一片の紙

三年生に上がると、まずクラス替えが香代たちを待っていた。
昇降口の前に張られた紙を、生徒たちが群がるように顔を持ち上げ見ている。
「そっか、クラス替えがあるんだっけ。」
香代の隣に立っていた龍が言った。
「誰と同じクラスになるんだろう。」
そう言葉を続けた龍の声にはワクワクとした響きが聞こえる。
クラスは全部で三クラス、東も相沢も上に人がいるかいないかと言うくらい出席番号は早い。
そのため、自分たちのクラスと言うのはすぐに見つかった。
「あ……。」
知らず知らずのうちに、香代はそう声を漏らした。
香代のクラスには、雄太も沙希も優美も、そして龍もいなかった。
なんという不運だろうか、思わず香代は嘆きたくなった。
「わー。香代ちゃんとはクラス離されちゃったのか……。」
心底残念そうに龍は呟いた。
「あっ。ねぇ、香代ちゃん、見てみて。あそこ、ユウユウコンビだよ。」
龍が二組のところを指差して言った。
香代が顔をあげて見てみると、一組は香代のみ、二組に雄太と優美、そして三組に沙希と龍だった。
「誰がユウユウコンビだ。」
すっかり存在を忘れられた雄太が口をはさむ。
「確かに漢字は違うけれど、二人とも「ゆう」だよねー。」
と、香代まで一緒になって言った。
「ちょっと、香代ちゃんまで…!」
悲鳴を上げる雄太に香代も龍も笑うだけ。
「あ、いたいた、香代ちゃん。もうどこに行ったのかと思ったよ。」
そういった優美が沙希と一緒にかけてきた。
普段は先に学校についている彼女たちは、今日は香代よりも後に来たようだ。
「ごめんごめん。人だかりが気になっていて忘れていたよ。」
「私たちの友情ってそんなに安いものだったなんて思わなかったよっ。」
「だからごめんってば〜〜」
ひたすら謝る香代と、笑いながらも膨れてみせる優美。
「あらっ。東さん、一人なのか。」
一人で暮らすを確認していた沙希が呟く。
それを聞いて、優美も“えっ”と顔をあげて確認する。
「あ…っ。本当だ…。」
指をさして自分の場所と香代の場所、そしてほかの三人の場所を確認して優美も肯定する。
「しかも龍君、クラスが遠くなるんだねー。」
そういいながら優美はからかうような笑みを龍に向ける。
「まあ…そうだけど…仕方ないよ…。」
龍がぼそぼそという。
先ほどのお返し、と雄太は何か口を開きかけて、結局移動し出した四人の後を付いていくだけで、言葉を発することはなかった。

じゃぁね、そう言って香代は四人と別れた。
クラスが違う以上、こればかりはどうしようもない。
新しい友達ができないかなと期待するばかり。
他力本願なのは承知の上だったが、香代は特に女子に話しかけることが怖かったのだ。
多かれ少なかれ、みんな似たり寄ったりなのか、廊下で立ち話をする子、教室の中で数人で集まってひっそりと話す子がいる以外は、よそよそしいくらいに教室は静かだった。
みんな、他のクラスメイトの出方をうかがっているような、そんな感じ。
初めに自己紹介をしたが、そのあともお互い視線を巡らせあうだけで、均衡を崩す存在は現れない。
それでも、一週間も同じクラスでともに行動をすると、徐々に新たなグループと言うものが形成され始める。
香代のことを知らない、と言う人はさすがに少ないだろうが、香代を積極的に嫌っている人も幸い少ないこともこのころにはわかった。
相変わらず龍は毎朝心配していたが、香代は、クラスとうまくやっているよと笑って答えてあげる。
実際、つかず離れずの距離で会話を交わしていられるのだから、うまくやっているのだろう。
友達と呼べるほど親密な間柄には発展しなかったが、給食で同じグループになったら、ほどほどに盛り上がれる程度には話ができた。
辛いことと楽しいことの境界線が不明確なこの二年間は、ある意味単調で、そして至福だった。
20分休みや昼休みは、相変わらず沙希と優美と共に過ごすことが多かった。
天気がいい時は、屋外に出て、竹馬や縄跳び、鉄棒などでも遊ぶようになった。
だんだん香代を見直す人が出てき、だんだん香代もいろんな人と話すようになる。
学年を越えた交流や、クラスの中だけでのレクで親密さを上げることも、学校と言う場を楽しく彩るようになった。
仲がいい友達は四人だけだったけれど、香代は、他にも話し友達がたくさんいるようになった。
友達のいないクラスと言うのは最初は不安だったが、半年もすると寂しくもなんともなくなっていた。
そうやって楽しく感じられる日々を過ごしていると、机の一角にあった楽しみはどんどんわきへ追いやられていった。
孤独でさびしい自分とともに、その一角に閉じ込めてしまった。
それと同時に何かが失われたが、香代にはその答えがなかった。

