一片の紙

遠足から数日後、初めての席替えが行われた。
『お見合い方式』と言う方法で席替えをすることが、多数決で決まった。
お見合い方式と言うのは、はじめ男子か女子のどちらかが教室に入り、自分の座りたい席に座る。
つまり、あらかじめ男子が座っていいところと女子が座っていいところが決まっている上で行われるのだ。
そしてその間、もう一方は外に出ていて、教室の中は覗かない。
誰がどこに座るか決まったら、中にいる人と外にいる人が入れ替わり、また同じことをする。
今回決まったら、そのまま自分の新しい席に座り、外に出た人は自分の新しい席に着く。
これで席替えは完了となる。つまり、最初に席を決めたほうは教室に入った時点で隣が誰だかわかるわけだ。
香代のクラスは、まず最初、女子が決めることになった。
どこに座るかと言う相談はもちろん可能。友達同士で固まるのも大丈夫だ。
香代は必然的に隅に追い込まれた。
四十人学級なので、一列十人と言う構成になっている二列目の一番後ろの席になった。
二列目、と言うのは廊下から数えて二列目で、女子の席は列の左側と決まっているので、一番後ろの中央と言うことになる。
すんなりと決まったのではなく、何度も文句を言われて、やっと決まったと言った状態だった。
中にはじゃんけんで決めた姿も見えたのだが…とにかく、香代は一番後ろの中央で落ち着いた。
他もグループごとに固まっている。香代の前の席の女の子は、彼女が属しているグループ内ではおとなしいほうに分類されている。
彼女は香代と友達になる機会を狙っていることを、香代をはじめとする女の子たちは知らなかった。
そして彼女たちは廊下に出て、廊下にいた男の子たちと交替する。
龍と雄太がどこに着くのか興味津々の女の子たちは、ドアや窓の隙間から中を覗いていた。
同じように覗いた男の子たちがいたのだろう。香代の隣の席は争奪戦になっていた。
隣の席どころか、一番後ろの席はどこも人気が高かった。また、香代の席の周りに当たるところも同様に高い。
グループからはずされているから、端っこ…つまり一番後ろか一番前だろうと推測した龍と雄太もこの席の取り合いに巻き込まれた。
やっとの思いで、雄太は三列目の一番後ろの席になることが出来たが、龍は少し離れたところになってしまった。
二列目の真ん中、と言う位置になった。それで男の子の席も全員決まり、廊下から女の子たちが入ってきた。
ドアを開けるなり歓喜を上げる子がいて、そんな子をにらむ目があり…
そして彼女たちは自分の新しい席に座る。
「わっ、雄太君。席近いんだね。」
自分の席に着くか着かないかというとき、香代が言った。
「あ、香代ちゃん。通路挟んで隣だよね。よろしく。」
香代のほうを向いて雄太が言った。
二人で楽しそうに話をする姿は微笑ましくも見える。
もちろん、彼らの周りの席の子はこの光景を微笑ましくは思っていないのだが。
「あの…東さん、僕今日教科書忘れたから見せてくれないかな…。」
「雄太君が隣なんだね、よろしく。」
そして隣になった二人が、それぞれの隣の意識を己のほうへ向けようと勤めていた。

「それにしても、雄太君が隣だなんて驚いたなー。」
いつものように三人で帰る帰り道、香代が言った。
「驚くも何も、こういうのは決まって覗くやつがいるから、香代ちゃんの隣は凄い争奪戦だったんだよ。」
「そうそう、だからすぐに香代ちゃんの席がどこだかわかってね。で、龍は隣経験有だから問答無用で隣禁止。」
「で、残ったのだけで結局じゃんけん。運良く雄太は隣と言っても通路挟んで隣の席になれたんだよな。」
「運良くって何だよ!」
そんなやり取りを、香代は驚き半分で見ていた。
後の半分はと言えば、その光景を見てくすくすと笑っていた。
香代にとってこの光景は、見慣れたものであり、微笑ましくもあって、とても大切な時間だった。
願わくはいつまでも続いてほしい、そんな時間だ。
しかし、その一方で香代にはもう一つ、何にも変えられない時間がある。
学校に入ってから忙しくなったものの、香代の机に残された時間。
寂しいときや辛いとき、一人のときに残された安らぎを与える時間。
そんな時間がもう一方では香代にあった。

