令和5年4月26日(水)カワイこどもピアノコンクール

先日、伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールでカワイこどもピアノコンクールの中部大会がありました。
門下生の中から、ソロ部門Cコースを受けられた小学1年生の前田舜仁君が努力賞を頂いたと喜びの報告を頂きました。

おめでとうございます!

兄弟でレッスンに通われて、弟さんは、まだ小学1年生ですが、すごく大人しくて、私の話や、弾いてあげる時も食い入るようにしてじいっと見つめています。
ものすごく集中力の高い子で30分間のレッスンの間中、私の顔をじいっと見つめられるので、こちらがちょっと照れてしまいますが(笑)とっても可愛いです。
休符があったりする時に、手を1.2.3と指揮者みたいに感じて弾いたり、とても楽しそうです。
又、そのお兄ちゃんが弟に対する行為が何とも可愛いのです。
「しゅんちゃん、よくがんばったね!しゅんちゃんは、ピアノが上手だからなあ!」と言って、必ず、弟さんの頭を撫でてあげます。

弟さんは、嬉しそうにニコニコしています。

コンクール前に私が生徒達にやってあげるおまじないを「トイ、トイ、トイ」としてあげたら、「トイトイトイってなあに?」とお兄ちゃんに尋ねます。
「トイトイトイはだね、本番前に上手くいきますように、という意味のドイツ語のおまじないだよ。お兄ちゃんもよくしてもらったものだよ」と答えてあげています。
こういう2人のやり取りを見ていると、子供達の持つ、あの独特の純粋で暖かい平和感、生きている、愛されている、周りの大人から包まれている喜びが
周りの空気を満たして、何とも言えない明るさで一杯になります。

子供って本当にすごい力があると思います。

例え大人が深刻になっていても、子供は、それをパアっと払いのけて一瞬にして、友情に変えてしまう力があります。
だから、子供と接すると、キッパリ晴れ渡った空のような広い気持ちにさせてくれるのです。

子供は、過去の事を悔んだり、未来の事を心配せず、今を楽しく生きているから、本当に可愛い。そう思います。

←私が、ウィーンで過ごしていた時に買った、ウィーンのクリスマスカード。ちょっと季節外れですが・・・。
全ての子供は、皆、可愛く、万国共通、希望の星です。















令和5年4月22日(土)楽しかったハノンの練習

←私が、5歳から使っている、ハノンの楽譜です。46年間たつと、こんなにボロボロの楽譜になってきます。

幼稚園の5歳の時に、初めてハノンを買ってもらいました。

私は、嬉しくてたまらず、毎日、ハノンを弾きました。
とりわけ、最初に書いてあるハノンの言葉にとても惹かれました。

「この全巻は1時間で弾けます。完全にそれが身につけば、毎日わずかな時間繰り返すだけで、”むずかしさ”は魔法にかかったように消え去り、すぐれた芸術家の秘密である真珠の玉のような音色の澄んだ、はっきりとしたみがかれた美しい演奏にまでいきつくことができるでしょう」。(平尾妙子訳)

私自身は、幼稚園の5歳から、初めの1番から順番に1つずつ、そして、スケールとアルペッジョの練習は、
高校1年生まで欠かさず、毎日しました。
幼い頃の私にとってハノンのイメージは、ドイツ人の、いかついイメージがあり、
「ハノンおじさん」と呼んでいました。

その「ハノンおじさん」が、フランス人「シャルル ルイ アノン」だと知ったのは、かなり大きくなってからです。

ハノン先生は、1820年(ショパンが生まれた10年後)フランスに生まれて、教会のオルガニストや、ピアノ教授として名高い先生でした。

今、私達が使っている、この楽譜は、各国で反響を呼び、世界博覧会で銀メダルを受賞されたということです。

ピアノを弾く人なら、必ず一度は、お世話になるハノン先生の楽譜、今も、生徒達のレッスンで、必ず使っているので、ボロボロの楽譜になっています。


令和5年4月21日(金)PTNA教室紹介

←PTNA教室紹介「生徒の声」欄に新しいコメントが掲載されました。

コメントを書いて下さった生徒の皆様、本当に有難うございます。
私の方こそ、門下生の皆様に感謝の気持ちで一杯です。

生徒さん達が喜んで下さるからこそ、そのお言葉に支えられながら、私は「ピアノの道」をあきらめずに、ここまで頑張ることが出来ています。

私の日記の方も門下生の御活躍や、私自身のピアノの道、ウィーン留学時代の日記や、音高・音大の生活、そして、それぞれの作曲家にまつわる想い出話なども色々と書いていきますので、よろしくお願いいたします。

