令和3年12月28日(火)今年も終わりに近づいてきました

今年も終わりに近づいてきました。

パソコンの先生に来年の日記がかけるようにHTMLソースを作成して頂いて、来年の準備をしています。
新年明けて1月になったら、自分で出来るかな?ちょっと不安ですが・・・。

パソコンの先生には、いつも優しく教えて頂いて、本当に感謝しています。

今年1年、楽しい事、嬉しい事、沢山ありました。そのどれもが、生徒さん達の成長を見る喜びでした。
それ以外では、家の中のいろんなものが、壊れた1年でもありました(笑)

まず、クーラー。8月の一番暑い時に、レッスン室は、蒸し風呂状態に・・・。すぐ取り付けてもらえて、良かったですが、20年たつと、あらゆる
ところが故障します。

その中で、PTNAの審査に行ったときは、今度は、ホールのクーラーが効きすぎて、身体の芯から、冷え凍りました。
真夏の8月に貼るカイロをして審査したのは、初めてです。

その他、お風呂も壊れましたし、天井から、水が漏れてきたり、他に、家の換気扇が壊れました。一晩中、うるさくて、眠れないほどの換気扇の音です。
ぶうん、ぶうん、と唸り続け、「これじゃ、まるで、国際線の飛行機の中で過ごしているみたいだね」と。


皆さん、お世話になり本当に有難うございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
←ドレスデンのクリストキンドルマルクトで見つけた置物。

冬の雪景色の教会と樅ノ木。

この中にロウソクを入れると教会の窓がオレンジ色に暖かく灯り、素晴らしく美しいです。









令和3年12月27日(月)第23回ショパン国際ピアノコンクール in Asia 全国大会

ショパン国際ピアノコンクール in Asiaの全国大会の結果が出て、現在明和高校3年生の清水陽菜さんが銅賞を頂いて、アジア大会へ進むと喜びの報告を頂きました。

おめでとうございます!

来年2022年1月23日(日)四日市の第一楽器店で私のアドバイスレッスンがあり、あと2名だけ御参加して頂けます。

午後12:40~13:20(1名)

午後15:30~16:10(1名)

(御参加して頂けるのは、YPF2022第一楽器店大会に申し込んでいる方限定だそうです)。

←今日、名古屋で初めての雪が降りました。

ウィーンもそうでしたが、「気温が冷たいな」と思うと、翌朝には、必ず、雪が積もっていました。


生徒さん達に、サンタさんからプレゼントもらったの?と聞くと、デジカメ、青春18切符、
鬼滅の刃、お洋服・・・・色々でした。







令和3年12月26日(日)生徒さんの御活躍

←来年1月23日(日)16時開演 半田市福祉文化会館雁宿ホールで、
現在、愛知県立芸術大学3年生の吉岡瑞貴さんが、ショパンのピアノ協奏曲第1番の
第1楽章を演奏されます。


瑞貴さんは、昨年第27回国際ピアノコンクールin知多のF部門で金賞を受賞されました。


その受賞者褒賞コンサートだそうです。

今日、レッスンに見えて、久しぶりに演奏を聴かせてくださいました。
大きな成長ぶりを感じ、とても嬉しく思いました。

瑞貴さんは、小学6年生の頃から、明和高校3年生までの7年間の間、私の教室に通って下さいました。
今も時々、レッスン室を訪れて下さり、とても嬉しく思います。

私は、ピアノコンチェルトは、好きなものが多くある中で、これだけは、という一番好きな曲は、やはり、ショパンのコンチェルトの1番です。
桐朋時代も、ウィーン留学時代も何回となく弾いてきた曲ですが、ウィーン時代の恩師が、「ショパンは、これを20歳そこそこで書いたのです。信じられないほど、本当に美しい」。と私のレッスンのたびにおっしゃっていました。

自分の青春時代が終わり、今は、青春時代真っ盛りの学生さん達とのレッスンで再び、自分の若い時代を懐かしんでいます。

人生は、2度楽しめます。1度目は、自分がただひたすら、修行の身である、学生時代。
そして、親あるいは、教える立場になって、もう一度、自分の歴史を振り返ってみる時代の2度目です。

瑞貴さんのチケットは、瑞貴さんのご厚意で10枚無料で譲って下さるそうです。
(なくなり次第終了しますので、聴きに行かれたい方は、お申し出ください)。

























 


令和3年12月24日(金)クリスマス・イブ

←生徒さんからのクリスマスカード。猫がピアノを弾いていますね。
「猫ふんじゃった」を弾いているのかな?