その時間は香代の机の中にある。
机の中にあるもの、それはたくさんの香代を描いた紙だった。
学校を通い始めてからは、あまり拾うことはなくなったが、香代は拾ったものをすべて机の中に残していた。
一人でいるとき、あのときのように香代は思いを馳せ、めぐらせる。
誰が書いたのか。どんな人なのか。何で香代の絵を描くのか。
その思いは、今も、どんどん膨らんでいく。
男の人だろうか。それだったら問いたい。私にこんな思いをさせる理由を。
女の人だろうか。それだったら言いたい。私と友達になろうと。
だから…会いたい。そんな思いは日増しに募っていく。
痛くはあるが、それはそれでとても心地よい。
それに…誰かが香代のことを思っていている、と言うことは香代に安らぎを与えられることだ。
もし誰も香代を相手にしなかったり、香代のことを思っていなかったりしたのなら、香代は孤独に押し潰されそうになるだろう。
香代は、一人で孤独と言う寂しさに耐えなければならないだろう。
託児所ではあっても、そのような経験をしたことのない香代には想像がつかない苦痛だろう。
学校では、龍をはじめとする男の子たちが香代の孤独を取り除いてくれている。
家では…唯一この時間が香代の孤独を取り除くものとなっていた。
母親も父親も、帰りがとても遅いのだから。
早く帰ってきて、と願ったこともある。
しかし、その願いが叶うことはほとんどない。
だからこそ、この香代を描いた紙を見て思いを膨らませる、この時間がかけがえのないものとなっていた。
決して香代を裏切ることはない。
それは香代自信の頭の中で繰り広げられる時間(ストーリー)だからだ。
そう、それはとても神聖なものとなっていたのだ。

一体どこから漏れたのだろうか。
香代は自分が描かれた絵をとても大切にしている、と言う噂が流れた。
その絵の出所は、噂によってまちまちだ。
有名な画家に書いてもらった、だとか、初恋の人に書いてもらった、だとか。
そして香代がそれを大切にしている理由。
――自分が一番可愛いと自己陶酔しているからだと。
そんな噂が流れた。もちろんデマではあるのだが、人の悪い噂は流れるのが早い。
男の子たちは、嘘だよねと香代に確認を取りたくて、怖くて聞けないでいた。
そのためか、香代と話すことが躊躇われた。
女の子たちは元から、話していなかったのだが、さらに香代から離れていった。
今や、香代に話しかける人は龍と雄太しかいなくなった。
それでもたまにこんな声が聞こえる。
「そんな子、相手にしなくていいよ。」
「あんな子のどこがいいのよ。」
「あんな子の相手をしたら龍君(または雄太君)が変なっちゃうよ。」
などなど。中には無理矢理、香代から引き離そうとする子もいた。
「そんなことない、香代ちゃんはそんな人じゃない――ッ!」
一度龍はそう叫んだことがある。
その声は今も、香代の耳に残って離れない。
香代の耳に、心に、染み付いてしまったようだ。
この出来事は色褪せることなく、消えることなく、強く深く刻み付けられた。
心の奥底が何故か暖かい。
その温もりは消えてしまいそうなほど小さなものではあるが消えることなく、いつまでも続いていた。
何か、新たな展開を見せつつある中、一本の電話がかかってきた。


2005年8月18日発行。
お見合い方式の席替えってやりませんでしたか??
担任に、そんな席替え方法があるんだぁ〜と、奇妙なものを見るような眼をされた過去がありますw

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