令和4年5月28日(土)他の人の為に使える時間、あとどのくらい?

私のドイツ語の修士論文を見て、生徒さん達が、色々と感想を書いてきてくださいました。
「めぐみ先生のドイツ語の修士論文を見せて下さってとても嬉しかったです。めぐみ先生は、すごく頑張り屋さんですごいです。色々な大変な思いを沢山してきているから、色んな音が出せるのだなあと思いました。
めぐみ先生に出逢えた私は、奇跡です・・・・・」。
その子の演奏を聴きながら、感激して涙が出そうでした。

昔の生徒達には、私の留学時代の修士論文など、話して聞かせても興味を持たないだろうと思い、見せたり、話して聞かせたりしてこなかったのですが、子供でも充分理解する子は理解出来るのだなあと今日という今日は、子供から教えられました。 

今、皆、コンクールの曲作りで頭が一杯になっていると思うけれど、やはり、こういった話をしてあげることは、コンクールのこと以上に大事なんだなあと心から思いました。

若い頃の私は、生徒達を一定の水準に引き上げることに必死になっていて、自分がウィーン留学時代過ごした生活や実際にドイツ語の修士論文を本にしたものをレッスンの時に見せてあげるようなゆとりもなく、又、子供にはそんな難しい事を話しても、興味を持たないだろうと決めつけてかかっていたかもしれないと思いました。

深い話が通じあえる関係に出逢えた生徒さんに出会えることは、私にとっても奇跡というべき関係となっていきます。
又、今は、意味がわからなくても何10年後かにふっと何かの拍子に、パッと知恵の蔵が開くような瞬間が人間にはあったりします。なので、そういった話し合ったことが、一生のその子の人生における大切な言葉になるかもしれないのだと思うと、これは、すごい事だとも思いました。

なかなか、レッスンで直すところが、多すぎると、そういったピアノ以外の話が出来ませんが、これからは、そういった話も伝えていかないといけないのだなと思いました。私は、最近、やはり、半世紀以上生きてくると、他の人のためになれる時間があとどのくらいあるのかという事をよく考えます。そうして考えていくと、私に出逢った生徒さん達が、自分の夢にしっかり向き合っていけるためにも私が体験してきたことを伝えていくことは、大切な事なんだなと生徒さん達から、つくづく学ばされた1日でした。


令和4年5月26日(木)1人1人のかけがえのない物語

教室の生徒さん達は、6月11日(土)港文化小劇場で行うPTNAに参加される方達のための弾き合い会に向けて、頑張っています。
今年のPTNAの課題曲には、昔懐かしい曲も入っています。

今から丁度、10年前の2011年の夏の全国決勝大会。この年は、C級が大活躍してくれて小学5、6年生の4名が全国決勝大会へ進んだ年でした。

本選のロマンスタイルに、メリカントのワルツ・レントが入っていました。この曲のロマンチックな雰囲気を出すには、小学5,6年生では、まだ、本質に迫るには、幼く、あどけなく、生徒達全員、なかなか難しいようでした。

当然です!私も当時は、まだ若くて、今なら生徒達にそんな無茶な要求はしませんが、なかなか伝わらない想いを幼い生徒達相手に必死で音楽の美しさを訴えていました。まるで、目も耳も、口もきけない、ヘレン・ケラーに言葉を教えた、それを理解させるまでの壮絶バトルのようなサリバン先生とヘレン・ケラーのような・・・・。ロマンチックという言葉が何のことかも理解出来ないような生徒達全員をステージまで引っ張り上げて、踊ってもらったりもしました。

その年の私のリサイタルのアンコールでも弾かせて頂いて、その当時の幼かった生徒達との懐かしい想い出がたっぷり詰まっています。
私も生徒達もものすごく苦しみ、その時、頂いた、審査の先生方からの講評用紙に、「あなたは、素晴らしい音楽的センスを持っている。そして、それ以上に、そのあなたを指導した先生は、何て素晴らしいのだろう!」と私の生徒を賛美し、私にも嬉しいお言葉を書いて下さった審査の先生がいらっしゃり、その苦しみが報われた思いがして本当に嬉しかった言葉を想い出しました。


今、現在の生徒さん達がその曲を弾くたびに、そのころの記憶がよみがえってきます。
音楽は、不思議です。どの生徒さん達とも、私には、色々な美しい想い出が沢山あります。そしてそれが、必ず、音楽を通して、つながっているということ、ピアノを通して、心と心を触れ合わせる関係が築けているという事、この神秘的な真実に私は、常に心打たれています。