平吉先生の曲で、「踏まれた猫の逆襲」という曲がありますが、「猫ふんじゃった」を逆さまにしたような面白い曲ですよね。


皆さんも素敵なクリスマスをお過ごしください。

















令和3年12月22日(水)教会から聴こえてくるミサ  

←ウィーンでコレペティ奏者として、ご活躍中の生徒さんから、
クリスマスカードが届きました。


「フローエ ヴァイナッハテン!」
日本では、「メリークリスマス!」です。


彼女は、聖歌隊にも入って、教会でミサを歌っているそうです。素敵ですね!

風邪一つひかず、とても元気にウィーン留学生活を満喫しているとの事で、良かったです!

6歳の頃から、明和高校3年生までのまるっと12年間というとても長い年月を一緒に過ごしてきた生徒さんが、もう留学して、お仕事しているわけですから、人生なんてあっという間だなとつくづく感じます。












←左側の教会は、ザルツカンマーグートのヴォルフガング湖のほとりで見つけた
置物です。中にロウソクを入れると、小さな窓から、ポワ~ンと暖かい光が灯ります。
冬のオーストリアは、最高に美しくて、ロマンチック。私は、こういう雰囲気が小さい頃からすごく好きなのです。
教会の中で、ミサを歌う・・・あのしんしんと冷え凍るような寒さと、暗さと、天から降ってくるような神の音。

日本では、味わえない、充実したウィーン留学生活を送って下さいね!







令和3年12月21日(火)今日、東海テレビ「ニュースONE」に明和高校が放映されます

今日、先日の明和高校の定演の様子が、テレビに放映されます。
ご興味のある方は、是非、ご覧下さい。


東海テレビ「ニュースONE」 午後16:50~19:00(この時間帯の中の18時代に10分程度放送されるそうです。

「プロの音楽家目指す明和高校音楽科に密着 70周年で記念の演奏会定年迎え先生も集大成」


令和3年12月20日(月)ベートーヴェン国際ピアノコンクールアジア第6回BIPCA中部予選

昨日、ベートーヴェン国際ピアノコンクールの中部予選が、中部国際空港の「セントレアホール」で開催されました。

小学3年生の生徒さんが、B部門で優秀賞、予選通過したと喜びの報告を頂きました。

おめでとうございます。よく頑張られました。

何といっても彼女の素晴らしいところは、自分からやろうとする自発性、やる気がものすごくあるところです。

人間に「心のエネルギー」というものがあると思いますが、そのエネルギーがものすごくある子で、先日の明和高校の定期演奏会もまだ、年齢的に小さい子だし、最後まで聴いて疲れたのではと心配していたのですが、全く疲れ知らずで、最後に、今弾いている、悲愴の2楽章が出てきたと言って、ものすごく喜んでいました。オーケストラと明和生の全員が歌う、ベートーヴェンの悲愴2楽章と第9の中から歓喜の歌。皆、泣いていたけれど、べートーヴェンの偉大さを再認識しましたし、編曲も素晴らしくて、本当に感動しました。
←ウィーンにある、ベートヴェンの像の前で。右側黒い服を着ている26歳の私。

ウィーン国立音楽大学の修士を終えて、やっと長い長い学生生活が終わり、一番嬉しかった時期です。

(1998年7月、ウィーンで、26歳の私)


















令和3年12月19日(日)生徒さんの御活躍

←来年2月27日(日)三重大学教育学部音楽教育コース70期による
FINAL CONCERTが津リージョンプラザのお城ホールで(14時開演)開催されます。


生徒さんの中から、現在大学4年生の伊藤成美さんが、ショパンのバラード4番を演奏されます。

又、2月12日(土)にも三重県文化会館小ホールで(14時開演)コンサートに出演されます。

成美さんの年代は、丁度、コロナ禍で、長い間大学もオンライン授業が続き、大変だったと思いますが、ステイホームが続く中、色々な事を考え、音楽的にも人間的にも大変に成長されたことをとても嬉しく思っています。


ご興味のある方は、応援に行ってあげてください。













令和3年12月17日(金)生徒さんの御活躍

←来年4月24日(日)中川文化小劇場(14時開演)で、生徒さんの今井あかねさんがコンサートに出演されます。

タイトルの「le petit bois」は、フランス語で「小さな森」という意味だそうです。 

全部演奏しても1時間で終われるくらいのコンサートにしてあるとの事です。

私の桐朋時代の恩師は、ソロリサイタルをするときに、90分くらいが丁度いい、120分となると、ちょっと長すぎて、飽きられるとよくおっしゃっていました。

ラヴェルの直弟子のペルルミュテールさんは、「リサイタルをする場合は、大体65分~
75分くらいがいい。アンコールは、長くても6分を超えないようにする」とおっしゃっているのを聞いたことがあります。

私も、自分がソロリサイタルをする場合、この演奏時間の長さには、すごく気を配ります。
全部通して60分、休憩15分、アンコール含めて65分~75分、いくら長くても、それ以上は、お客様の為にもしないといった感じのペースをつかんで今まで開催してきました。

