取り合い

俺はいつものように校門で美鈴を待っていた。
バイトの時間が一緒だと、何故かいつも待ってしまう。
特に一緒に行こうとかそういった約束は無いのだが…理由には十分心当たりがあった。
「わわわっ。ごめん…!…なさい。待ちました?」
数日前、椿と話していたときと同じように美鈴が駆けて来た。
凄く慌てているのか、わずかの段差に躓きそうになりつつ駆けている。
「遅い。」
今となってはお決まりの言葉を言い、俺は美鈴に背を向け歩き出そうとした。
「うわっ!」
いつもならそのまま歩く俺の背に届いたのは美鈴の慌てる声。
振り返るや否や、俺は手を思いっきり伸ばしていた。
左腕に、重くのしかかる美鈴の重み。
右手でそっと肩を抱き寄せる。
「大丈夫か?」
俺の腕の中で美鈴はコクコクと、縦に首を振った。
フーと、深いため息を吐いてから俺は何が起きたか振り返る。
出会った頃と変わらずそそっかしくて、案の定、美鈴はこけるところだったのだ。
「ほら、行くぞ。」
俺は美鈴を立たせ、カバンをひったくり、美鈴と並んでバイト先へ向かった。
「え、あ、ありがとう、ございます…。」
手からカバンが消えて、自分の手と俺の手に移ったカバンを交互に見ながら美鈴は言った。
決して腕を絡めることは無く、しかしやろうと思えばすぐ出来る距離で俺たちは並んで歩く。
取り留めの無い話しをしながら…バイト先に着くまでずっと。
ずっと…美鈴は俺に笑顔を向けて。
俺が顔を美鈴のほうに向けていないにも関わらず、絶やすことの無いまぶしい笑顔を。
明日も明後日も、ずっとそんな日々が続くと思っていた。
いつの間にか、それが当たり前となっていた。

翌日、俺は木陰で横になっていた。
温かな陽光が優しく俺を包む。うつらうつらと睡眠を誘うような天気。
少しずつ瞼も重くなっていき、眠ろうとした時、俺の聴覚は美鈴の声をキャッチした。
楽しそうに…話をする声。一緒に聞こえるのは男の声。
別に美鈴が誰と話そうと俺の知ったことではない。
俺と美鈴が付き合っている、とかそう言うことは無いのだから。
少し自惚れた言い方かもしれないが、美鈴は俺に気があると思う。
俺は先日椿に言ったように、まだ自分の気持ちははっきりわかっていない。
半分は認めていたが、だからといってそうだと信じてはいない。
自分が美鈴をどれほど大事に思っているかは、わからない。
だが、あの時椿に言ったように、今は美鈴から目を離すことができない。
それは単純に美鈴がそそっかしくて心配だからと言うだけではないと思う。
恐らくは恋愛感情。でも、そうだといえる何かが無くて…または認めるのが怖くて…こうしてずるずる過ごしている。
美鈴が他の男と付き合ったとしても…それは俺とは関係の無いこと。
それで後悔したり、苦しんだりするのであれば…ダメな男であった自分を呪うだけ。
しかし、こんなに気になるとはな…。改めて自分の状況を見つめなおして苦笑した。
まだちょっとよくわからないが、それでも、美鈴を他の男には渡したくない。
単なる級友として話をしているのであれば邪魔しないでその場を去ろう。
美鈴の笑顔を奪うものは、例え自分であっても許されてはならない。
いつの間にか自分に刻み付けていた誓い。
この誓いの重要性を、幸か不幸かこのときの沁也は知らない。

「…ん??」
背を向け立ち去ろうとした時、美鈴の表情に何か違和感を覚えた。
よくよく目を凝らして観察する。
かろうじてわかるかわからないか程度の、引き攣った笑み。
美鈴の親友であるお嬢様ならすぐにわかるかもしれないが、それなりに付き合いの長い沁也ですら気づかなかったその表情。
そういえば美鈴はレジ向きじゃ無かったよな…。
ふとバイト中の彼女を記憶から呼び起こす。
男に見える人全員に対して乾いた…引き攣った顔になる美鈴。
極端に男性に対して恐怖心を抱いているように見えた。…ただし自分を除いて。
初めて会ったときは、車のアレがあってか恐怖に震えていた。
二回目に会った時は、顔を見ないよう下を向いていたが…それはもしかしたら男性恐怖からきていたのかもしれない。
だが、その後助けた時は、自然な笑みを俺に向けていた。
引き攣った笑みではなく…自然な笑み。
他の女友達には見せていても、男では唯一、俺だけに見せる笑み。
何故美鈴は苦手にもかかわらず、男と楽しそうに会話を演じているのか。
そのことが凄く気になって、結局俺はそこにとどまり、会話を盗み聞きすることとなった。

