一片の紙

ちょうどその時、先生が集合をかけた。
時刻はお昼。日がかなり高い位置まで昇っていた。
龍は辺りをキョロキョロさせた。香代を探しているのだ。
「せんせーい。東さんがいませーん。」
一人の女の子が言った。
「まあ。誰かどこに行ったか知っている?」
先生が聞いた。先生は女性で、見るからにまだ若い。20代といったところだ。
平静を装った声ではあるが、相当戸惑っていることが伺えた。
しかし、先生の期待を裏切るかのように、誰も答えない。
知っている人はいるのだろうが、誰も答えなかった。
「困ったわね…。」
そう先生は呟く。どうやら本当に困っているようだ。
それもそうだろう。所詮ここは普通の公園に過ぎないのだから。
普通なら、親に連れられて何度か遊びに来ているはずだから。
知らないところには行かないだろう、と高をくくっていたのかもしれない。
そもそも、迷子になると言う可能性ははじめから考慮していなかったのだろう。
「探してきます。」
そう言ったのは龍だ。言ったかと思ったらもう、背を向けて駆け出していた。
「ちょっと、相沢君?…矢崎君!」
矢崎と言うのは雄太のことだ。
雄太は龍の後を追って駆け出していた。
先生の声なんて届いていない。
二人は香代を探すことで頭がいっぱいになっていた。
そしてそんな光景を白い目で見ているのは、この事件にかかわりがある人だろう。
それか、行動を起こしたくも我慢している人だろう…。
「先生も探してくるから、みんなここにいてね。先にご飯食べていいよ。」
そういって先生は、他のクラスの先生の元へ駆けて行った。
残った子供たちは、レジャーシートを敷いて食事にする子もいれば、そのままその場に座っている子もいた。

龍と雄太は、公園内にあるマラソンコースを歩いていた。
ここを一周すれば、公園のほぼすべてを見ることが出来る。
特に、先ほどまで彼らがいたところから少し離れたところは走る人以外はほとんど通らない、木々が密集したところだった。
密集している、といっても光が入らないほど密集しているわけではなく、都会にしては木々がたくさん生えている、と言う程度だが。
さらに、この近くには、貯水池があるので、そこで迷えば方角がわからなくなるかもしれない。
先ほどの雄太の言葉を借りれば、香代は来たばっかりの子と同じだからありえる話だ。
そして案の定、香代はいた。貯水池の近くに座っていた。
全身ずぶ濡れの姿でいた。きっと誰かが突き落としたのだろう。
目は泣きはらしたように赤い。音に気づいて振り向いたときに見たところによるとだが。
一瞬だけ目が合ったのだが、すぐに香代はうつむいた。
「香代…ちゃん…。」
戸惑いながらも龍が声をかけた。
「来ない…で…。」
顔を向けずに香代が言った。
その言葉に、近寄ることを一瞬ためらった龍だったが、やはり彼は香代の元へ歩いた。
雄太がその後をついて歩いていく。
二人が近づいていることを音でわかっているはずだが、香代は何も言わず下を向いたままだった。
「香代ちゃん…大丈夫?」
「見ないでっ!」
顔を覗き込もうとしようとした龍に向って香代が叫んだ。
来ないで、では無く、見ないで、と香代は叫んだ。
「でも香代ちゃん…冷えちゃうよ。風邪引いちゃうよ。」
戸惑いながらも龍は声をかける。しかし香代の返事は無い。
ただうつむいているだけだった。
幸いなことに、まだ昼間で、なおかつ季節は夏になろうとしている時期だけあって、日の光は弱くは無い。
徐々にではあるが、香代の身体を乾かしていた。
この分だと、日没までには乾くだろう。風邪を引くかは体質による。
龍は香代の隣に腰掛けた。
「じゃ、俺適当に言って荷物持ってくるよ。」
雄太がそう言い、もと来た道を駆けていった。
龍は香代の隣に座ったまま、その背中を見送った。

