令和5年7月30日(日)昨日に引き続き・・・

昨日に引き続き、PTNA本選がありました。

C級を受けられた小学6年生の生徒さんが、本選優秀賞とあしながおじさん賞、

同じく、C級を受けられた小学5年生の生徒さんが本選奨励賞、A1級を受けられた小学1年生の生徒さんが、本選奨励賞を頂いたと喜びの報告を頂きました。

皆さん、よく頑張られましたね。おめでとうございます。


令和5年7月29日(土)PTNA本選が始まりました

グランミューズ部門A2カテゴリーを受けられた大人の生徒さんが本選優秀賞、

又、D級を受けられた中学1年生の生徒さんが名古屋支部賞を頂いたと喜びの報告を頂きました。

おめでとうございます。


令和5年7月28日(金)昨日の続き

←6歳当時第2回PTNA本選の時の私の日記から・・・
(1978年7月27日(木)はれ)


わたしは、とうきょうでピアノのほんせんかいがあってでました。
そしてくじびきをひいたら21ばんでした。
まちくたびれてしまいました。
はっぴょうかいよりかは、どきどきしませんでした。
おともはずれなかったからああよかったとおもいました。
しんさいんの先生は、八人でピアノのおけいこにでていたまつざき先生がいました。




※私が小学一年生の頃受けたPTNAの本選の様子です。まだ当時、地方では開催されず、本選は東京で開催されました。
この日の事は、今でも忘れられません。

朝から、私は、身体の調子が悪く、おまけに喘息がひどくゼイゼイ、ヒューヒュー、暑さも重なり、呼吸が息苦しく、余程、三重の家に引き返そうかと思ったくらい最悪の状態でした。今考えると、熱中症だったのではないかと思います。

東京の人の多さに踏み倒されるようになりながら、意識も朦朧となりながら、「もうだめ、歩けない」と自分の中で思いました。
あの苦しさは、今でも忘れられません。私が、普通の子供のようにギャーギャー泣き叫んだり、座り込んだり、苦しい事を訴える子供でしたら、
母もすぐ気づけたと思うのですが、どんなに苦しくても弱音を吐かず、一言も言葉を発しない大人しい子供だったもので、フラフラになりながら歩く私を見かねて母が、背中におんぶして東京の地下鉄の長い階段を上がってくれました。その場所は、今のようにエスカレーターがなかったので、母も若かったとはいえ、大変だったと思います。

本番は、何とか弾き終え、この時も指導して下さった先生が、一緒に付いてきて下さり、私の喉に手を巻き付けて、「喘息がひどい時は、ここを手で巻いたり、ネギを巻いたりするといいのよ」とおっしゃって、ずっと私の喉を温めて下さっていました。

今から思えば、この苦しさは、相当なプレッシャーを子供心に感じていたのだという気がします。

なぜか、6歳の子供なのに、絶対に上手く弾かなくては、私の命はない、というくらい強い責任感で一杯になっていました。

数日後、PTNAの方から、お電話頂き、「受かりましたよ。決勝大会へ行きますよ」。と言われたときに、母が、電話口で、

「えっ?21番?21番?本当に21番が入っていますか?嘘ではありませんか?21番?本当ですね!21番?........」

母の興奮した声を聞いて、一体何回21番という番号を言ってるのかな、と。これを読んでいる人は、たかが子供のコンクールに一喜一憂して、とあまりのバカバカしさに笑えてきますよね。

ひどいコンディションで演奏したから、母もあきらめていたのでしょう。受かったと聞いて、一番喜んでいるのは、母でした。
正に母の青春だったんだと思います。

今から、思うと、何だか、全部バカみたいな事ばかりやってきました。他の人が聞いたら、そんな小さな子の事で、親も子も生きるか死ぬかみたいに大騒ぎして・・・と思われることでしょう。

しかし、こういった積み重ねが、何かの折フッと蘇ってくるのです。あんなに一生懸命だった私、真剣だった母、もう苦しくて動けなくなった私をおんぶしてくれた母の背中、などそういったものが全て、私に愛情と心を精一杯使ってくれたこととして、私の心の中に残っています。