「そういえばさ、美鈴ちゃんって彼氏いんの?」
聞き耳を立ててまず最初に聞こえたのがこれだった。
貴様いきなりなんだ!っと怒鳴りそうになるのを押さえそのまま聞き耳を立てる。
「え…いない…けど…。」
確かに俺は彼氏でもなんでもないので否定は出来ない。
ただ狼狽する美鈴が何を続けて言いたいのかが気になるのだが。
「なら俺と付き合わない?」
という男の声で結局聞けずに終わった。
「え…その…それは…あの…ちょっと…。」
上手く断れていないようだが、明らかに困っている。
ここは美鈴のためにも、助け舟を出してあげるべき、だよな…?
これ以上美鈴が困っているのをただ見ているだけと言うのも自分が耐えられないし。
「あー、いたいた。探したぞ、お前。」
そういって俺は美鈴の腕を掴み、ぐいぐい引っ張っていく。
「え…?あ…。」
沁也さん、とかろうじて聞こえる程度の小声が漏れる。
その表情がホッと安心した様に映ったのは見間違いだろうか?
何がどうなっているか状況についていけない男が一人取り残される。
「あ、じゃ、じゃあね、正輝君。」
苦笑いで美鈴は男―正輝―に手を振り、それから俺の後をついてきた。
先ほどまで引っ張っていた手は、急に力を感じなくなり、傍から見たら手をつないでいるように見えるんだよなとそんな考えが襲ってきた。
「あ…あの…、沁也さん…?」
美鈴も同じことを考えていたのか、心なしか赤くなっているように見える。
どこまで行くのか、とか、もう離していいんじゃないのか、とかそういいたそうで、いえないのが美鈴らしくって。
そういえば出会った頃の美鈴はなかなか会話に口を挟むことが出来ない人だったなと過去を思い出し、話すよりも態度で表す人だったのを思い出した。
彼女が何を本当に恐れているのか、俺はまだ知らない。
しかし、彼女がちゃんと話せないことは“懼れ”からきていることは十分理解していた。
きっと、言葉一つで壊れてしまう、脆さを見てきたのだろう。
「あの…さっきはありがとうございました。」
腕をつながれたまま、美鈴は言った。
美鈴はちゃんとわかっていたのだ。俺が何をしでかしたのか。
「美鈴。」
俺は立ち止まり、じっと美鈴を見つめた。両の肩に手を乗せる。
脆くて壊れそうな、そんな弱い美鈴を支えるように。
「過去に何があったのかは聞かない。けどな、はっきり言う時はちゃんとはっきり言うんだ。
言わなきゃ所詮推測どまりだ。誰もわからない。さっきの男だったらそのまま有無を言わさずお前を彼女にしていたぞ。
俺に出来ることだったら手伝ってやる。だけど、いつまでも逃げていいわけじゃない。たまには覚悟もしろ。わかったか?」
一気にそういった。美鈴は涙を堪えるような乾いた瞳で、黙って上下に動かした。
瞳が波打っていたように見えたのは見間違いじゃないと思う。
彼女は確かに“泣いて”いるのだから。
後は美鈴自身がこのことを噛み砕いて処理するしかない。
俺に出来ることは無いのだから、そっと髪を優しく撫でその場を去っていった。
美鈴の表情は痛々しくて、振り向くことは出来なかった。

その日の放課後は運良くといっていいのか、バイトの開始時間が重なっておらず、美鈴と顔をあわせなくて済んだ。
しかし、その翌日からは表面上は何事も無かったかのように俺たちは過ごした。
そう。あくまでも表面的な事実。
美鈴の心の奥では何かとても固い決意を秘めていることに、俺は気づいていた。
それが何に対するものなのか、俺にはわからない。
けれど、美鈴は美鈴なりに上手く処理できたのだと俺は信じた。
きっとこれは美鈴をプラスにさせた。
だから、あえて触れることはしない。