学生の頃、私には、常に、目の前に夢が(それも自分にかなえられそうな現実的な夢)がありました。1つ1つ夢をクリアするたびに、私の後ろに道がつくられてそれが、私だけの道であり、私にしか作れない物語となっていきました。
学生の時は、自分だけの夢を追いかけて走っていたけれど、学生でなくなってからは、そこに、「生徒」という他者が入り込んできて、尚更楽しみが増えました。1人1人の生徒達に、この曲を弾いてもらいたいな、○○ちゃんの演奏で、○○君の演奏でこの曲を聴けたらどんなにステキだろう!というただただひたすら純粋な想いをいつも胸に抱いてレッスンしています。

今も昔も、「ピアノの道」が大好きで、ずっと夢を追いかけて気が付いたら、半世紀以上の時が過ぎ去りました。私が辿ってきた音楽家としての道のりは、いわゆる世間一般の常識的な道のりとは、大きく外れているかもしれません。しかも、この道は、この先、どんどん外れていくように思います。
しかし、これが私の物語です。生徒さん達にも1人1人のかけがえのない物語が作れるよう、そのお手伝いをしていくのが私の務めです。

古いものは、消え、新しいものが輝きを増す。人生って、バトンリレーのようだなあと思います。
そんな色々な思いを込めて、6月11日、又新しい生徒さん達との10年後につながる懐かしい想い出が一杯詰まった物語を作りたいと思います。

どんな演奏が、いい結果に結びついていくのか・・・・全くミスのない演奏。これはこれで、とても素晴らしい事でしょう。
正確で、丁寧で、真心がこもり、表情豊か、美しい音色の変化が感じられて、フレーズ感があり、歌心のある演奏・・・・など、あらゆることを試みて研究した最後に最も大切な事は・・・やはり、目で見えないことを見えるようにすること、本当の事を知るには、見るには、目を閉じる事、そうやって、音楽の心の底にどこまでも降りていき
深く寄り添っていったときに見えてくるその音楽の「本質」が聴こえてきたときでしょう。人間を深く知ろうとするときと同じ鋭い観察力と洞察力が必要不可欠になってきます。
そんな愛おしい音楽の心に寄り添い、響きと一体になっている人間の姿程、美しいものはありません。

その人が普段考えている、音楽の世界観や、美的センスは、勿論の事、その人が弾いたときに、「あっ、何か、胸にこたえたな」「人生考えさせられたな」というような、一言でいえば、魅力的な演奏です。審査員の先生方にも気づかないような、新しい発見のある演奏。又1つその曲の新しい解釈が広がる喜びです。

「その人の演奏をもう1回聴いてみたいな」という魅力的な演奏とはどんな演奏か?6月11日、お互い聴き合って、より深めていきましょう。
なお、コンクールを受けない方も私の門下生の方なら、どなたでもご自由にお聴き頂けます。
←鶴舞公園のバラ。とても美しいです。



























令和4年5月24日(火)名古屋音楽大学の夏期講習

←名古屋音楽大学の「音楽大学への進学をめざす高校生のための夏期講習・冬期講習会」の要項が出ました。

夏期は、2022年7月29日(金)~31日(日)(申込期間は、6月1日~7月8日)です。

名音大にご興味のある沢山の高校生の方々の御参加をお待ちしております。

要項が欲しい方は、レッスンの時にお申し出ください。













  


令和4年5月23日(月)門下生の御活躍

←2022年7月12日(火)しらかわホールで名古屋音楽大学の第44回定期演奏会が開催されます。(18時開演)

現在、ピアノ演奏家コース4年在学中の谷口拓未君が、リストの「2つの伝説」より
「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」を演奏されます。
その他、私が副科ピアノを担当させて頂いている生徒さん達も出演されます。

電子オルガン  山下愛友さん
ソプラノ      吉村麗香さん

電子オルガン、トロンボーン、声楽、ヴァイオリン、ドラム、サクソフォン、マリンバなど、
ピアノ以外の楽器の演奏も沢山聴くことが出来ますので、ご興味のある方は、是非お越しくださいませ。

