一片の紙

入学式が終わり、クラスでの自己紹介も終わり、翌日の連絡も終わった放課後。
校門の前には香代と龍と雄太の姿があった。
雄太は朝、龍が言ったことを確かめないと気がすまないようだった。
まだ、俺は信じないからな!と言っていた。
香代は友達がまだできていないこともあったのか、一人で帰るよりはましだと思っているようだった。
「じゃあ、雄太は俺の家、どこにあるか知っているから、香代ちゃんが帰る方向を確かめようよ。」
龍が提案した。すかさず、雄太がそれに反論する。
「そういってお前、香代ちゃんの家までついていくつもりじゃないだろうな?」
「ばっ…んなわけないだろ!」
「まあまあ、隣だったら最後の最後まで一緒なわけだし、違うんだったら途中でわかれるんだから、雄太君は龍君が家に入るまでついていけばいいじゃない。」
何か論点がずれたような答えを香代はした。
香代ちゃんがそれでいいんだったらいいけど…と雄太は不満が残るような口調で言った。
帰り道は、雄太と龍の昔話を香代は聞いた。
雄太は四歳の頃からサッカーを習っている。
あまり外では遊ぶようなたちではない龍だが、雄太とは気が合うらしい。
しかし、外で遊ぶことはあまりないと言うことからは想像がつかないほどの運動神経を龍は持っているらしい。
雄太の所属するサッカーチームの一人が怪我したため急遽代理で龍が入ってきたことがきっかけで仲良くなったらしい。
そんな話を、香代は二人から交互に聞かされた。
香代のほうは特に話す事柄がなかったので、ほとんど聞くだけだった。
いや、それだけではなく、龍が雄太に香代の事を聞かないようにさせていたこともあった。
そしてすぐに、香代の家に着いた。
「ここが私の家よ。」
玄関を指して香代が言った。表札には『東』(あずま)と書いてあった。
「マジだ…。龍の家は確かに隣だ…。」
驚きを隠せない表情で雄太が言った。
「ほら、ここが俺の家だ。」
少し先に立っていた龍が、そこにある表札を指した。
香代は見なくてもわかる、そこに書いてある文字を。
そこに書いてある…相沢の文字が。
「それにしても凄い奇遇だな…。学校でも隣じゃねーか、お前ら。」
一人、仲間はずれになった気分をしている雄太が言った。
「そうだね、こんなに近かったのにぜんぜん気づかなかったなんて。」
雄太の言葉に香代が頷いた。
「…って、いつまでもここにいちゃだめだよね。それじゃ、また明日〜!」
そういって香代は家のドアの鍵を開けた。
両親が共働きである以上、香代は『かぎっ子』と言う立場から脱することはなかった。
そんな香代の後姿を見送った少年二人は、香代が家の中に入った後もその場に残っていた。
「そういえば、お前がいつか書いていた子って香代ちゃんだろ。」
「うん…そうだよ。」
「やっぱり。そのこと知らないようだけど話さなくていいのか?」
「うん…言わないで、お願いだから。」
「…わかった。」
そして二人はそれぞれの家へ向った。

小学生は、通学班と言うグループになって登校するところが多い。
それは香代たちの学校でも同じことだった。
香代と龍は家が隣だったので、もちろん同じ班に属する。
「香代ちゃーん、行こー!」
毎朝のように龍は香代の家に行く。
「わっ。龍君…!ごめん、ちょっと待って…!」
そして龍が行くとき、香代はいつも準備が出来ていない。
龍はドアの前で五分ほど待たされることがしばしばだった。
そして二人で通学班の集合場所に行く。
たいていもうみんなそろっているので、二人が来たところで出発する。
一列で並ばなければならない、なんて決まりを守ることはなく出発する。
もちろん龍は香代の隣で話しをする。
香代もそれを迷惑には感じることなく話を返す。
途中で、雄太の班に会うと雄太も会話に加わり三人で話をする。
もうその頃には通学班と言うグループの面影はほとんど残っていない。
他の班員たちもそれぞれの友達と楽しそうに話をしているからだ。
そしてその通学班とは呼びがたい状態で学校の校門をくぐる。
校門をくぐってしまえばもう“通学班”は解散になる。
みなそれぞれの下駄箱へ向う。
中には友達を待つために校門に残ったり、どこか待ち合わせになっているところに立っていたりする人もいるが。
もちろん、待つ友達なぞまだいない香代は、龍と雄太と一緒に下駄箱へ向う。
そんな光景をつめたい、とがった視線で見る影がいくつかあるのだが…。
香代はそんなことは知らない。
すべては香代の知らない、陰で行われていることだった。