ちなみに、私の日記の中の、審査員のまつざき先生は、松崎伶子先生の事です。その当時のNHK「ピアノのおけいこ」の番組でも毎週出ていらっしゃって、母も私もその時間になると、テレビの前に座り、カセットテープを前にして、楽譜を持って一生懸命メモをとる、今のようにビデオも
インターネットもない時代です。

あるのは、数枚のレコードと、テレビでの音楽番組、音楽雑誌、本、新聞くらいでしか、情報を知ることが出来ませんでした。

だからかもしれません。コンクール会場も、どこも人、人、人というくらい、子供がうじゃうじゃいて、それにくっついている親御さんがいて、
客席も沢山人がいて、とにかく今の熱中症のように、人々が情熱に燃えていて熱かった!

通過したかしないかも、その当時は、1人1人電話連絡だったのです。続きは、又・・・・・。


令和5年7月27日(木)私が6歳で受けた第2回ピティナ・ピアノコンペティションA級の時の日記から・・・

←私が6歳の小学1年生の時に受けた第2回PTNA予選の時の私の日記です。
(1978年7月24日)

「なごやちくのコンクールのよせんをうけにいきました。くじびきをしたら13ばんがあたりました。
まっているあいだがながく、まちくたびれました。
そして、シューマンが音がはずれてしまいました。わたしは、だめだとおもいました。
とうりますようにとうりますようにとおねがいしました。そうしたら14ばん13ばんとよばれました。わたしはとうりました。よかったなあとおもいました」。






※この時の、PTNAの予選は今でも鮮明に記憶しています。現在の伏見にあるヤマハの店内の一番上の階に、ホールがあり、そこで、予選が
開催されました。
今から45年前の昔の事ですが、この日も、うだるような暑さが続き、私は、自分の弾く番が回ってくるまで、待ちくたびれてしまい、眠ってしまいました。その頃、指導して下さっていた先生と母と一緒に行ったのですが、「ちょっと!めぐみちゃん!早く起きなさいっ!」と叩き起こされて、
寝ぼけまなこで、演奏しました。

その中の課題曲にシューマンの「兵士の行進」があったのですが、最後の左手ソの音のGーdurで締めくくるはずが、思いっきり音を外して、勢いよく「ド!」と終わったのです。自分でも思いもよらない音が出てきたのにびっくりして、いっぺんで目が覚めました。
弾き終わったあと、先生方が、「めぐみちゃん、上手に弾けたね、良かったよ!」と褒めて下さったのですが、私自身は、「おかしいなあ、あんなに外したけど・・・・・」と思っていました。先生方は、勿論わかっていたけれど、6歳の私の心を察して、黙って下さっていたんだなあと思います。

結果は受かり、7月27日の東京本選へ行くことになりました。続きは、又・・・・・。


令和5年7月26日(水)ニュルンベルクの聖ゼバルドゥス教会で演奏する生徒さん

←ニュルンベルクの最も古い聖ゼバルドゥス教会で演奏する弦君。

天井に吸い込まれていきそうな、天使のメロディが聴こえてくるような場所ですね。

こういうところだと、ピアノもほとんど力まなくてもスーッと音が空間を回って、ペダルなどほとんど使わなくても美しく音が伸びていきます。

いい体験が出来て良かったですね!
















令和5年7月24日(月)ドイツ、オーストリアでヴァイオリンを演奏する生徒さん

←ザルツカンマーグートの山の上でヴァイオリンを弾く小学1年生の足立弦君。

弦君は、専門は、ヴァイオリンですが、私の教室でピアノも頑張っています。

普段は、一日中ほとんど、ヴァイオリンを練習するそうです。

6月末から8月の初旬までの間、ご両親様と弟さんと弦君の皆様で、ドイツ、オーストリアに滞在して、小さい時に沢山音楽体験をさせてあげたいとのご両親様の強い願いから今回の渡航を決心されたそうです。






←ドイツのニュルンベルクでは、路上や、教会の前で演奏して沢山の皆様が足を止めて聴いて下さるそうです。

こんな小さな子がヴァイオリンを弾く姿は、ヨーロッパでは、あまり見かけないから、きっと皆さん驚かれたでしょうね。

ヴァイオリンは、ピアノと違い、どこにも持って行って演奏出来るのがいいですね!

