真っ赤だ。
恥ずかしくて出来無いと言う思いと、しっかりしないとと言う思いが交錯したような、そんな表情を一瞬男性は見せた。
そして深く深呼吸をし、意を決したような、鋭くしかし温かい目をしっかりと由希に見据えた。
「俺と…付き合ってくれませんか…?」
「はい…喜んで。」
うれしくて、由希は今にも泣きそうだった。
いや、もう既に、目じりには涙がたまっていた。
「お、おい…泣くものかよ?」
男性が焦ったが、由希は気にしなかった。

「あーあ、でも雪、降らなかった。」
少し落ち着いたとき、由希が言った。
「雪?来年は降るといいよな。」
「うん、そうしたら二人で見ようね!」
「ああ、来年の聖夜も、ここで会おう。」
それまではお互い忙しいだろうから、会うことは少ないかもしれないけれど。
そう男性は付け加えた。
「大丈夫だよ、キャンパスで会えるから。」
由希はにこりと笑っていった。
「そうだな。同じ大学だったなんてほんと世界は狭い。でも、『来年の聖夜にまた会おう』。」
男性がまじめに言うのを見て、由希はくすりと笑った。
「そうだね。『また来年の聖夜に会いましょう』。」
サンタさんは、とても大きなプレゼントを由希に与えてくれた。
独り身の由希に、愛しく、とても大切な、そんな存在を与えてくれた。
来年の聖夜はきっと、雪を降らせてくれる。
だって、由希の二十歳の誕生日なのだから。
由希は、隣にある温もりに腕を絡め、その温もりを感じて一緒に歩いた。
来年の聖夜の約束を噛み締めながら。
出だしが好きで書いてしまった小説(笑)。2005年メルマガ用。
サイトにUPするため久しぶりに読み返しました。
なんか「あらしの夜に」を彷彿させるラストだなぁ…と今更ながらに気付いた。
当時の自分が「あらしの夜に」を知っているわけがないんだけどねw

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