新入りの「ふわ」や、ベテランの「うめ吉」など、めぐみ教室のスタッフも参加して、
皆さんが楽しみに読んで下さっているので、頑張ろうと思います。










令和5年4月20日(木)音楽は時間の芸術なり~音楽家にとって必需品のメトロノーム

←私が愛用しているメトロノーム。中学3年生から、現在まで37年間も動き続けていたのですが、
生徒さんのレッスンをしている時、うんともすんとも言わなくなりました。


電池がなくなったか、メトロノーム自体が寿命なのか?

生徒さんのお母様がすかさず、スマホのメトロノームを取り出して下さいました。

今は、何でもスマホで出来て便利ですね。









←メトロノームの中身はこうなっています。

新しい電池9Vを入れたら、ちゃんと復活しました!メトロノームが壊れたのではなくて、良かったです!

中学3年生の時の音高受験の時も、東京7年間の音高・音大生活、ウィーン留学生活も、
海を越え、常に持ち歩いています。

留学時代の恩師もこれと同じ種類のメトロノームを常に持ち歩いていらっしゃり、私がウィーン国立音大にレッスンに行くと、必ず、メトロノームを使って、テンポ感がいかに大切かを毎回お話して下さいました。








今、教える立場になって、恩師と同じことを生徒達に話しているなと感じます。

「音楽は時間の芸術なり」で1つ1つの音を自然な音楽の流れの中にピタっと音をはめていかなくてはなりません。かといって、機械のように、
メトロノーム通りに弾くというわけではありません。

その人それぞれの、呼吸感や、ルバートの仕方でその人の心の中にある音楽的な時間から湧き出てきた音楽なのか、それとも、外から持ってきた表面的な音楽なのか、テンポ感の良さは、音楽の中で最も重要なポイントでしょう。

ウィーン時代の恩師は、私が、ドビュッシーを弾いているときも、メトロノームを必ず使うようにアドバイスして下さいました。
版画の初めの出だしや、沈める寺、映像Ⅱ集など弾いていた時に、1つ1つこの時間の間に音をはめていかないといけませんよ、と。
私は、ベートーヴェンやモーツァルトなどの古典派は、しょっちゅう、メトロノームを使っていたものの、ドビュッシーには、あまり使っていなかったので、いつでも、時計が秒針を刻むように、全ての音楽は、どんなに自由な流れの中にも、ここで音がピッタリはまらなければならない場所というのがあるのだなと度々感じました。

かなり上級者でも、良いテンポを取ることは、永遠の課題だと思います。

上手に使えば、メトロノームは、音楽家にとって、必需品ともいえるでしょう。


令和5年4月19日(水)ウィーン留学時代の父からの手紙~23歳当時~

←ウィーンの街角で走る馬車。

早朝、5時頃になると、私のマンションの前をパカパカ、パカパカ、馬が出勤します。
馬の蹄の音でよく目が覚めていました。

(1994年10月29日、ウィーン撮影)