(入場無料(要申し込み)申込期間は、6月12日(日)~7月5日(火)です)。











令和4年5月21日(土)最終回 ~26歳当時の私が書いたピティナっこリポートの記事より~

しかし、苦しい練習を続けるより仕方ないので、朝起きるとまず8時頃から12時頃までピアノに向かい、4時間分もある曲を1日に全部は練習出来ないので、2時間分ずつ分けて練習するのだが、朝の練習は全て暗譜でとおして本番のように弾いてみる、そしてお昼をとり、ドイツ語の論文を書く、夜のピアノ練習を2、3時間程さらう、こういうことを毎日続けていたので、試験までの3ヶ月ほど前には、腰や背中が痛んで歩けなくなるほどだった。それでもはうようにしてピアノの前に向かい練習を続け、ドイツ語の辞書を弾きまくった。

そんな日が毎日続いた。このころの練習がどんなに辛かったか今でも忘れる事は出来ない。私が器用に何でもこなせる人間なら要領よく出来たのかもしれないが、全くそうではないし、論文にしてもピアノにしても、ただ根気強くあきらめない他に方法がなく、この苦しさに勝たなくては、と自分に言い聞かせていた。

そんなことで、何とか試験当日の日を無事に迎えることが出来た。
第1次の試験を合格しなければ、次のコンサート試験に進めない。
ケラー先生は、その日、リハーサルにいらしてバッハとベートーヴェンの最初の出だしだけ聴いて下さって、
「とってもきれい。本番もそのまま弾こう。楽しみにしてるからね」。そして私の耳元でトイ、トイ、トイ(何も悪いことが起こりませんように、というドイツ語のおまじない)をして下さった。

ステージに上がる直前にもケラー先生は、練習室にいらして下さり、
「今まで私が注意した全ての事は、みんな忘れて音楽する事だけを考えようね」。2回目のトイ、トイ、トイをして下さって、私は、ステージに上がった。

ピアノの前に座った瞬間、今日のこの日のために1年間かけて全てのエネルギーを費やして練習に打ち込んだ事を思い出して、絶対その練習したことを無駄にするものかと思い、無我夢中で弾いた。

無事に弾き終え、練習室に戻ると、ケラー先生が私の所に急いで走って来て下さり、
「メグミ、本当におめでとう!!」とそうおっしゃって、私の手をぎゅうっと握りしめて下さった。するとたちまち涙があふれて、手を握り返しながら、泣いてしまった。

「ヨク、ガンバッタネ。ナカナイデクダサイ。トテモ、ウレシイヨ。」

ケラー先生の優しく話しかけて下さる日本語をボーっとした頭の中で聞きながら、ピアノを続けてきて本当に良かったなと思った。
そして、この1年間の辛い練習は、決して無駄ではなかったと思った。

あれ程苦労した、ドイツ語の論文は大変嬉しい事に一番良い成績を頂くことが出来た。夜中12時頃までシュテーファニーデス先生は、熱心に私の論文を見て下さったときもあった。先生は、最後には、「あなたと一緒にタケミツを研究出来て、本当に楽しかった。よく頑張った」。としっかり手を握って下さった。

ケラー先生とシュテファニーデス先生の暖かい御指導と励ましがなければ、とても試験に合格出来なかったと思う。

そして何よりも私が4年間のウィーン留学中何回となく、くじけそうになり、泣いて国際電話を入れたりするたびに相談にのってくれた父と母は
いつもこういってくれていた。

「いやになったらいつでも家に帰っておいで。いつもどんなことがあってもあなたの味方ですからね。
ただあの時、こうしておけばよかった、と後悔するような生き方だけはしないように。後になってきっと良かったなあと思える時がくるから。
きっとやりとげられるとあなたを信じていますよ」。

小さい頃から、人間は、何事にも全力をつくしていれば、自然に道は拓けるものだ、そして、1つだけでもいいから、何かに打ち込んで努力することが何よりも尊いことなのだという事を教えてくれたのが、父や母であり、今回ウィーンでマギスター称号を頂けたことで実際に私が体験したことだった。

又、幼い頃の私に素晴らしい御指導をして下さった播本三恵子(枝未子)先生とピティナのアメリカ演奏旅行等に連れて行って下さって、お客様の前でピアノを演奏させて頂くことの喜びと海外の方達との触れ合いの楽しみを私に与えて下さった福田靖子先生にめぐり会わせて頂いて
私は本当に幸運な人間であった。

私を今日のこの日まで暖かく御指導、ご支援下さった皆様に心から深く感謝申し上げたい。
                終わり
←私が留学していた頃のウィーンの街並み。

私の喜びと涙が沢山詰まった第2の故郷、ウィーン。

ウィーン、イコール私の青春です。







   