もちろん、この二年間の間も、クラスが変わったとはいえしつこくちょっかいを出す人はいた。
だが、クラスの違う彼女たちは深く手を出すことができなかったため、二年生の時ほどダメージはなかった。
だから、五年生のクラス替えの掲示を見た時は恐怖で埋め尽くされた。
香代が、最も恐れていたグループの何人かと同じクラスになっていた。
沙希とも同じクラスだったが、あんまり慰めにはならなかった。
通学班が一緒だった龍はこのときも香代の隣にいて、大丈夫だよと励ますことしかできない。
肝心な時、そばにいられないことは龍にとってもどかしいものである。
そして雄太と優美と沙希もその場にいて、それぞれの思いを抱いていた。
学年の人数の変動がなければ、このままのメンバーで卒業を迎えることになる。
中学はこのまま隣にある中学校にみんなが行くと考えているが、それでも、一つの区切りに対して何も感じない方がおかしい。
中学と言う場は、制服を着る、未知なる場のイメージが強かった。
中間テストや期末テストが待っていることなど、彼らは知らない。
ただ、もう少し広い範囲から生徒が通ってきていることと、制服を着ることだけ知っていた。
でも、それだけ知っていれば、小学校と中学校が違うことを知る上では十分だった。
そんな区切りのクラスを、このメンバーで過ごすことになる。
改めて香代は現実に言いようのない苦しさを覚えた。
どうして、仲のいい友達から切り離されるようなクラスにばっかり入れられるのだろう。
何度も何度も、脳裏を駆け巡っては答えの得られない問いを繰り返すだけだった。

思い出づくりという観点から考えると、小学五年生や六年生と言ういわゆる高学年はクラス単位や学年単位で何かをするという機会が多かった。
真っ先に香代たちを待っていたのは、音楽の授業に並行して合唱の練習だった。
少し遠くの文化ホールで、小学五年生の一学年は毎年そこで行われる合唱祭に参加していた。
今までは、朝礼の時にそんな話を聞いていたくらいだったので、実際に自分たちの番が回ってくるまでその存在もほとんど失念していた。
音楽の授業と言ったら、鍵盤ハーモニカにリコーダー、それとみんなで歌うことくらいだった。
合奏をすることはあっても、合唱をすることはない。
先生は楽譜を配って、みんなで一通り歌う練習をする。
ここまでは普通の歌の練習と同じだ。
だが、ここからが違って、同じ曲を何パターンかの歌い方で、みんな歌った。
合唱は、こうやってメロディや音の違う声を重ねることによって一つの歌に厚みをつけて行く。
だれがどの旋律で歌うかは、もう少しうまくなったら先生が決めることになっていた。
それまではみんな、同じ練習をする。
同じ練習をしていても、歌いやすさなどはそばで一緒に歌っていれば嫌でもわかる。
香代は沙希の近くで練習して、沙希はアルトになるだろうと思っていた。
そういう香代自身はソプラノの方が出しやすい。
優美はたぶんソプラノだろうが、普段のクラスが違うから場所は近くなるだろうか?
そんな風に考えを巡らせながら、香代は練習した。
苦手な彼女たちは、ソプラノにもいたから、これは遠くなることを願うしかない。
そして、パートわけが終わったころには、修学旅行の計画も立てられ始める。
そういう意味では、一番あわただしい年になろうとしていた……。


2008年6月18日発行。

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