どんなにいい演奏であっても、長過ぎると、飽きられたり。子供は、特に素直ですから、
面白くなければ見向きもしません。小さな子供でも、全然音楽を知らないという方が聴いて下さっても楽しめるよう、いつもすごく工夫します。腹八分で食事も終わらせるのが身体の為にもいいように、あともうちょっと聴きたいな‥‥という余韻を残して終わらせると、次の楽しみが続いていくからです。

あかねさんは、ヒナステラのアルゼンチン舞曲の中から、年老いた牛飼いの踊り、優雅な乙女の踊り、ガウチョの踊りを演奏されます。

ご興味のある方は、応援に行ってあげてください。


令和3年12月16日(木)素晴らしかった定期演奏会

←昨日は、明和高校の定期演奏会が愛知芸文のコンサートホールでありました。

門下生の中から、清水陽菜さんも選ばれて出演させて頂いたので、昨日は、大学のレッスンを終えた後、最初から最後まで聴かせて頂きました。

陽菜さんは、ドビュッシーの「喜びの島」をあの大舞台で、堂々と緊張する事もなく、立派に弾ききり、大変感動しました。本当におめでとうございます!

門下生の子達、お母様方にも沢山お会いできて、とても嬉しかったです。沢山の方々にいらして頂き有難うございました。

私が、27歳で、明和高校の先生になって、初めて、聴いた演奏会が、この明和高校の
定期演奏会でした。その時は、創立50周年記念で、昨日と同じく、愛知芸文でありました。

あれから、23年の歳月が経ちました。普段は、私が、生徒さん達にかかりきりで、母とゆっくり話も出来ないので、昨日は、久しぶりに、芸文で母とゆっくり話すことも出来て、素敵な時間が過ごせました。


昨日は、コロナ禍の中、お客様も沢山見えたので、門下の子達と集まって、想い出の写真を取れなかったのがちょっと残念でしたが、色んな事を考えさせられた素晴らしい定期演奏会でした。





令和3年12月9日(木)私の通勤道

←椙山女学園大学へ行く私の通勤道です。

椙山の生活環境デザイン学科の学生さん達の作品です。

星ヶ丘は、坂が多く、ハーヒーハーヒー老犬のように息を切らして登っています(笑)

どこへ行くのも、私は、車がなく、歩きだから、周りの同僚の先生方からは、
「それは、健康にもいいし、地球の為にもいい!」と言われておりますが・・・。






←中をのぞくとこんな可愛いのが見えます。

1つ1つ全部違っていて、学生さん達、上手に作られましたね!

夜になれば、ポッとイルミネーションが灯り、ロマンチックな雰囲気になるのだろうなあと思います。



















令和3年12月7日(火)第12回ヨーロッパ国際ピアノコンクール in Japan

先日、ヨーロッパ国際ピアノコンクールin Japanの全国大会がありました。

中学3年生の小木曽立志君がディプロマ賞を受賞されました。よく頑張られましたね。おめでとうございます!

このコンクールを立ち上げられたピアニストの(故)杉谷昭子先生が私に下さった講評でとても想い出に残っているものがあります。

第10回目のピティナのコンクールの時、私は、まだ中学3年生でした。G級を受けたのですが、本選の中部地区で1位を頂いて、全国大会へ行ったときの講評用紙で、その中で珍しい点数と講評がありました。

杉谷先生だけが、私につけて下さった点数が10点満点。そして、講評用紙のコメントは、「言う事なし!素晴らしい!」でした。

広々としたスペースが沢山ある講評用紙の中にたった2行だけのコメントに当時中学3年生の私は、感激しました。
ゴチャゴチャ書いてある講評よりも見やすくて、わかりやすくて、何て潔い先生なんだろうって。

その時演奏したのは、バッハの平均律1巻の18番プレリュードとフーガ、ベートーヴェンの「創作主題による32の変奏曲」、
ショパンのエチュードOp.10-4、ショパンのアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ、ラヴェルのオンディーヌです。

当時中学3年生だった私の演奏が言う事なし、なんてありえないですし、満点である10点という点数だって、ありえない点数です。

他の先生方も素晴らしいコメントを沢山下さったのですが、申し訳ない事に、沢山書いて下さったコメントは、今、全然記憶に残っておらず、
杉谷先生の「言う事なし。素晴らしい!」というコメントしか記憶に残っていないというのは、何ともおかしな話です(笑)。

しかし、結局そういう事なんだと思います。私のその当時の中学3年生という年齢で、講評用紙に細かい事を色々注意したところで、その子の胸にパッと感動できる言葉をあげなければ、何もならないという事をよくご存知だったんだと思います。

その点で、ピティナの創立者の(故)福田靖子先生も初めてピティナを受けた5歳の私に10点満点、講評用紙に「才能あり!」の一言だけのコメントを下さいました。それが又、印象的で、今でも強く感激した言葉として残っています。