令和4年5月20日(金)~連載2~

私は「武満徹-彼の作品の音楽哲学」というテーマで書いていったのだが、武満さんの事が書かれてある本は全てに目を通し、楽譜なども日本の家から送ってもらったりして7ヶ月ほど、ドイツ語の辞書とにらめっこの日々が続いた。

これは、外国人である私にとって考えているよりも、恐ろしく大変な作業であった。週に1,2度、3時間程、私の論文指導をして下さるミヒャエル・シュテファニーデス先生が、私が日本語をドイツ語にしていった文章を、2、3ページずつ読んで下さるのだが、まず、2、3回は書き直しをしなければならなかった。

文中に出てくる、例えば、日本の楽器の尺八や、琵琶などの楽器の説明や、文中に登場してくる人物等全て辞書で調べドイツ語に直し、武満さんのオーケストラの曲の分析6曲とピアノ曲2曲の譜面をすみずみまで研究し、日本語で書き、又、ドイツ語に直して、と気の遠くなるような日々が続き、しまいには、シュテファニーデス先生も真っ赤な顔をされて机をたたいてお怒りになられるし、私は何度となくくじけそうになっていた。

ケラー先生のレッスンの方も本当にたいへんだったが、毎回それは感動的な素晴らしいレッスンをして下さった。ケラー先生は、いつもにこやかでお優しいのだが、試験までの1年間、音楽に対してとても厳しかった。
先生は、試験曲のどの曲もいい加減にされなかった。もし私が、手を抜いて音楽と向き合おうものなら、とても悲しそうな顔をされ、どんなことがあろうとも、作曲家が書いたことは忠実に、いつも自分の出した音を耳でよく聴き、全神経を集中させ真剣に演奏しなければならないことをいつもおっしゃっていらした。
ケラー先生のおっしゃられることは、全て頭でわかって理解してもなかなか思うように弾けない、そんな自分が、もどかしく情けなかった。

                                                                      続く・・・・・・
                                                                                                                                                              
←武満さんの文章は、日本語で読んでも難解で、とても哲学的です。
私は、何度も、武満さんの深層心理に迫るように深く深く自分の心の目と心の耳を、あらゆる身体の器官を総動員させました。
映画が大好きだったという武満さんが作った映画音楽も実際に見に行って聴きました。

ピアノ曲では、「リタニ」オーケストラ作品では、「ノヴェンバーステップス」が好きで、何回も聴きました。
ウィーンで聴く、日本の伝統楽器の音は、不思議と懐かしい日本の響きでした。
ノヴェンバーステップスは、西洋のオーケストラと、尺八、琵琶を安易に融合させるのではなく、日本と西洋の音楽の摩擦と異質なものを対立するままに聴かせるような厳しい音楽で一番興味がわいた作品です。

(武満徹の世界 集英社)





                                                


令和4年5月19日(木)ピティナっこリポート  ピティナの機関誌に掲載された26歳当時の私のウィーン留学時代の投稿 ~連載1~

←全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)の「Our music(わたくしたちの音楽)」の機関誌、1998年秋206号
「ピティナっこリポート 5」に掲載された
私の留学時代の記事です。


ウィーンから帰ってきたばかりの私26歳当時の文章です。

半世紀以上生きてきた私の若い頃の体験談として、音楽家を目指す方達にお役に立てれば嬉しいです。
(写真左上 三重県の私の家のお庭で
右下 A4版66ページをワープロで製本し、完成したドイツ語修士論文を持って、論文指導をして下さった
ミヒャエル・シュテファニーデス教授と。
右上 ローラント・ケラー教授ご夫妻と一緒に、先生のご自宅の近くのウィーンの森で)


記事の中身は、結構長いので、連載にしていきます。
ウィーン国立音楽大学大学院修士課程修了
「マギスター称号」を取得して        
                岩野めぐみ

 
ウィーン国立音楽大学に留学して3年目に入る頃、私は大学院の修了試験を受けるべきかどうかとても悩んでいた。
なぜならピアノの課題が大変多く、計17曲(全て弾くと4時間分)の試験曲が課されることと、そのピアノの試験の前にドイツ語の修士論文を書かなくてはならないので、はっきりいって私などにそんな大変な事など出来るか全く自信がなかった。

また普通この大学院の試験を修了された先輩方は、大抵が8年以上在籍している方ばかりで、私は、大学を1年半で卒業してしまったので後の2年半の間に大学院を修了しなければならないなんて予測も出来ないようなことだった。