私の教室の玄関前には、父が撮影した、ザルツカンマーグートの大きな写真が飾ってあります。
ザルツブルグに行ったら、ザルツカンマーグートが最高に綺麗な景色だから、是非ここに行ってね、とお勧めしたところ、毎日がとても有意義で、素晴らしい景色を見て空気を感じ、ザルツカンマーグートの景色は、もう感動でしたとの事です。
私の一番お気に入りの景色を喜んで頂けて私も嬉しいです!

帰国まであと残り僅かになってきましたね。
無事に帰国して又、ピアノのレッスン開始、楽しみにしています。


令和5年7月23日(日)第17回べーテン音楽コンクール

べーテン音楽コンクールのバロックコースを受けられた中学3年生の生徒さんが優良賞を頂いて予選通過したと喜びの報告を頂きました。

おめでとうございます。


令和5年7月20日(木)第6回ギロックオーディション

先日行われた第6回ギロックオーディションの予選の結果が出て、小学6年生の生徒さんと2台ピアノの大人の生徒さん達が合格したと喜びの報告を頂きました。

よく頑張られました。おめでとうございます!

このオーディションの本選は、9月17日(日)名古屋伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールで開催されます。
当日、お客様による投票で聴衆賞、審査員による審査でギロック賞を選出されるとの事です。

どなたでもご来場頂けます。(入場無料)

ご興味のある方は、是非応援に行ってあげて下さい。


令和5年7月19日(水)次世代のピアニスト

←私が小学6年生の時の日記帳。毎日日記を書くと担任の先生が金のシールを貼って下さいます。それも嬉しかったし、先生が毎日書いて下さるコメントもすごく嬉しかったです。

1983年(昭和58年)6月12日(日)

ホロヴィッツが最後に来日した時の新聞記事をスクラップして、その様子をテレビで見た感想が書いてあります。

これが、最初で最後の来日と言われた公演だけに
最高で5万円、平均でも4万円を超える切符はあっという間に売り切れだったそうです。

78歳だったので、日本に来日するだけでも大変です。調律師、お医者さん、3台もピアノを持ってきたと日本中がわいた大ニュースでした。

最近のお若いピアニストの中では、私は、ユジャ・ワンの演奏が大好きなのですが、こんな素晴らしい演奏を今の方達は、YouTubeで気軽に視聴できて、何とぜいたくな時代になった事かとつくづく思います。

ユジャ・ワンのテクニックは、神技としか思えませんが、それ以上に私が感動するのは、ユジャ・ワンの情緒的な音楽性と、対位法の明快な解釈、天性のリズム感です。
音楽に対する姿勢がすごく、真面目で誠実な演奏で、どれを見ても、新鮮な解釈に心を動かされます。


ものすごく早いパッセージも全く不安定なところがなく、理想的なタッチ、歌うところも感情に溺れず、知性的な演奏で、まっすぐ王道を行くピアニストだけに感じる充実感と安定感。

天才だなあとつくづく感じます。

又、ユジャ・ワンは今、世界最高のピアニストだと思うけれど、その他のお若いピアニストの方々も時代と共に大きな進化を遂げていることを目の当たりにして、すごいなあ、と感激しています。

ユジャ・ワンの活躍ぶりは、嬉しいですね、女性の皆さんに勇気を与えてくれる素晴らしい女性だと私は、思います。


令和5年7月17日(月・祝)PTNA予選が終わりました

PTNAのF級を受けられた中学3年生の生徒さんが奨励賞を頂いたと喜びの報告を頂きました。

暑い中、本当によく頑張られました。おめでとうございます。
今日で、PTNAの予選が全て終わりました。これから本選へ向けて更に暑い夏が始まります。

今日は、ひどい猛暑でしたね。身体が溶けそうでした。愛知県の豊田市は、39.1度、日本一の暑さです。


令和5年7月16日(日)マラソン大会

今日は、PTNAのF級を受けられた高校2年生の生徒さんが奨励賞を頂いたとご報告を頂きました。
よく頑張られました。おめでとうございます。

予選も終わりに近づき、皆さん本選へ向けて今、必死で頑張っています。

連日の猛暑に加え、生徒達とのレッスンは、毎日がマラソン大会のようです。

ピアノは、全身の筋肉を使うから、ダンサーと一緒ですね。美しい芸術的な演奏が出来るよう、自分の肉体の事や、神経伝達をよく知ることと、
それが、音楽と筋肉にどのように結びついているか、いつも生徒達と話し合っています。