臨床心理の河合隼雄先生の本に、「100パーセント正しい忠告は、まず役に立たない」とか、「いわゆる説教というものは、もともと効果のあがらぬものである」

「特に上司が部下に、先輩が後輩に有難い事や、有益な事を語る場合に注意しなくてはならないのは、説教は、長引くほど効果がない、説教は短くすることを工夫しなくてはならない」という言葉には、すごく共感しました。

杉谷先生も福田靖子先生もそういったことをよく見極めて書いて下さったんだと思います。

ほめ言葉は、後々まで、その人の胸の中に大切な宝物として残ります。あれやこれやと先回りの忠告や、注意が必ずしも、その人を成長させるとは思いません。

私もこれまで巡り合えた方々からのお言葉で、記憶に残って大切にしているものは、やはり、ほめ言葉であります。

すごく一生懸命頑張っていることに対してのほめです。

人は、結果そのものよりも、それまでの頑張ってきた、努力してきたことに対して、それがどんなに大変だったかをわかってくれる人がそばにいてくれるだけで、元気になれますし、又、更に頑張ろう!信頼してくれている人達に対して、裏切ることは出来ない、そう思って更に努力することが出来て、成長出来るものだと私は、思います。


令和3年12月3日(金)ピティナ・ピアノ教室紹介 ~発表会紹介~ 

←来年3月21日(月・祝)13時開演、天白文化小劇場で開催される
私の教室の20周年記念門下生コンサートの紹介がピティナのホームぺージに掲載されています。


ピティナ・ピアノ教室紹介の欄をクリック、発表会紹介の中の
中部・北陸地方の部分をクリックすると、見れます。

ご興味のある方は、ご覧下さい。









令和3年12月1日(水)ウィーン留学時代の私の手紙から・・・23歳当時   

←ドレスデンのヴァイナッハツマルクト(クリスマスマーケットのドイツ語)。
フラウエン教会が見えます。

(2011年12月22日ドレスデン撮影)










←ライプツィッヒのヴァイナッハツマルクト。
これは、そこでもらった、催し物カレンダーのパンフレットです。

ライプツィッヒで、特に印象的だったのが、バッハ博物館と、バッハが長年務めていた
聖トーマス教会です。

(2011年12月21日ライプツィッヒ)

















1994年11月17日(木)23歳当時 私がウィーン留学時代、母に宛てた手紙から・・・

「今日のウィーンは、気温12度。大変な日でした。10万送って頂いたお金をズュードバーンホーフ(南駅)のポストに預金しようと行ってそこで、ひと悶着ありました。郵便局に送られたお金は、10.729,72となっていましたが、手数料をとられて、40シリング減って
10.689,72でした。そしてそれを全てこの通帳に預金したいと、何べん言っても「Warum?(どうして?)」と言われて答えるのに本当に困りました。

そのままにしておくのは、勿体ないからと言っても、「どうして、送ってくれたお金を預金するのか?」と大声で怒鳴り散らかされて散々でした。
何とかかんとかして、30分ほどもめて、やっと通帳にコンピューターで数字を打ってくれたのですが、何の事かいまだによくわかりません。
これでいいのかなあ?という感じです・・・・」。



※ウィーンに行って間がない頃の手紙です。郵便局で学生口座を開くといいと聞いて作ったのですが、これが非常にややこしかったです。
行ったばかりの頃は、ピアノどころではない、毎日、銀行、郵便局、ヴィザ、役所巡りばかりで、走り回っていましたね。

それに、建物が古いので、しょっちゅうどこかが悪くなるのです。朝起きると、まず、その日の問題解決に取り組むのが日課でした。
「今日は、一体何の問題が起こるんだろう?」って。
水が出ないとか、ガスがつかないとかお湯が出ないとか。あとFAXやテレビがつかないときも両手で必死でお店まで手で抱えて持っていきました。

しかし、若かったから、そういった生活の不便さを苦労と感じず、頑張れました。
今、もう一度若い頃やってきたことをやれと言われても、もう2度とあんな大変な事は出来ないです。
ウィーンは、大好きな街で、ヨーロッパは今でもとても好きですが、やはり、自分の国のように住みやすい国はないと思いました。
勝手がわかり、あらゆる事がスムーズに進めていけることの有難さが外に出てみて、つくづく身に沁みてわかりました。
私が日本に完全帰国した時にまず、胸をなでおろしたのは、「ああ、今日から、日本語が通じるんだ!」ということでした。
ウィーンで暮らした4年間は、いつでも、話す前に、頭の中で、何を言いたいのか、しっかり整理して、それをわかりやすくドイツ語で、説明できるようにすることが、毎日の暮らしの中で習慣になっていましたから、帰国当時は、ドイツ語頭に切り替えなくてすみ、どこへ行っても日本語が使える安心感に心からホッとしたものです。