色々と悩んだ末、私は、ローラント・ケラー先生に御相談してみた。ケラー先生は、「大丈夫。あなたならきっと出来る」とおっしゃって下さり、私はそのお言葉で大学院修了試験を受けることに決めた。

練習ばかりの1年間を考えると辛かったが、いったんやり始めたことはどんなに苦しい事があっても最後までやり遂げなくてはと思い直し、大学院修了試験を迎えるまでの一年365日をどんなことがあってもピアノは1日8時間練習しようと決意した。
その合間をぬってドイツ語での修士論文の準備にとりかかった。
   
                                             続く・・・・・・・・・・


令和4年5月15日(日)私のドイツ語修士論文

←私が、26歳当時、ウィーン国立音楽大学の修士課程を修了した際に書いたドイツ語での修士論文です。(1998年1月 ウィーン)

←修士論文の表紙と中身。

私は、ウィーンでは外国人なので、やはり、テーマにするなら、日本のものがいいと思い、日本人の作曲家、武満徹さんを選んで修士論文を書きました。

これに4時間分のピアノリサイタルを弾いて、やっと卒業出来ます。

ピアノの実技よりも、このドイツ語修士論文を完成させたことは、本当に骨の折れる作業でした。
私の血と汗と涙の結晶です。








←サポートして下さった、Mag.Dr.シュテファニーデス教授と一緒に仕上がった論文を持って、達成感で一杯の私。











←桐朋学園大学2年生の19歳の時に、アイルランドのダブリン国際コンクールで1次予選を通過した際に弾いたプログラムの中に「閉じた眼」を弾いたことがきっかけで、武満作品に興味がわきました。








1997年11月28日 ウィーン留学時代26歳当時の私の日記から・・・

やったあ!武満さんの修士論文は、一応全部通してシュテファニーデス先生に読んで頂くことが出来た。
Vorwortといって、前につけて書く言葉を先生は、考えて下さった。
最後に私の両親や兄にウィーンで勉強させて頂いていることを感謝していることを書くのだそうだ。最後の文は素敵だと思った。
ものすごく大変だったけど、いい経験をさせて頂いて、本当に嬉しい。
最後、シュテファニーデス先生に、「イッヒ ダンケ イーネン(先生に感謝します)」というと、「イッヒ ダンケ アオホ(私も貴女に感謝します)」
とおっしゃって、ぎゅうっと握手して下さり、とっても嬉しかった。成績もシュテファニーデス先生が書いて下さって、それから、事務に出すそうだ」。


※ここ最近、私が26歳の頃、ウィーン国立音楽大学の修士課程を修了する時に書いた、ドイツ語での修士論文を改めて読み直す機会がありました。
A4版で、66ページ、全てドイツ語で書き終えて、ウィーンの製本屋に行って、5冊注文しました。
黒に金の文字で「Ⅿegumi IWANO」と本になって出来立ての5冊が仕上がってきたときの喜びは、何ものにも代えがたい喜びでした。
論文指導は、外国人である私に対して、私が選んだプロフェッソア(教授)が、マンツーマンでサポートして下さいます。

日本語でも難解な武満徹さんの文章をドイツ語にしていくのは、本当に骨が折れる作業でした。
しかし、私の論文指導に付き合って頂いた、シュテファニーデス教授から、「随分骨が折れた。しかしものすごくいい論文だ」。と最後は、手放しで喜んで下さり、
私のウィーン時代の血と汗と涙の結晶です。


令和4年5月9日(月)第14回イタリアコンコルソムジカアルテ

←第14回イタリアコンコルソムジカアルテ音楽コンクールが今年も開催されます。


エントリー期間は、5月30日必着です。

詳細は、(社)日本イタリア協会のホームページでもご覧になれます。

予選申込書のパンフレットが欲しい方は、差し上げますので、レッスンの時にお申し出ください。













令和4年5月3日(火)ウィーン留学時代23歳当時の私の日記から・・・ラドゥ・ルプーのリサイタルを聴いて 

←1995年3月22日ウィーンのコンツェルトハウスで聴いたラドゥ・ルプーのピアノリサイタルのチケット。

グローサーザールという一番大きいホールのガレリー左側11列目の2番目の席で聴きました。

私は、23歳当時で、180シリング、日本円で1800円でした。

右側が破れているのは、チケットのもぎりです。






1995年3月22日晴れ ウィーン留学時代23歳当時の私の日記から・・・・

ラドゥ・ルプーのピアノリサイタルを聴いた。
バルトーク組曲のOp.14、シューマンのダヴィッド同盟、シューベルトのソナタ第18番G-dur ファンタジーだった。アンコールは、シューベルトのB-durの変奏曲だった。
音が本当に柔らかくて、綺麗で、心が安らかになるようなそういう優しい音だった。
背もたれにもたれて、楽々と弾いていたけれど、こちらの心に沁みとおってくるような1人1人の心に深く語りかけてくるようなとても素晴らしい演奏会だった。


