高校生活最後となると思いも複雑なもんだ。
中学生活最後は義務教育の最後でもあるが、高校生活最後は未成年としての卒業式は最後であろう。
中学を卒業したほとんどの人は高校に来た。
だが、高校を卒業した人は…みなそれぞれ。
働く人は社会に出て行くし、学ぶ人もたいていは一人で暮らしだす、働きもする。
そして私の場合、親友のさーちゃん…小夜子ちゃん…との別れも意味している。
さーちゃんとは5歳のときからの付き合い…。
しかも朝も晩も顔をあわせないことはなかった…。
5歳の頃からずっと一緒に暮らしていた友達だった。
泣いた人もいた卒業式が終わり、私たちは校門にいた。
これから、このクラスでの最後の思い出作り…
みんなでカラオケに行って食事をして…解散。
クラスのほとんどの人が参加している。
もちろん私とさーちゃんも参加している。
瑠衣の姿は見えないが瑠衣もいるだろう。
瑠衣は…さーちゃんの警護を四六時中しなくてはならないのだから。
カラオケはひとつの部屋にみんな集まった。
なるべくみんなが歌える歌を入れて歌った。
歌える人が多いほど、部屋の雰囲気は興奮状態になっていった。
声が大きくて耳が痛い…。
でも…だから…楽しい。
これがお別れだということを除けば。
知っている人が少ない曲がいくつか入ったときもあった。
私が知っている曲は、さーちゃんぐらいしか知らなかった。
そしてさーちゃんの知っている曲は、私ぐらいしか知らなかった。
それだから、私たち二人で熱唱したときもあった。
他の人たちは、手を叩いたりとリズムに合わせて何かしていた。
私たちも他の人たちが歌っているときは同じようなことをした。
最後はみんなで歌う。
合唱のときに練習した曲を。
マイクを順番にまわして。
みんな一回はマイクを持つようにして。
マイクがなくても大きな声で。
最後だから。次いつ会うかわからないから。
みんなみんな、大事な「仲間」だから。
最高の思い出となることを願って。
その後のみんなとの食事。
語りたい話はたくさん、みんな持っていた。
泣いたり笑ったり、みんなと高校生活三年間を振り返った。
話している途中で、急にカメラのシャッターの下りる音が聞こえたときもあった。
瑠衣だった。手にはたくさんのカメラを持っている。
みんなカメラを瑠衣に託していた…。
カメラ目線ではなく、自然な姿の、思い出を語り合い楽しんでいる「仲間たち」の写真を残したかった。
一応部外者である瑠衣は、カメラマン(カメラウーマン?)と言うポストを与えられていたのだ。
もちろん、これは本職である「警護」を隠すためのカモフラージュのためでもあるのだが。
そして時はあっという間に過ぎていった。
酷いかな、もうあれから六時間はゆうに過ぎている。
空はすっかり暗くなり、夜の街は豹変を遂げようとしている。
みんな―女子だけだが―泣いて抱き合って…男子は、泣きはしないが肩をたたきあったりして…別れを告げあった。
「元気でな」「元気でね」そんな声がちらほらで聞こえた。
方向が同じ人同士で、男女問わず一緒になって帰っていく。
私とさーちゃんは一緒にいったん私たちが今住んでいる家に帰った。
そしてさーちゃんと瑠衣の荷物を全部取って…。
玄関には一台の車が停まっていた。
いよいよ私たちの別れを告げるときがやってきた。
私とさーちゃんはきつく、きつく抱き合った。
止まる事も知らないくらい涙は流れ続けた。
「みーちゃん元気でね。手紙、絶対書いてよ。」
「うん、さーちゃんもね。」
それ以上は声にならなかった。
車はさーちゃんと瑠衣を連れて去っていった。
その現実は私の思い出までも連れて行ったような気がした。
最後に残ったのは虚無―何もないという虚しい感情―だけだった。
私は一人、玄関に立っていた。