女の子たちの間では龍と雄太は有名人だった。
それと同じくらい、男の子の間では香代は有名人だった。
香代本人は気づいていないのだが、香代には守ってあげたいと感じさせるような一種の魅力があった。
それは彼女の可愛さ故なのかはわからない。
そして、龍は明るく優しい性格の持ち主であること、雄太はサッカーをやる姿がかっこよく映ることがそれぞれの魅力だった。
二人は女の子たちの間ではアイドルに近い存在だったのだ。
香代は運が悪いと言うのか、小学校初日からそんな二人に気に入られてしまったため、周りの女の子からはあまりいい目で見られることはなかった。
そして、男の子の間でも可愛いと有名なことがさらにそのことに拍車をかけた。
当然、女の子の間では香代と話はしないことが暗黙上の了解によって成り立つようになった。
特に中心となったのが、龍と雄太と同じ幼稚園だった女の子たちだった。
それはグループで、グループにあわせて、行動しがちな女の子と言う特性から来るものだろう。
実際、少数派ではあるが、香代と友達になりたい、と言うのでしょうか、香代の味方になりたい、と言うのでしょうか、そう思う女の子もいた。
しかし、彼女たちにはグループを抜ける、またはグループに反する意見を述べる勇気は持っていなかった。
ただただ、己の胸を痛めて、その痛々しく感じる光景を見るだけだった。
その気持ちはただ己の胸に刻み付けられ、誰とも共有されることはない。
きっとその理由は、誰が同じ気持ちを持っているかわからないからだろう。
そしてそれ故に傷はますます深く刻まれ、忘れることを不可能にさせた。
もしかしたら彼女たちは、まだ実体に気づいていない香代よりも深い傷を負っているのかもしれない。

もちろん香代はまったく気づいていないわけではない。
薄々と感じていても、その実体がどれほどのものなのかはわからないでいた。
それは龍と雄太も同じだった。
しかし女の子によく見られる“グループ行動”と言うのに、口出しすることがためらわれていた。
また、その原因に自分たちがかかわっていることも痛いほどわかっていたこともあった。
自分たちが口出ししたら、さらに香代は被害を受けるのではないか、と。
そんな個々の思いが行き交う中、月日は流れていき、遠足の日になった。
この小学校では、そろそろ入梅すると言う時期に、クラスの親睦を図る名目で遠足が行われる。
そして、“グループ”の結束が強くなりうるイベントでもあった。
遠足と言っても、学校から歩いて10分、20分ぐらいの距離までしか行かない。
行き先も少し大きな公園ぐらい。
そこで夕方まで滑り台などの遊具や鬼ごっこなどで遊ぶのだ。
お昼に一度集まり、それぞれがレジャーシートを広げ、持ってきた弁当を食べる。
凍り鬼や色鬼でみんなが遊んでいる中、一人タイミングを計り損ねた香代はブランコをこいでいた。
そこには龍も雄太の姿もない。
二人は他の男の子たちと一緒に鬼ごっこで遊んでいた。
女の子たちに話しかけて輪に入れてもらおうかと一度は考えた香代だったが、それは諦めていた。
彼女たちの雰囲気は、香代を受け入れそうにない。
明らかに拒絶の色が見て取れた。
そのため香代は話しかけることすら出来ずにいた。
香代の意識は遠のいていき、ただ足だけが機械的に動くだけになった。