※ラドゥ・ルプーは私の好きなピアニストの中の1人でした。決して派手な演奏ではなく、1つ1つの音が、詩情に満ちていて、心の奥深くから出た音楽を聴き手の心にそのまま届けるような演奏で、「千人に1人のリリシスト」と呼ばれていたとおりの1つ1つの音に意味が込められた、
私好みの大変抒情的な演奏でした。
23歳当時、私は、ウィーンで、音を聴くことについて毎日、耳の訓練をしていました。
ルプーの演奏を聴いていて、音の立ち上がりではなく、そのあとに出てくる響きの方に意識を向けて響きが消えていくまで音を聴く事の大切さを改めて実感し、とにかく耳を使うこの訓練を毎日しました。
いいピアニストは、全て、よく音を聴いています。弾く意識を持つのではなく、聴く意識を持ってピアノを弾くのです。

今現在、指導する立場になっても、私自身も毎日、指の練習というよりは、耳の練習をしています。生徒さん達には、「とにかく、音をよく聴きましょう。指の練習でなく、耳の練習ね」。私の生徒さん達は、耳にタコが出来る程、その言葉を聞かされていることでしょう。

ラドゥ・ルプーは、つい先日、天国へ召されました。天国のような場所で、聴こえてくるような優しい音色が、正にラドゥ・ルプーの演奏だったと思います。
 


令和4年5月2日(月)寒かった1日

←今日は、名音大のレッスンです。私のレッスン室は8階にあり、JRセントラルタワーズや、マリオットのホテルや、私のマンションも見渡せるくらい、見晴らしのとても良いところで学生さん達といつも楽しくレッスンしています。
 
5月晴れの爽やかな天気でしたが、寒かったです!
 
私のマンションが暖かいので、半袖で出ていくと、とんでもないことに・・・。ブルブル・・・。

5月21日のオープンキャンパスにお申込み頂いた生徒さん、有難うございました。

色々と名音大の様子を見学して、楽しんで頂ければ幸いです。

1年の間に何度か、オープンキャンパスもあり、夏期講習や、冬期講習などもありますので、ご興味のある方は、是非、いらして下さい。










令和4年5月1日(日)生徒の皆さんは、弾き合い会に向けて励んでいます!

←世界遺産バースで見つけた天使の絵葉書。
天使は、いつもヴァイオリン、ギター、ハープ、フルート・・・・などなど楽器を必ず弾いています。

(バースアビーで、2013年9月20日)








5月になりました。
生徒の皆さんは、6月11日のPTNAの弾き合い会に向けて、張り切っています。皆さんが、どこで受けられるか知りたいとのご要望が多かったので、レッスン室の玄関前にどこで受けるか、掲示してあります。ご参考になさってください。又、門下生コンサートのお写真が出来上がりましたので、昨日の午後の生徒さん達から、お配りしています。
DVDは、しばらくお待ちください。出来上がり次第、日記に書きます。

ここ最近は、私のホームページを沢山の方々に読んで頂いているお陰で、体験レッスンを受けたい方達が、連日で、いらっしゃり、私の日記が好き、特に、
ウィーン留学日記は、とても楽しみに読んで下さっているとか、又、門下生の方達の御活躍をすごく楽しみに読んで下さっているというのを聞くたびに、嬉しく思っています。
私も、自分の日記を振り返って読むと、若い頃は、自分の思ったことが書かれてあるのに対し、少しずつではありますが、門下生の御活躍のニュースが増えてきたなと変化を感じています。
段々と私の伝えたいことが、後のお若い世代の方達へ引き継がれていくことを思うと、身が引き締まる思いがしています。

弾き合い会は、飛行機を操縦するパイロットや、船の船長さんの操縦の試運転みたいな機会ですので、そこで弾いてみると又わかることが沢山出てくると思います。
生徒の皆さんの演奏を楽しみにしています!