数日後、バイトが無く一人で帰ろうというときだった。
校門のところで一人の男が壁に背を預けて待っているのに気づいた。
その男に見覚えがある。そして奴も、俺に気づいて壁から離れた。
男の名前は…確か正輝。
「先輩、少しいいですか。あまり時間はとりませんよ。」
昏い笑みを湛えて奴は言った。
返答如何では殴りますよ、といった感じだ。
やれやれと俺は呆れながらも承諾した。
話しをしない理由は無いのだから、聞いてやるくらいならいいだろうと自分を納得させて。
「じゃあ聞かせてもらいます。先輩は、美鈴ちゃんの何なんですか?!」
おっと。いきなり本題に入ったか。
「別になんだっていいだろ。」
とりあえず憮然とした態度で答えるのみ。
正直なところ、自分でも何なのか知りたい。
ただの先輩後輩と言う仲なのか、はたまた男であることを忘れ去られているのかそれとも…。
「だったら俺が彼女と付き合おうと勝手じゃないですか。あの時先輩わざとでしょ。」
「別に美鈴が誰と付き合おうとそれは美鈴の勝手だよ。だがな、あの時美鈴は嫌がってただろ。」
「じゃあ何故先輩はキレているんですか?」
「…。」
痛いところをつかれた。ぎょっとして、それからしまったと手で口を押さえた。
正輝は形勢逆転と言わんがばかりにふんぞり返っている。
無性に、こいつのこの態度に腹が立つ。
「あー、いたいた。シフト交換してー!!」
この場では、酷く場違いな声がした。
「って、あれ?二人で何しているの?」
そしてこのときになって、美鈴は俺が一人で無いことに気づいたようだ。
正輝のほうも、美鈴が間に入ってきたことで先ほどまでの勢いは削げている。
ちょうどいいタイミングで美鈴が入ってきたことに俺は感謝した。
「なんでもねーよ。じゃあかわってやっから。」
俺はクシャッと美鈴の髪をかき回して―不本意だが、正輝の目の前で―それから背を向けて立ち去った。
美鈴は一瞬呆けた顔をして、それから安心したかのように元来た道を引き返した。
チラッと後ろを振り返ると数人の女友達が彼女を待っているようだった。
そして正輝はと言うと…やっと状況が飲み込めたようで、あー!と叫んでいたが。

そして翌日の放課後。俺は美鈴に呼び出された。
けりを付けに行きます、と笑顔で彼女は言った。
奴の事だったら俺はいないほうがいいのではないのか、と俺は聞いた。
美鈴は首を振った後、微笑んで――
「一人だときっといえないんで、お願いだからいてください。いるだけでいいのでお願いします。」
そう俺に頼んだ。そして極めつけは、
「できることだったら何でもするって言ってくれましたよね?」
と今までに見たことの無いくらいまぶしい笑顔で言ったことだ。
「あ、ああ。」
っと俺は思わずたじろぎながら言ってしまった。
美鈴はそっと俺の手を掴んできて…。
「一つだけ、ワガママさせてください。」
と、驚く俺に頼んできた。
強く掴まれた手からは美鈴の覚悟が伝わってくる。
美鈴がこの手から、自分の心を支える何かを受け取れればいいと俺は強く握り返した。
それは、正輝が待つところにつく直前まで離れることは無かった。

