カラスの目

 お昼時は未就学の子供たちとその母親の姿ばかりが公園で見られていた。そんな中を、身分違いの大きな人影がブランコを揺らす。母親と呼ぶにはあまりにも幼すぎるが、未就学児と呼ぶにはあまりにも大きなその人物は少女だった。小学生、せいぜい中学生に見える彼女は、この場所ではあまりにも異質だった。日差しを受けて暑い公園で、暑苦しそうな黒のワンピースを纏っている。長いパーマの掛った髪がブランコの揺れるのに合わせて靡いていた。ただただ静かに、少女はブランコをゆっくりこぎながら空を仰ぎ見る。誰も彼女に声をかける人はいなくて、ただただ静かだった。しかし、その静寂もすぐに打ち破られる。
「お姉ちゃん、魔女さんみたーい。」
そんな少女に声をかけたのは、四歳くらいに見られる女の子だった。少女の隣のブランコが空いているにもかかわらず、女の子は少女の前に腰掛けてにこにこしながら見ていた。少女はゆっくりとこぐのをやめる。だんだんブランコは低くなり、揺らす物のなくなった髪の毛は少女の首にくっつき始める。
「お姉ちゃん、どんな魔女さんに見えるのかな?」
少女は女の子に近づいて聞いた。
「んっとね、優しい魔女さんだよっ。魔法でみんなを助けてくれるのっ!」
ニコニコと女の子が答えた。あどけない表情につられてか、少女の顔の笑みも優しさの色が強く表れていた。
「そう。ありがとう。」
「?お姉ちゃんどうしたの?」
少しさびしげな笑みを一瞬浮かべて言う少女に対して、女の子は不思議そうに首をかしげた。本当に分からない、そう言った顔だ。
「ううん、何でもない。ねぇ、君は魔女さんって本当にいると思う?」
「あゆちゃんはね、いると思うんだ。お母さんが言っていたの。信じていたら本当になるって。お姉ちゃんは違うの?」
少女の問いに、やはり分からないと言った顔であゆと名乗った女の子が答えた。
「わからない。お姉ちゃんが魔女さんなのか、そうじゃないのかも。でも、もしかしたらあゆちゃんが言うのは正しいかもしれない。」
少女がそう答えたからか、女の子はさらに困った顔をした。
「お姉ちゃんにも分からないことがあるの?それだったらお母さんに聞くといいよ。お母さんは何でも知っているんだって。」
女の子のこの言葉には少女は何も答えなかった。その代わり、少女は秘密を打ち明けるかのように、女の子に小声で囁いた。
「でも、あゆちゃんには、特別にお姉ちゃんの魔法、見せてあげるね。」

