一片の紙

空から雪が舞って来るように、その紙は舞い降りた。

紙は一人の少女の手の中に落ちた。
髪を二つに結び、赤い丸い玉の二つついたゴムをしていた。
薄緑のワンピースを着ているが、髪飾りとの不釣合いさは全く感じさせなかった。
そんな少女の歳は、5,6歳ぐらい。
小学校に上がるか上がらないかぐらいの歳だ。
少女は、手の中にある紙を壊れ物を扱うような手つきで広げた。
中にあるものを恐る恐る覗いてみる。
何も書いていないことを期待しているような、それでありながら何か書いてあることを期待しているような面持ちをしている。
そして中には、一枚の絵が描かれていた。
4,5歳ぐらいの子が描いたのではないかと思われる絵だった。
少女は顔を上げた。紙を落とした人を見ようとしたのだろう。
しかし、そこにはただ澄み切るばかりの青い空しかなかった。
――少女の名前は香代。
両親は共働きで兄弟もいない、最近よく見かけるような家族構成をしている。
そのため、香代は母親の会社が用意した託児所のようなところに預けられる。
この日、香代が自宅前にいるのは、母親が休みを取っていたからだった。
普段自宅にいることが少ない香代は、友達はあまりいない。
いや、いるのだが、それは託児所での友達だった。
小学校に上がったらもう会わなくなるであろう友達。
そんな友達しか、香代は持っていなかった。

それから何度か、香代は“空から”様々なものを拾った。
紙だったこともあったし、飴だったこともある。
紙に描かれたのは相変わらず、ただ一枚の絵だったが、その絵は見る都度上達していった。
そしてある時期(とき)からその絵は香代が描かれるようになっていた。
もちろん香代はすぐにその絵の人物が自分だとわかった。
しかし、相変わらず絵を書いた人とは会ったことがなかった。
空から物が落ちてくる都度、香代は会いたいと言う思いが募っていった。
書いた主…つまりは落とし主…は香代のことを知っている。
でも香代はその人を知らない、そのことが不公平にも感じていた。
その一方で香代は、その人物がどんな人かを想像するのが楽しくもあった。
男の子だろうか?女の子だろうか?
歳は同じぐらいだろうか?それとも年上だろうか?
空から降って来ると言うことは活動的な人物だろう。
しかし絵が上手いと言うことは、観察力が凄く、集中力もあるだろう。
手先が器用かもしれない。おとなしさ、と言うような相反する一面も持っているかもしれない。
どこに住んでいるのだろうか?近く?それとも少し離れたところ?
何で会わないんだろう?恥ずかしいから?
そんな風に、香代はあれこれ考えていた。
会いたいけれど会いたくない、そんな複雑な気持ちでもあった。
会いたいと言う思いはどんどん募っていく。
しかし、自分の思い描いたイメージが強くなるに連れて、そのイメージが壊されることに恐れを抱いてもいた。
そんな気持ちを抱えたまま、香代は小学校へ通うようになった。

「キミが隣か〜。よろしく。」
まぶしいばかりの笑顔をした男の子がそう言ってから、香代に手を差し出した。
香代はおずおずと自分の右手を出し、小さな声で、よろしく、と言った。
男の子の、人のよさそうな丸い笑顔が一層柔らかなものとなった。
「あー。お前ずるいぞ、こんな可愛い子の隣だなんて!」
別の男の子がやってきた。何かスポーツをやっていそうな細面の顔立ち、短く刈り込まれた髪を持った子だ。
「しかも初対面の子に握手求めるなんて反則だぞ、お前。」
「うーん。でも初対面じゃないよ、一応。」
「嘘だ!俺たち同じ幼稚園にいたじゃねーか。そこにこんな可愛い子いなかった!」「え…?」
丸顔の少年の言葉に、香代と細面の少年の二人の声が重なった。
「会ったことあるの…?」
香代はそのまま疑問を口にした。
「うん、キミは多分覚えていないだろうけれど。実は、家、隣なんだよ。」
「マジかよ!」「嘘ぉ〜。そうなんだ…。」
また二人の声が重なった。
「そっか、だったら会っているかもしれないよね。」
「うん、でもキミはお母さんと一緒にいつもどこかに急いで行っちゃうから、気づいていなかったのかもしれないね。」
「ちょっと龍(たつ)、ちゃんと説明しろ。」
細面の少年が丸顔の少年―龍―に言った。
「だから家が隣の女の子だよ、さすがに名前は知らないけど。」
「ふーん…ま、その話がホントかは帰りわかるけどな!」
そう言って、細面の少年は自分の席へ戻っていった。
「ふぅ。いきなり雄太が来たからびっくりした。改めて自己紹介するけど、俺は龍。辰年で辰の時刻に生まれたから『タツ』と言う名前らしい。
そしてアイツは雄太。さっきの話を聞いてわかったと思うけれど、俺たちはみんな同じ幼稚園出身なんだ。」
「私は、香代。お母さんの会社のところに預けられていたから…幼稚園は行ったことがない…の。」
「じゃ、知っている人、あまりいないよね?俺にしてみればほとんどが同じ幼稚園だったから…。あ、もしかして俺友達第一号?」
香代の顔は一瞬暗くなり、頷いているのかただ下を向いてうなだれているのか判別が難しい体勢になった。
「ごめん…。でもこれから友達が出来るよ。ほら、俺さ、家、隣じゃない。」
香代は相槌を打ったが何も言わなかった。龍はそんな香代を気にせず話を続けた。
「隣なのに香代ちゃんとは一度もまともに会ったことも話したこともなかったじゃない。
だから、今こうして、話せる機会をもらえるってすっごくうれしくって…だから…ごめん。」
「ううん、大丈夫。ありがとう。」
そう言った香代の顔は今にも泣きそうな顔をした“笑顔”だった。


2005年7月15日発行。
暫定的に全二回の予定で、時間がないことを理由に書きかけで出したことからすべては始まりました。

戻る