一度間違えた神経回路が指に伝達してそれが繰り返されてしまうと、脳が認識してしまい、若い時にすごく指が回っていても、ある時期にさしかかると、ジストニアになったりして自分の思い通りに指が動かなくなっていきます。これは、変な神経回路の伝達で、繰り返されたことによる手の故障です。

練習をすごくする人に多い現象です。
勿論、正しい神経伝達で練習していれば、問題ないのですが、
頭の神経回路から、1つ1つの音に命令する神経回路がメチャクチャな働きをしないよう、生徒達には、最善の注意を払ってレッスンしています。


令和5年7月15日(土)リスト音楽院修了式

昨年の9月から愛知県立芸術大学の交換留学生として、1年間ハンガリーのリスト音楽院に留学されていた、吉岡瑞貴さんが、先日、無事に
修了式を迎えることが出来て、実技、学科共に全て「Excellent」の評価を頂くことが出来たと喜びの報告を頂きました。
誠におめでとうございます。

素晴らしい環境で音楽に没頭できる一年間、かけがえのない人々との出会いや、様々な経験は自分にとって、一生の宝物になりました、との事です。

瑞貴さんは、7月末から始まるドイツのマスタークラスを受けに行かれるそうです。

先日、日本大使館で、行われた「日本人留学生のつどい」では、リストの「2つの伝説」を演奏させて頂いて、留学生活を締めくくる素晴らしい機会を頂いて、とても嬉しかったそうです。

良かったですね!無事に日本に帰国される日を又、楽しみにしています。
←リスト音楽院の修了式での瑞貴さん。

←日本大使館でリストを演奏される瑞貴さん。














令和5年7月11日(火)昨日に引き続き・・・

今日もイタリアコンコルソMusic Arteを受けられた高校2年生の生徒さんがクルトゥーラ部門で予選合格したと喜びの報告を頂きました。

おめでとうございます。


令和5年7月10日(月)第16回イタリアコンコルソMusic Arte

今年も第16回イタリアコンコルソMusic Arteが始まりました。

名古屋音楽大学大学院修士課程1年生の生徒さんがステッラ(スター)部門で、予選合格したと喜びの報告を頂きました。

おめでとうございます。


令和5年7月9日(日)PTNA予選真っ最中     ~ 門下生の御活躍~

今日もPTNAの予選がありました。
B級を受けられた小学4年生の生徒さんが優秀賞で予選通過、
又、A1級を受けられた小学1年生の生徒さんも優秀賞で予選通過したと喜びの報告を頂きました。
そして、今、F級を受けられた高校2年生の生徒さんが優秀賞で予選通過したと喜びの報告を頂きました。

皆さん、おめでとうございます。
←今月の7月23日(日)髙浪杜和君のピアノソロリサイタルが開催されます。

場所は、愛知県立芸術大学の奏楽堂で、13:30開場、14:00開演です。

杜和君は、現在、愛知県立芸術大学大学院博士前期課程2年生で、これが、大学院の研究リサイタルになるそうです。

曲目は、リストの「詩的で宗教的な調べ」を演奏されます。

大学関係者だけでなく、一般の方もどなたでもお聴き頂けます。(入場無料)

ご興味のある方は、是非応援に行ってあげてください。

先月の日記でご紹介させて頂いた、宮脇彩永さんの続きで演奏されるそうです。

杜和君は、小学4年生の頃から、彩永さんは、小学5年生の頃から、見させて頂き、明和高校出身の
同級生です。
お2人共立派に成長されて、とても嬉しく思います。







令和5年7月8日(土)PTNA予選

今日も、PTNA予選がありました。
グランミューズ部門Dカテゴリーを受けられた大人の生徒さん達が、優秀賞で予選通過、B級を受けられた小学3年生の生徒さんが奨励賞を頂いたと、喜びの報告を頂きました。