 小さい子に懐かれることは由紀にとって珍しいことでもなかった。話すことは少なかったが、よくじっと見られるのだった。見られている、そう気づいた時、由紀は笑顔を向けてあげるか、小さく手を振ってあげている。そうすると、彼らは決まってうれしそうに喜ぶのだった。その喜ぶ姿がうれしくて、由紀も一緒にうれしい気分になる。
 そして誰も声をかけない時はかけないときで、どこまでも澄みきった青い空を見るのも好きだった。翼の生えていない人の体は空を飛べないが、それでも空を飛んだ気分が体験できるような錯覚を与えてくれる。時々、実際にシンの目を通して由紀は空を飛ぶ≠アともあった。夕方になり、学校帰りの小学生たちがあふれるようになると、由紀も、そして未就学児たちも逃げるように公園から消えていく。そのあと由紀は一人でインターネットをやるのだった。
 この日は珍しく、由紀の半分くらいの年齢の子に話しかけられた。このとき由紀は空を見ながら飛んでいる気分を味わっているだけだった。シンはシンでどこかで何かしているはずだ。突然話しかけてきた彼女は、あいさつも何もせず、唐突に由紀を「魔女」だと評した。長い黒髪に、黒のワンピース。そのすがたが彼女には魔女の姿を彷彿させたのだろう。魔女でイメージされる帽子はかぶっていないが、それでも魔女と言われてイメージされるような格好であることは否定できない。「魔女」と言われて由紀は最初にヘンゼルとグレーテルのような魔女を彷彿させた。だが、彼女から返ってきたのは違う魔女像。そのイメージは、由紀に対する期待も現れているようで、どこかこそばゆかった。それと同時に、新たな自分の一面も見られた気がして、由紀は感謝の気持ちも込めて、少女を楽しませようとシンを呼んだ。実際シンは姿を見せることはなかったが、たくさんの雀たちがどこからか花を銜えて色とりどりの花の雨を降らせる。ちなみにその振ってきた花は、彼女の手元に残された一本以外地面に着く手前で鳥たちがまたどこかへ持って行ってしまった。彼女はキャキャと喜んで、由紀はそれで満足だった。だが実際のところ、由紀はそんな所を見ていない。花と雀の舞とともに由紀は姿を消したからだ。本物の魔法使いでない由紀には、魔法はもちろん使えない。そして、これが一番簡単に、保護者たちに嫌がられずに、子供たちから別れる由紀なりのやり方だった。もしかしたら彼女を傷つけたかもしれない。でも、同じ場所で遊んでいる以上、また会うだろうと信じていた。なので、彼女たちの持つイメージを優先したともいえる。
「ねぇ、私っていい魔女なのかなぁ。」
だれともなしに由紀は呟いた。この言葉を聞くのは一人、いや、一匹、シンだけだ。シンは何も言わないが何か慰めになるような景色を探してくる。様々な形に姿を変える雲、ザリガニ釣りに熱中する子、虫取り網を振り回す子、かくれんぼをする子、買い物帰りの主婦、実に様々な人の流れ、空の流れが存在しているのだった。それを空から眺めるのはとても不思議な心地だった。
「ありがと。」
いつもそばにいて、慮る友達に由紀はそう言葉をかけるだけだった。
 シンでもできないことはやはりあった。シンがいくらなだめても、いくら素敵な景色を見ても、人恋しさが消えない日はあった。その時は、決まって由紀は外を歩き回る。時間帯と歩くコースはその時々に応じて決めている。誰かと言葉を交わすことは非常に稀な出来事だが、視覚だけでなく、皮膚感覚で伝えられる人のぬくもりだけでもいくばくか気が紛らわせられる。
「あら由紀ちゃん、いらっしゃい。今夜は何?」
そう由紀に声をかけるのは、顔なじみのレジのおばさんだった。由紀が小さい頃はほぼ毎日食事のために買い物に出かけていたため、すっかり覚えられていた。買いだめをするようになった今は、不定期に買いに出かけるためめったにこのレジのおばさんと会うこともなく、会ったとしても忙しいようで、話す余裕がないのか話しかけられることはなかった。
「えっと、今日はサラダとシャケにしようかと思っています……。」
コンセプトは火を使わない、だ。電子レンジで温めるシャケはあまりおいしくはないが、由紀は特にそのことに関してこだわりを見せてはいない。それに、これでもバリエーションは増えた方で、冷凍食品やインスタントを温めるだけの生活からは脱却している。インスタントや冷凍食品をやめてから、由紀は初めてその食べ物が本来どんな味をしているのか知った気分になった。
「そうなの。おいしい?」
少しさびしげな表情でおばさんは言う。一人で食べる食事しか記憶に残っていない由紀には、その味気なさはわからず、ただ違うバリエーションによる味の変化を純粋に頼むだけなので、不思議そうにしつつも、おいしいですよと肯定するだけだった。会計時の短いやり取りはたいていその程度のもので終わる。会計が終われば由紀はそそくさと袋の中に詰め込んで店を出てしまうのもその一因だ。
 外に出て、角をひとつ曲がると由紀の後を追う黒い影が現れるようになる。
「帰ろっか、シン。」
肩にとまったカラスに向かって由紀はそう言った。夕日を浴びた帰り道に、由紀とシンの影が一つに重なって動いていた。ものかなしさを伝えるこの空の色も、由紀は好きだった。空を見ながら、闇にとけるよう空が変化していくとともに、由紀とシンの姿も紛れて行く。夜はもう、すぐそこだった。

 そんな日常は、毎日変わらないようで、それでいて何かと変化があった。
「魔女のお姉ちゃーん!」
泣きながら由紀に声掛けたのはいつだったかの女の子だった。
「あのね、お姉ちゃん、助けてほしいの。あっちに飛んでいっちゃった風船、取れない?」
そう言いながら腕をブンブン、円を描くように宙を指す。あっちと言われた方向に由紀は目を凝らすが、かろうじて何かの影があるか判然がつくくらい小さい。
「シン、行ってくれる?」
由紀は目を閉じ、念じるようにそう呟く。バサリ、力強い羽ばたきが耳の裏で響いた。シンの羽ばたく音だった。
「あれ?カラスさん?」
目に涙をたたえた女の子は、不思議そうにその様子を見守った。見えるか見えないか定かでない一点に向かって飛び立つ黒い鳥の影は、だんだん小さくなって、やがて見えるか見えないか分からない一点に仲間入りした。
「そう、お姉ちゃんのお友達なの。猫さんじゃなくて、カラスさん。それであゆちゃん、どうしたのかな?」
由紀は腰をかがめ、目線を女の子にあわせて聞いた。女の子の方は、話したくないのか、プイと顔をそらしてうつむく。
「大丈夫、お姉ちゃんは怒らないから。」
由紀は女の子の顔を自分の方に向かせて優しく言う。うつむいた女の子の目線に入るよう、膝は地面につけた。場所が公園だったのは良かったのか悪かったのか。由紀の黒いスカートがたちまち砂で白く染め上げられる。
「本当?」
女の子がおずおずと聞いた。
「うん。」
そう言って由紀は力強く頷いた。
「あゆちゃんがどんなことをしていても、お姉ちゃんは怒らないから教えてくれないかな?」
由紀のお願いに、今度は、女の子は頷いてから話し始めた。
「あのね、あゆちゃんの友達の、ちいちゃんがね、お店に行ってきて風船をもらったの。それで、あゆちゃんもほしかったから、『貸して』っていったの。」
言葉を閊えながら女の子は話した。話を聞いていて由紀が分かったことをまとめるとこういうことになる。

