温かな春の日が照る中、木陰の下にあるベンチの上で一匹の猫が寝そべっていた。
黒い、艶のある毛が美しく光る。
その滑らかな質感は“触りたい”と言う欲求を刺激させた。
猫は嫌いではない。小さい頃からよく猫と遊んでいた。
だから私は本能的な欲求に従って一歩、また一歩と猫に近づいた。
近づいているのに無反応。
かなり人間に慣れているといってよいのだろうか。
そのまま私はベンチの真横にまで移動した。
少し、ピクリと反応した。
しかしそれは一瞬の出来事で、気づいた時にはまた元のように寝そべっていた。
私は恐る恐る手を伸ばした。
頭を撫でてみよう、と言う誘惑には敵わなかった。
手が触れる直前、猫がビクッと身体をこわばらせた。
警戒している。
しかし逃げなかったのでそのまま手を頭に載せて撫でた。
その猫はじっと、撫でられるがままにいた。
でも、気持ちいいのだろう。頭を持ち上げ、もっと強く手に頭をつけているようだった。

撫でられるがままにいつつも、猫は立ち上がった。
じっと一点を見つめている。
その視線の先には犬がいた。
すぐに飼い主に引っ張られ去っていったのだが。
犬が去ったらまたこちらに顔を向け、背を向け、撫でてもらうことを欲求した。
私の手が止まると、ベンチの上を歩きながら私のスカートに身体を摺り寄せた。
ほんの数分しか撫でていないのに、どうやらもう懐かれたようだ。
苦笑を浮かべつつ、私は猫を撫で続けた。
時々か弱い『ミャー』と言う声が漏れた。
そういえば私が近づく前、この猫と目が合った時も聞こえた気がする。
『ミャー』と言う弱々しい声。
弱っているのかと心配になって、それで余計近くで見たくなったんだっけ。
ふと、首輪が無いか探してみた。
毛が密になっているところが首周りにあったが、首輪はなさそうだ。
野良猫なのだろうか。
観察していて初めて気づいたのだが、猫の毛は耳には生えていないのだろうか。
耳と頭と接しているところは乾燥していて、ぼこぼことした感触とざらざらした感触が伝わってくる。
全身黒い猫のそこだけは灰色っぽく、白い筋が何本も見え、ブロック塀のような模様を形成していた。
同じ耳でも、そこから少し離れた所には短い毛が生えていて、温かな感触を覚えているのだが…
猫と言うのはもともとこういうものなのだろうか?
私は疑問に思った。
猫は好きだが飼った事は無い。
だから猫をここまで観察したのはこれが初めてだった。

わからないこと尽くし。
綺麗な緑色の目が私を見つめる。
「ごめんね。」
小さく呟いた。
私は家に帰らなければならない。
今は学校帰りの途中。
最寄り駅より一つ先で降りて、また電車に乗るのが面倒だったから歩いて帰ろうとした、その帰り道の途中。
私の手が猫の頭から離れた。
去っていこうとする私の気配を感じたのだろう。
猫が再び、私のスカートに頭を擦り付けた。
まだまだ甘えたいのだろう。
「ごめんね。」
今度は心の中で呟いた。
「明日、また来るから。」
そう自分に言い聞かせる。
ちゃんとご飯食べているのか心配だったが、何も食べるものは持っていない。
このときばかりはキャットフードを買わなかったことを恨めしく思った。
生物の課題で、先生にキャットフードを買うよう指示が出ていたのに。
お金をケチりすぎたためか胸が痛い。
私は猫に背を向け、見えなくなるまで足早に去った。
後ろを振り向いたら、猫があの純粋な眼差しを私に向けてくるだろう。
それが痛くて、見ることを拒んだ。

この猫がきっかけで、私の『生命』に対する考えが変化するとは、考えても見なかった。


当時生物の宿題で猫観察があったことを踏まえて。
その時猫が見つからなくて、いろいろな方から猫に関する話を伺い、それをベースに。

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