時は少し遡り香代がまだブランコに乗っていた頃の話に戻る。
「東さん。」
一人の女の子が声をかけた。
しかし、意識がほかのところに飛んでいた香代にその声は届いていない。
「東さん。」
もう一度呼びかけたと思うと、彼女は香代の乗っているブランコをつかんだ。
ブランコの揺れが急に止められる。
意識が遠のいていたとは言え、手でつかんでいたため、香代の身体は少し前にずれた程度で済んだ。
「わっ、…あの、何か用ですか?」
にらまれている…と言うのか見下されていると言うのか…ことに気づいた香代が聞いた。
「ちょっと来て。」
「何でですか?」
そっけなく言われた言葉に対し、疑問詞を浮かべながら香代が聞いた。
「ちょっと話があるの…。きてくれるよね?」
その口調は、否定を許さないように聞こえた。
「ここじゃ…だめ?」
おずおずと香代が聞く。
「だめ。ここだったら邪魔になるし、目立つ。」
確かにブランコの前だったら邪魔になるだろう。
しかし、目立つと言う意味が香代にはわからなかった。
そして移動中は終始無言だった。
香代は前を歩く女の子に黙ってついていくだけだった。
一応どう歩いているのか、頭に入れているつもりではいたのだが。
辺りが木々で囲まれた道をしばらく歩いたとき、右手に視界が開けた場所があることに気づいた。
女の子はそこを曲がる。香代は仕方なしについていく。
「あれ…?」
もともと二メートルほどの間隔をあけて歩いていたので、香代が曲がったとき、そこには誰もいなかった。
一人で先を歩いているだけだったら、すぐに逃げられるようある程度間隔をあけていたのだ。
しかし、周りを木々に挟まれた道を歩いているとき、後ろから誰かがついていることに気づいたので、それは断念した。
しかも複数…。明らかに二人以上の足音が後ろからしていた。
「どこに行ったんだろう…?」
辺りをキョロキョロさせながら、香代は歩いた。
背後から殺気を感じ、振り返ったとき何かが香代の腹部を直撃した。
「あんた目障りなのよ。ここに昔からすんでいるくせにここのこと何も知らないからって甘えるんじゃないわよ。
しかも家も席も隣が龍君だからってべたべたしているんじゃないわよ。そういうの見ているとほんとムカつく。」
言ったかと思うと、また次の攻撃に移った。
前に、後ろに、香代の身体が飛ぶ。けほけほと咳き込む香代に容赦なく攻撃が繰り返される。
右側部に打撃を受けたあと、香代はそのまま貯水池に突き飛ばされた。
身体のあちこちに傷を作り、痣だらけの状態で水の中に香代の身体は沈んでいった。
そして、池から這い出たときには誰もいなくなっていた。
――こんな格好では、誰にも会えない。誰にも見られたくない。
悔しさに耐え切れず、香代は小さな声で鳴いていた。

「ほら、荷物とってきたぞ。」
雄太が言った。手には二つのリュックが持たれている。
一つは自分の、もう一つは龍のだ。
上手く言い訳をいえなかったのか、それとも見つけることが出来なかったのか、香代のリュックは無い。
まさか忘れたなんてことはあるまい…。
見つけられなかったと言う可能性を否定できなかったので、誰も香代のリュックについては聞かなかった。
「香代ちゃん、ご飯、一緒に食べよ。」
雄太に投げられた自分のリュックを取り、隣に座っている香代に龍は声をかけた。
そして自分のリュックから、おにぎりを一つ取り出し、香代の目前に差し出す。
おずおずと香代はそのおにぎりを受け取る。
それを確認したら、龍はリュックからもう一つおにぎりを取り出しほおばる。
いつの間にか龍の隣に来ていた雄太も自分のお昼を取り出して食べていた。
雄太のお昼はお弁当だった。でも箸が無くても食べられそうなものがあると、香代にいるか聞いた。
いや、聞いたと言うのは語弊があるかもしれない。
香代が断っても彼らは、遠慮しなくて言いといって聞かなかったからだ。
そして二人は、香代が落ち着くまでずっとそこにいた。
結局、帰りの集合がかかる頃になって三人は貯水池を離れた。
だいぶ落ち着いてきたとは言え、歩くときはやはりうつむいていた。
誰にもその顔は見られたくないようだ。たとえ母親にでも…。
先生には散々怒られたが、誰も何も反論しなかった。
香代ちゃんが悪いわけじゃないのに…と帰り道、雄太が不満を漏らしたが。
香代のリュックはやはり隠されていたらしい。
雄太が他の男の子たちに探させ、ゴミ箱の陰にあったのを見つけたらしい。
香代は唇をかみ締め終始うつむいていたが、今にも泣きそうな表情のままだった。
そしてその表情は、家に着いたときもそのままだった。
「香代ちゃん、お母さんが返ってくるまで、俺んちにいる?」
今の香代に一人でいる寂しさに耐える力がないと判断したのだろう。そう龍は声をかけた。
「ううん、大丈夫。ありがとう。また明日。」
そういって、香代は自分の家に入っていった。
これがまだ序章に過ぎないことを、三人は痛いほどわかっていた。


2005年7月26日発行。
気持ち的にはこれで第一章終了。
当時は部活以上にこちらに力を入れていたようです。

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