あゆの友達のちいと呼ばれる女の子が家族でどこかのお店に行き、風船をもらった。おそらく風船はよくあるような、お店のマークの入ったものなのだろう。新装開店や何かのキャンペーンの時によく小さい子に配られる、そういうタイプだと推測できる。ちいは帰り道、あゆに会い、うらやましくなったあゆが、貸してと手を伸ばすが、ちいはそれを拒否した。そこであゆとちいの取り合いとなるが、ちいの親は子供の喧嘩をなだめようとするだけで、強引に止めることはしなかった。そうこうしているうちに、二人の手から取っ手が離れ、風船が空へ飛び立ってしまった。あわてて手を伸ばしたが、誰もその紐をつかむことができず、風船はただただ上昇していくのみ。どんどん小さくなる風船を見てちいは声を大きく泣きだし、あゆがちいを泣かせたと思ったあゆの母親が怒ってあゆの頬に平手打ちをした。実際説明しているときも、時々あゆは頬をさすっていた。はたく音の大きさに、ちいはさらに盛大に泣き、あゆは泣きたい思いを必死にこらえた視線の先に由紀を見つけたらしい。もしかしたら魔女のお姉さんなら!ふと思いついたその思いだけで走ってきて、そして由紀に頼んだのだった。

 その説明が終わるのを待っていたかのようなタイミングで、シンは戻ってきた。そのくちばしには、風船の取っ手が加えられており、シンが間に合ったことに由紀は心の中で安堵する。あと少し、あゆが由紀を見つけるのが遅かったら、もしかしたら間に合わなかったかもしれない。飛んでいった風船が破裂するか、シンが行けないくらい遠くまで行ってしまうか、そんな想像をしていたのだ。だから、杞憂に終わったことに再び安堵した。
「はい、これ。ちゃんとごめんなさいってするのよ?」
由紀はシンから取っ手を受け取り、あゆに渡す。風船はかわいらしい赤い色で、白色のお店のロゴが見えた。
「うんありがとう。」
そう言って笑顔を見せたあゆのもとに一人の女性が駆けてきた。入れ違いにあゆはどこかへ駆けて行く。おそらくそれは、風船の持ち主であったちいのもと。シンも気を利かせてか、それとも由紀の予想を裏付けるためか、飛び立った。後に残ったのは由紀と、駆けてきた女性の二人のみ。
「すみません、亜優が迷惑掛けてしまって。」
その女性はあゆ―漢字で書くと亜優―の母親だった。感謝と怖れとその他いろいろな感情が混ざった不思議な表情をしていた。
「いいえ、いいんです。やったの、私でもないですし。」
由紀もぎこちない笑みを浮かべて言葉を返した。本能的に一線を引いてしまうのはなぜだろう。ふと自分の言葉の返し方に疑問を浮かべる。
「そう。」
女性はそれだけ、小さく呟いた。それ以上、どう言葉を続ければいいのか、分からないようでもあった。個人的に由紀に聞きたいこともたくさんあっただろうし、もしかしたらあゆから聞いていたことを話したいということもあったのかもしれない。それでも、気味悪さが言葉を続けさせなかったのでは、そう由紀は震えるだけで言葉を紡がない唇から推測する。ネガティブに受け取ってしまうのはあくまでも経験上、の話だからだ。
「次は気を付けるよう言ってあげてくださいね。やったことは取り返せませんから。」
そう言って由紀は帰路へ着いた。なんとなく家に帰りたい気分だった。シンはそんな由紀に、あゆがちいに風船を返して謝る様を伝えてきた。

 由紀は一人でパソコンに向かっていた。空は茜色に染まり、それを収めた写真をフォトアルバムに載せる。シンから伝えられた美しい光景は、時間と機会があるとき、たいてい由紀はその場所に足を運んでいる。ブログやチャットはほとんどやらない由紀だが、その数々の写真を見た見ず知らずの人が時々コメントを残してくれるのが楽しみだった。インターネットは、由紀と言う少女の素性を隠すには適していて、そのため、由紀にとっては二番目に大切な友達でもあった。ここでなら、誰も由紀を異質な存在として扱わない。インターネットを使う時間を基本的に小学生の下校後に制限しているため、由紀が学校をさぼる小学生だということを知っている人は少ないだろう。一通り確認を終えた後、由紀はパソコンを消した。ふと思い立って、再び由紀は外へ出る。その姿は、次第に闇にまぎれて行った……。


長編コーナーってあんまり感想みたいなもろもろって書いていないのですが。
ただワンクッションを置いておきたかったがために、「風船をとる」と言うエピソードを入れただけの話になったとか。
文章量としては、エピソード1の1/5くらいです。
ちょっといろいろ補足と伏線と…?
特に目的のない意味不明なものですみませんでした。
まぁ、由紀の日常の一幕ってことで。

…どうでもいいけど、二日で書きました、はい。

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