1995年1月28日 私が23歳当時、ウィーン留学時代に父がくれたFAXの手紙から・・・

「1月20日のハガキ、1月24日の航空書簡を見た。フランス北部や、ドイツが寒波や洪水で死者が17人出たと報じている。引っ越しも近づいたので、寒波で道が凍結したり寒いと大変だと思っている。こちらは特に変化なし。父も小康状態。食事をとらないと点滴をされるからとかで、食事を必死にとっているらしい。兵隊に行って、こわいものなしだなどと威張っていた父が、点滴が恐かったとは笑えてくる。
「阪神大震災」から、11日たった。死者は5000人を超え、体育館など避難している人が30万人近い。
寒いのに大変。これが日本かと思う。家の下敷きになって死んだ人が多いけど、眠ったまま、何もわからないまま(苦しまずに)死んだ人もあるだろうし、閉じ込められ、まだ元気だった人が、その後の火事で焼死した人もある。人生の結末をこんな形で、迎えるなど思ってもいなかっただろうに。
平和ボケで、病気にならなければ、長生きできると思っていたが、ひょっとすると明日がないかもしれない。生きているうちに精一杯の事をしなければならないと思う。何と1日は、大事なのかと改めて思う。
1日、その時をめぐみは有意義に過ごしなさい。
亡くなった方は、60歳以上の老人や、子供が多いけど、めぐみ位の若いこれからの人もいる。音大生もいるのではないかと思う。
各国からの援助(ドイツは、粉ミルクや、毛布)が届けられたり、日本の若者が、ボランティアで大勢黙々と重い荷物を歩いて運んだりしており、日本の若者も見直されている。
ウィーン少年合唱団が2月8日ウィーン市内のホテルで慈善コンサートを開くと報じている。  父より。」


※ウィーンに留学したばかりの私に、父も母も、FAXや、手紙で、ほとんど毎日のように日本の様子を知らせてくれていました。
先日、家の片づけをしていたら、ふと、父からのFAXが出てきました。全て大事に保管してあります。
当時私は、23歳。ウィーンの地で日本のニュースにショックを受けた震災のあの日から、28年間の年月がたちました。
今、見させて頂いているお若い生徒さん達のほとんどが、阪神大震災以降に生まれた子達なんだな…と思います。


令和5年4月12日(水)24年目になって・・・

名音大も、明和高校もレッスンが始まりました。

左は、明和高校の近所の橋。まぶしいほどの緑です。

24年目を迎えて、さまざまな事がガラッと変わってきました。

今1年生の子達は、3年生になったら、ホールが出来てそこで弾けるそうです。

名音大では、私が小牧にアドバイスレッスンに伺ったときにレッスンをして頂きました、という学生さんが入って来られて、びっくりしました。

名音大の学生さんも、明和高校の生徒さんも皆さん、張り切っています。
皆さんとのレッスンをとても楽しくやっています。

音楽は、やはり、暖かい心から生まれてくるものなので、どんなことがあろうとも、暖かみを人間忘れたら、終わりだと私は思います。
今年も生徒さん達と一緒に音楽を楽しみ、暖かい時間を、過ごしていきたいと思います。

ところで、この明和高校前の緑の写真、2011年の5月の日記にものせています。
24年目に又、撮影してみました。緑の色が変化していますか?




令和5年4月4日(火)名音大実技レッスン打ち合わせ期間今日までです

←昨日、名古屋音楽大学の入学式がありました。

今年、ピアノ演奏家コースに入学された生徒さんのお母様が素敵なお写真を送ってきて下さいました。

ご入学された皆様、誠におめでとうございます!

大学生は、小・中・高校生のように、皆、一斉に同じ授業を受けて、というわけにはいかないので、どの科目を何単位とればいいか、難しくて、手こずると思います。
私も大学時代、徹夜で、どの授業を取ればいいのか、悩みましたからね・・・・
学生の皆さん、慣れるまで大変だと思います。
名音大の学生さん達とのピアノレッスン、とても楽しみにしています。

皆さんの大学生活が実り多いものでありますよう、お祈りしております。
どうぞ宜しくお願い致します。


令和5年4月1日(土)門下生の御活躍

現在、ハンガリーのブダペスト音楽院に留学中の吉岡瑞貴さんから、近況報告を頂きました。

瑞貴さんは、昨日、ウィーンのモーツァルトハウスで行われた演奏会に出演されました。演奏会最終での演奏を任せて頂いたとの事で、沢山のお客様から、盛大な拍手や、お褒めの言葉を頂けて、とても嬉しかったそうです。

かつてモーツァルトが住んでいた場所で、ピアノを弾かせて頂ける幸せ、一生の想い出に残る素敵なコンサートになったそうです。

この経験を大切にして、これからも頑張って下さいね。瑞貴さんの益々の御活躍をお祈りしています。

下は、瑞貴さんが送って下さった、ウィーンのモーツァルトハウスでのコンサートの時の素敵なお写真の数々です。スクリャービンの幻想ソナタを演奏されたそうです。
美しい響きが聴こえてくるようです。