又、グランミューズ部門のA2カテゴリーを受けられた大人の生徒さんとD級を受けられた中学2年生の生徒さんが優秀賞で予選通過したと今、喜びの報告を頂きました。

おめでとうございます。


令和5年7月7日(金)音のない音

河合隼雄先生の書かれた「河合隼雄の幸福論」を読んで、とても共感しました。
河合先生は、「音のない音」についてこう書かれています。

フルートは、ピアノと違って、1つの音しか出せません。メロディーを吹いていると、フルートの先生に、ここの和音は、どうなっていますか?と聞かれることがあるそうです。

つまり、メロディーを吹いていても、その下についている和音がどうなって、どう変化していくかがわかっていないとダメだというのです。
和音の事を知ろうと知るまいと、メロディーそのものは、変わらないと思うのだが、そうではない。和音と関係なく吹いているときと、和音に気を配って吹いているときは、明らかに異なり、フルートの先生には、ちゃんとわかるから、怖いのである・・・と。

そのときに鳴っていない音が大切なのである。しかし、考えてみると、このことは、人間関係でも大切だとおっしゃっておられます。
人間の口は、1つだから、一度に沢山の事は、言えない。例えば、「悲しいです」としか言えない。

しかし、これをメロディーと考えると、同じ「悲しいです」の下に、色々な和音があり、それによって、随分と味が変わるはずであり、そこには、言われていない「和音」を聴くことが非常に大切ではなかろうか、と。

音のない音に耳を傾ける態度が、他人を深く理解するのには必要であると思われる・・・のような事が、書かれてあり、とても共感して読みました。
河合先生のお仕事は、人の話にじっくり耳を傾ける「臨床心理」ですが、私が毎日ピアノの音を愛でながらじっくり耳を傾けていることも、生徒達のピアノの音や、生徒達が話す言葉1つ1つ、いや、話さない沈黙にさえ、じっくり耳を傾けていることなどの全てが、河合先生の臨床心理の分野に通じるものがあるなあと思います。

「音の心に寄り添って」とか、「音と一緒に深いところまで、目に見えない、耳に聴こえていないところまで、下りていくんだよ・・・・どこまでもどこまでも・・・」と度々レッスンする時に私は、生徒達に話すのですが、音の気持ちに寄り添えていない音は、すぐわかってしまいます。

又、河合先生がおっしゃるには、フルートの音が高く上がっていく時には、身体の感じは、逆におなかの下の方へ下がっていって、それを支えるようにならないとフルートの音色もキンキンして汚くなり、浮ついてしまうそうです。高い音色を綺麗に吹くためには、下の支えがあってこそ、なのです。
ピアノもそうですね。高音部を綺麗に弾くためには、ただの「浮ついてしまう」弾き方と違って、下へ下りていく感覚と、上へ上昇する身体の中身の感覚があります。

河合先生は、人間の幸福もそういうものだろうと。例え、他人には、幸福だけしか見えていないにしても、それが厚みをもつためには悲しみによって支えられていなくては、ならない・・・とおっしゃっておられ、私もとても共感しました。
←エストニア、タリンのロシア正教、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂。

ヘルシンキから、船で2時間ですぐ行けます。
(2018年9月撮影)




















令和5年7月2日(日)第14回ヨーロッパ国際ピアノコンクールin Japan

今日は、ヨーロッパ国際ピアノコンクールin Japanがありました。
小学6年生の生徒さんが予選通過されたと喜びの報告を頂きました。おめでとうございます。

私の日記が6月だけ消えていて、パソコンの先生に今、電話でやり取りして、又日記が復元してきました。
なぜこうなるのか、全くわかりませんが、やはり、プロの方は、本当にすごいです。
パソコンの先生、いつも本当に有難うございます。長時間に渡り、救急車のようにすぐ応対して下さり、感謝の気持ちで一杯です。