「ごめんなさい、待った?」
美鈴が正輝に声を掛けた。こちらを向いた正輝の表情は驚きに染められている。
無理も無いことだ。あの時の返事を聞けると思えば、あの時邪魔した男が一緒にいるのだから。
「ちゃんと、断ろうと思って。私一人じゃきっと言え無いから…。だから一緒にきてもらったの。」
美鈴が言う。“断ろうと思って”と言ったところで、とりあえず当初の目的は達成されている。
美鈴は一つ大きく深呼吸した。
「あの…。ごめんなさい。私は貴方とは付き合えません。」
そしてぺこりと体を前へ倒して謝る。
「好きな人がいるから。」
重荷を下ろしたからか、自然な笑みで美鈴は理由を述べる。
俺以外の男に見せる…初めての笑みかもしれない。
他の男に見せているとは言え、それを向けられているのは自分だと確信していた。
「その先輩だろ。」
吐き捨てるように正輝は言う。
「うん。片思いだけれど。」
「その先輩のどこがいいんだよ!俺と…何が違うんだよ!!」
今にも掴みかかりそうな勢いで正輝が言う。
まず性格だろ、と心のうちで返事をしておく。
俺は…不覚だったが、美鈴が俺に同行を頼んだ本当の理由に、このとき気づいた。
振るのであれば少しの覚悟で出来る。
しかし…告白するのであれば、もっと大きな覚悟と決意が必要だろう。
成り行き任せのところはあるかもしれないが、それでも、美鈴にとってはかなり大きな覚悟だっただろう。
「それなら正輝君に聞くけど、私のどこが良かったの?」
美鈴は少し意地悪な質問を正輝に投げ返した。
この問いに、俺は答えることが出来ない。
美鈴のどこがいいのかなんて、俺には初めからわからない。
頭のてっぺんから足のつま先まで、美鈴のいいところも悪いところも、何もかも…全てだから。
彼女を構成する全ての部品が大切で、守りたくて、自分のものにしたくって…。
どれか一つを選ぶことなんて出来るわけが無い。
正輝もさすがに質問の意図は掴めているのだろう。
何も、返す言葉が無いようだ。
「初めて会ったときは確かに怖かった。でも、次会ったとき、すごい優しい人だって知った。
他人なのに凄く心配してくれて…フフフ…送ってもらったっけ。」
公園で友達と待ち合わせ…とか言う、二回目に会った時を思い出しているようだった。
「その後からいろいろ話すようになって。私、過去にいろいろあって人間がダメだったけど…
今は、守られている気がして、すっごく安心できるんだ。」
人間と言うより男だろ、と思ったもののあえて口出しはしない。
「それなら俺が…!」
守ってやる、といいたいのだろう。
美鈴を守ることができるというつもりだったのだろうか。
どちらにしても、“何”がわからなければ奴には無理だろう。
と言う俺自身、何なのかよくわからないのだが。
美鈴は静かに首を振った。
それだけで十分だった。
正輝の、握り締めた両拳はだらりと下がる。
「俺じゃ…ダメなのか…?」
確認するように尋ねる。
美鈴は黙って首を振るのみ。
「うん。ごめんね。代わりなんて…いないの。」
堪えきれなくなったのか、とうとう美鈴は泣き出した。
今度は綺麗なしずくが何滴も、何滴も流れ続けて。
「美鈴。」
優しい声で、俺は彼女を呼ぶ。
下を向いた彼女の目を見られるよう、その身をかがめて。
しかし、最後の一言は駄目押しのような気がする。
あそこまで言われたら、どのようにして俺に彼女を振ることが出来よう?
もともと振る気はなかったのだが…。
「沁也さん…。あのね…私…。」
「いい。知っていたから。」
そっと、美鈴の髪を撫でる。美鈴が泣き止むまで、その姿勢で撫で続けた。
いつの間にか…正輝はいなくなっていた。

「私、沁也さんのことが好きです。でも、沁也さんがそう思っていなかったとしても、友人として…違うか、知人として、そばに置いてください。」
泣き止んだ後、美鈴が言った。
「言っただろ。お前の為に俺が出来ることがあるのなら…なんだってやるって。」
そういって俺は美鈴を自分の胸へ引き寄せる。
「いつの間にか…目が離せなくなっていた。俺だってお前のことが好きだよ。」
美鈴を抱き締める腕に、自然と力が入る。
俺の中で、美鈴が再び泣いていた。
俺の中に有るその温もりが愛しくて、そのまま時がとまればいいのに、と場違いな思いを抱えた。
温かな夕日が優しく照らしていた。
えっと…登場人物24のお題より『男と男』です…。
美鈴の取り合いをやらせたくて書きました…一応。
と言うか…この二人(沁也と美鈴)、これの直前までの時代の話では付き合っていないんですよねw
それでコレより後の話だともう付き合っている…
だから、付き合うに至る話を書いて見ました。。。
って、お題からそれているような…orz

題名は思いつきませんでした。いつものとおり。(ヲィ
ちなみに14作目です。
えっと、サブブログに載せたものをそのまま収録。

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