香代に心配のまなざしを向けている人がいた。
「龍、気持ちはわかるが、その気持ちを引き摺ったままなら遊ぶな。だったらそばにいてやれよ。」
そう、心配のまなざしを向けている人物、それは龍だった。
雄太や一部の女の子たちはこのことに気を病んでいてもそのことは隠している。
雄太は頭を完全に鬼ごっこに切り替えているし、香代のことは考えないようにしていた。
女の子たちは顔を向けないことで必死に隠していた。
考えないように頑張ってはいるが、それでも考えてしまうことがあるらしく、しばしばボーとしているように映った。
己の抱いている感情に背き、うわべだけの関係を崩さないように必死になっていた。
そして、それを崩壊させかねないことである、香代を見ることを避けた。
雄太の場合、男女の壁による己の非力さからも背を向けていた。
そのことが、ゲームは楽しまなければならないと言う逃避行動につながった。
壁を感じなくてすむときは極力力になろうと努力する雄太だったが、このときばかりは背けるしか己を保てなかった。
しかし、龍は違った。
龍は鬼ごっこそっちのけで香代を見ていた。
もちろんすぐにつかまり、それでも龍は気づいていない状態なので雄太が代わっていた。
つまり、龍は“参加している”のだが、参加していない状態にあった。
男の子たちはそんな龍のことを知ってはいたが知らない振りをしていた。
彼らは、龍も気づいてはいるのだが、男女の壁に対する己の無力さを十分熟知していたからだ。
「そばにいたら逆に傷つけちゃうかもしれないから出来ないんだろ、俺らは。」
龍が言い返した。言葉に悔しさがにじみ出ていた。
「香代ちゃん、可愛いからなぁ。」
「うん…。俺はただ、香代ちゃんに友達が出来てほしかっただけなのに…。」
「しかしなんでそこまで?」
「香代ちゃん、たまに家にいることがあったんだ。」
雄太の問いに、遠くを見るような目で龍が語り始めた。雄太は黙って相槌を打ちながら聞く。
「近くに友達がいることなんてなかった。いつも外に出て、寂しそうに立っているだけだったんだ。
笑うことなんてなかった。笑ったらきっと可愛いんだろう、と思いながら二階から見ていた。
その寂しそうな姿が、いつまでも消えることはなかった。だから、かな。彼女に笑ってほしかったんだ。きっと。」
そういう龍の顔は、とても悲しそうな笑みだった。
「あー、おまえら、龍疲れたから抜けるって。」
龍の顔見た雄太がそう叫んだ。
「ちょ、…雄太?」
雄太の顔が真剣になっているのに気づき、龍は何も言えなくなった。
「香代ちゃんの良さはいつかみんな気づく。俺たちは今できることをやればいいんだ。
俺たちは、他の奴らが香代ちゃんに手出しすることから守ってやることは出来る。
でも今だって何もできず、ただ現実から背けているような奴だ。俺たちに彼女は助けられない。
お前だけ…お前しか、今の香代ちゃんを助けてあげられない。彼女はここに来たばかりの子と同じだ。
ここのことを何も知らない。知らないところに来て怯えているんだ。だから助けてやれよ。」
「でも…俺が行ったら香代ちゃんはきっと…。」
「そんなことは俺が知るか!誰が知っているんだ?所詮推測だろ!」
雄太に怒鳴られ、龍は竦んだ。
「…行ってやれよ。何も起きさせない。だから、行ってやれよ。」
吐き捨てるように、それでいて小声で、雄太は言った。
「…わかった。」
そう龍が言ったとき、事件が起こった。


2005年7月19日発行。
この時点で、全4,5回に予定変更。
また、舞台が以前住んでいた、S県のU市(現在三市合併してS市)になっていることが発覚。

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