一片の紙

翌日、香代は緊張しながらも優美に声をかけた。
普通に接することが出来た筈だったのに、何故か出来なかったのだ。
「ゆ、優美ちゃん…、ちょ、ちょっと、いい?」
そんな感じでぎこちなかった。
そして香代が優美を呼んだ場所は、屋上へ続く階段の踊り場。
屋上は数年前の事故以来封鎖されていて、この階段を利用する人は皆無に等しかった。
「香代ちゃん、最近、どうしたの?」
香代が緊張しているからか、優美は警戒しているようにも見えた。
「あのね…ごめんね。」
なんと言えばいいのかわからず、一瞬考えてから香代が口にしたのは謝罪の言葉だった。
「ごめんね、優美ちゃん。」
何のことか優美はわかったが、だからと言って掛ける言葉がなかった。
香代の謝罪の言葉はそのまま続く。ただひたすらごめんねと、涙声で言っていた。
「うん、大丈夫だよ、ねえ…。」
戸惑いながらも優美はやっと、そう声をかけた。
「ううん、あのね、私、怖かったの。私のせいで、優実ちゃんも、同じことになるのが。」
香代の嗚咽は続いた。涙が次から次へと流れていく。
「だって優美ちゃん、この学校に来たばかりだったじゃない、それで私と一緒にいたらさ、友達できなくなっちゃうんじゃないかって。
この間、クラスのこと仲良く出来ていたから、私と一緒にいなければまだ間に合うんじゃないかって、思ってさ。」
その後香代は再び『ごめんね』を繰り返した。
「なんだ…そうだったの…。」
いつの間にか涙が優美にも伝染していた。
「そんなこと、香代ちゃんが心配することじゃなかったのに。
そんなの、なって見なきゃわからないし、だからと言って香代ちゃん一人で立ち向かえる問題なんかじゃないよ。
香代ちゃんだってずっとこんなのでいいとは思っていないんでしょ?
一人で立ち向かえるなんて思っちゃいないでしょ?一緒に頑張っていかなきゃ。
一人じゃ無理でも、力を合わせればできるものだってあるんだよ。」
私じゃ力不足だったかな、と優美は涙声で付け加えた。
ううん、そうじゃないよ、と香代は首を振ることで示した。
その後二人は抱き合い、予鈴がなるまで泣き続けた。
決して大声では泣いていないが、それでも確かに泣いていた。

教室に戻った二人は眼が真っ赤になっていた。
「うわっ、香代ちゃん、どうしたの?!」
香代が教室に入ってくるなり龍が香代の許へ駆けて来た。
それから香代の横に優美がいることを確認したようだ。
「あ、仲直りできたんだ?よかった〜。」
その言葉は心底安心したようだった。
語尾が上がっているのは、何で喧嘩したのかも、喧嘩していたのかもわからなかったからだ。
ふと香代は周囲を見渡してみた。
クラスの半数弱の視線が集まっていたのに気づいた。
その中には沙希の姿もあった。勿論雄太のもある。
沙希は眼があった時微笑んで答えた。
その顔は『よかったね』と語っていた。
雄太は龍においしいところを持っていかれた、と悔しそうな顔をしているようにも見えて、香代は思わず笑いそうになった。
他はほっとした感じで、悔しそうな、雄太と同じ顔をした男の子たちと、冷たい目をした女の子たちだった。
そんな顔を見せたのもほんの一瞬で、次の瞬間にはもうほとんどの顔は前に向けられていた。
前、と言うのは香代たちは後ろの扉から入ってきたのだ。
彼らはその様子を見るために首を後ろへ向けていたのだった。
そしてまもなく、本鈴がなり、先生が教室に入ってきた。
香代と優美、龍は慌てて自分の席に戻った。
そして教科書を開く。先生は赤い目をした香代と優美の様子を少し奇妙に感じたようだったが、特に口出ししなかった。
そして久々と穏やかな一日が始まった。

お昼になるまで、特に変化は無かった。
いつものように香代は優美と話しをし、時々龍と雄太が加わったと言ったような雑談をした。
そんな光景を最後に見たのはもう数週間も前のように感じられるほど、ある意味懐かしい光景だった。
そしてお昼の時。香代と優美が一緒に遊んでいるところに一人の人影が近づいてきた。
そう、それはもちろん、沙希だった。
少し緊張した面持ちをしている。どうしたのだろうか、と香代は軽く眉を吊り上げた。
優美は怪訝とした表情を浮かべている。
沙希の様子が、香代を傷つけようとしていないだけに不可解のようだ。
「春日井さん、どうしたの?」
最初に話し掛けたのは優美だった。
おどおどした沙希の様はとてもでは無いが前日香代が見たものと同一人物だとは思えない。
香代はその点においても不思議な気持ちになった。
そしてそんなおどおどした沙希だからこそ、優美の不可解さは解せないでいた。
「あの…その…。」
やっと開いた沙希の口はしどろもどろに言葉を探しているようだった。
グループの中で、ただただリーダーに逆らわずに過ごしてきた沙希だ。
こういう場面に弱いのかもしれない、ふと香代はそのことに思い至った。
元来、春日井沙希と言う少女は内向的な人なのだから。
すっかり縮こまってうつむいていた。
「優美ちゃん…。」
香代は優美の袖を引っ張った。
いつの間にか、辺りの空気が重く、張り詰めたようになっていたことに優美は気づいた。
「春日井さん、どうしたの?」
大体の目的を理解している上で香代が聞いた。
ただ、そのことを確証出来るほどには、情報は少なすぎた。
紛いなりにも沙希は香代を嫌っているグループに所属している。
香代と接触することは沙希自身の立場を危うくするもののはずだが。
「うん、もう別れたから。」
香代の心配を知ってか、沙希はそう答えた。
先に答えるべき答えはその後すぐに聞くことが出来た。
「だから、じゃないね、それだったら別れたからってことになっちゃう。でも、私は東さんたちのところに加えて欲しいの。」
意を決したように、沙希はそういった。
優美は少し不安そうな顔で香代を覗き見た。
「うん、もちろんだよ。昨日も言っていたよね。」
香代は快く承諾した。香代が承諾するのなら優美に反対する理由は無い。
それどころか、香代の友達が一人増えたことに嬉しく思っていた。
香代ちゃんには香代ちゃんのいいところがある。みんなそのことに気づいているのにただただ僻んで否定しているだけ。
そんな香代ちゃんの良さを認めて、寂しい思いをさせない。優美はその気持ちを再確認した。


2006年2月26日発行。

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